表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

婚約破棄された上に、亡き父親の鍛冶工房を女だからという理由で奪われ、さらに街を追放されたマーガレットは、隣町で大活躍して復讐する!

作者: 山田 バルス

鉄と灰の街を去る日


 鍛冶の街リヨンは、いつも鉄の匂いに満ちていた。

 朝は炉に火が入り、昼には槌の音が重なり、夜になれば煙突から立ちのぼる煙が街全体を覆う。

 この街で生まれ育った者にとって、鉄を打つ音は子守歌のようなものだった。


 フォルジュも、その一人だった。


 腕利きの鍛冶職人であり、寡黙で頑固な男。

 四十二歳という若さで病に倒れるまで、彼は一日たりとも炉の前に立たない日はなかった。


 その娘、マーガレットは十八歳。

 桃色の髪を三つ編みにまとめ、父の工房で弟子たちに茶を運び、道具を磨き、帳簿をつける――それが表向きの役目だった。


 だが、実際には違う。


 夜、工房の扉を閉め、父と二人きりになると、マーガレットは槌を握った。

 鉄の温度、音、火花の散り方。

 フォルジュは一つひとつ、丁寧に娘に教え込んだ。


「女だろうと関係ない。鉄は正直だ。誤魔化しは通じん」


 そう言って、父は娘の打った刃を何度も確かめた。

 そして最後には、必ずこう言った。


「……悪くない。もう一人前だ」


 その言葉が、マーガレットの誇りだった。


 しかし、鍛冶の街リヨンでは――

 女が鍛冶をすることは、固く禁じられていた。


 だからこそ、彼女は表に出ることなく、父の影として腕を磨いてきたのだ。


 父の弟子であり、婚約者でもあった赤髪の青年、マルシャルは、その事実を知っていた。

 二十二歳。要領がよく、口が達者で、周囲からの評判も悪くなかった。


 だが――彼は、マーガレットの才能を妬んでいた。


 自分よりも正確に鉄を読み、自分よりも美しい刃を打つ娘。

 それを「女だから」という理由で否定できる環境に、彼は甘えていた。


 そして、フォルジュが病に倒れ、帰らぬ人となった。


 葬儀の日、工房には多くの鍛冶職人と冒険者が集まった。

 皆、フォルジュの死を悼み、静かに頭を下げた。


 その中に、金髪の若い女――アンフィデリテの姿があったことに、マーガレットは気づかなかった。


 父を失った悲しみが、すべてを覆っていたからだ。


 だが、葬儀が終わり、数日が経った頃。

 マーガレットは、決定的な裏切りを知ることになる。


 マルシャルとアンフィデリテが、工房の奥で抱き合っている姿を目にしたのだ。


「……どういう、ことですか」


 問い詰める彼女に、マルシャルは薄く笑った。


「見ての通りだよ。俺は彼女を選んだ。それだけだ」


「私との……婚約は?」


「破棄だ」


 あまりにもあっさりとした言葉。

 そして、彼は続けた。


「そもそも、この街で女が鍛冶をするなんて、あり得ない。お前はここでは、いらない存在なんだよ」


 アンフィデリテが、楽しそうに笑う。


「そうよ。あんた、邪魔なの」


 その瞬間、マーガレットの中で何かが音を立てて崩れた。


 婚約は破棄され、工房の権利はマルシャルに奪われた。

 街の長老たちも、彼の肩を持った。


「女に鍛冶屋は務まらん」


 その一言で、すべてが終わった。


 追放。


 それが、彼女に下された結論だった。


 最低限の荷物だけを持ち、マーガレットは街を出た。

 振り返ることは、しなかった。


 行く当てもなく、ただ道を歩いているとき――

 聞き覚えのある声が、彼女を呼び止めた。


「……お嬢ちゃん?」


 冒険者剣士、アヴァン=チュリエ。

 二十五歳。軽口を叩くが、腕は確かで、父の工房にも何度か剣の手入れに来ていた男だ。


 事情を話すと、彼は眉をひそめた。


「……胸糞悪い話だな。よし、俺が店を取り戻してやろうか?」


 だが、マーガレットは首を左右に振った。


「たとえ取り戻しても……この街では、鍛冶を続けられません」


 それが、現実だった。


 アヴァンはしばらく黙り込み、やがて言った。


「親父さんには世話になったからな」


 そして、彼女を見て、軽く肩をすくめる。


「一緒に隣町に行かないか?」


 マーガレットは驚いたように顔を上げた。


「……隣町、ですか?」


「おう。俺は明日、隣町の《ヴァルナ》に向かう予定だった。魔物討伐の依頼があってな。あそこは鍛冶職人が不足してるって話だ。女だからって理由で腕を否定される街じゃない」


 その言葉に、胸が熱くなる。


――外の世界は広い。お前の腕を正しく見る者も、きっといる。


 父の声が、心に蘇った。


「でも……私、女ですし」


 不安が、最後の抵抗をする。


 アヴァンは、まっすぐに彼女を見た。


「俺が知ってるのは一つだけだ。あんたが打った剣は、よく斬れる。バランスもいい。嘘はつかない金属を、あんたは理解してる」


 それは、何よりも重い言葉だった。


 涙が、静かに頬を伝う。


「……ありがとうございます」


「ご一緒、させてください。私……鍛冶を、やめたくありません」


 アヴァンは、満足そうに笑った。


「決まりだな。今夜は宿を取ろう。道具は最低限でいい」


 夕焼けの中、二人は歩き出す。


 背後で、鍛冶の街リヨンの煙突が沈んでいく。

 そこに、彼女の居場所はもうない。


 だが――

 鉄を打つ音は、決して消えない。


 新しい街、新しい炉、新しい運命が、

 剣士アヴァン=チュリエと共に歩むその先で、

 マーガレットを待っていた。


◇ ◇ ◇


隣町ヴァルナ ―― 炉に火が入る日


 隣町ヴァルナは、リヨンとはまるで違う空気をまとっていた。


 城壁は低く、門も簡素。

 行き交う人々は冒険者や商人が多く、武器や防具の質を気にする声があちこちから聞こえる。

 魔物の出没が頻繁な土地柄ゆえ、実用性が何より重んじられる町だった。


「思ったより、雑多な街ですね」


 マーガレットがそう漏らすと、隣を歩くアヴァンが笑った。


「だろ? ここじゃ身分より腕前だ。鍛冶師が足りないってのも本当さ」


 町に入ってすぐ、彼らは鍛冶組合の建物を訪れた。

 石造りの二階建てで、壁には無数の刃傷が残っている。


 受付にいたのは、がっしりした体格の中年男だった。


「仕事を探してる?」


 その視線が、自然とマーガレットに向けられ、わずかに眉が動く。


 アヴァンが前に出た。


「この子は鍛冶師だ。腕は確かだ」


 男は一瞬、言葉を失ったが、すぐに鼻を鳴らした。


「……女でも構わん。だが、腕は見る。ここではそれだけだ」


 そう言って、奥の工房を指差した。


「試し打ちだ。短剣一本、打ってみろ」


 炉の前に立った瞬間、マーガレットの胸の奥に、懐かしい感覚が広がった。

 熱、鉄の匂い、炭のはぜる音。


(大丈夫……いつも通りでいい)


 火床に鉄を入れ、色を読む。

 橙から黄へ。

 最適な瞬間を逃さず、金床に乗せ、槌を振る。


 カン、カン、と澄んだ音が工房に響いた。


 周囲にいた鍛冶師たちが、自然と手を止める。


「……音がいい」


「無駄打ちがないな」


 マーガレットは集中を切らさず、刃を整え、焼き入れを行った。

 水に沈めた瞬間、白い蒸気が立ち上る。


 仕上げまで終え、短剣を差し出すと、中年男は無言で受け取り、軽く振った。


「……合格だ」


 その一言で、胸の奥が熱くなった。


「仕事はある。住み込みでいいなら、工房を一つ貸そう」


「……ありがとうございます!」


 初めて、自分の「鍛冶師」という肩書が、正当に受け入れられた瞬間だった。


 その夜、アヴァンは冒険者仲間と酒場に消え、マーガレットは工房に残った。


 誰もいない炉の前で、彼女は小さく呟く。


「お父さん……私、やれそうです」


 数日後、最初の依頼が舞い込んだ。


 魔物討伐に向かう若い冒険者の剣の修復。

 刃こぼれはひどかったが、素材は悪くない。


 マーガレットは慎重に刃を整え、重心をわずかに前へ寄せた。

 斬撃重視の調整だ。


「……軽い」


 試し振りをした冒険者が、驚いた声を上げる。


「これなら、次は死なずに済みそうだ」


 その言葉が、何よりの報酬だった。


 評判は、少しずつ広がった。


「女だが、腕は本物だ」


「剣の“癖”を見抜く」


 やがて、アヴァンが戻ってきた。

 彼の剣には、新しい刃こぼれがあった。


「頼めるか?」


 マーガレットは、迷わず頷く。


 父に教わった通り、彼女は剣と向き合った。


「……この剣、主を守ろうとしてます」


 アヴァンは、少し驚いた顔をした。


「分かるのか?」


「はい。大切に使われてますから」


 打ち直された剣は、以前よりも強く、しなやかだった。


 数日後、アヴァンは重傷を負いながらも生還した。


「助かった。あの剣がなきゃ、死んでた」


 その言葉に、マーガレットは静かに微笑んだ。


 夜、炉の火を落としながら、彼女は思う。


 ここなら――

 女であることを理由に、否定されない。


 鉄は正直だ。

 腕を持つ者を、裏切らない。


 ヴァルナの夜空に、炉の余熱が揺れる。


 桃色髪の若き鍛冶師は、

 ここで、確かに一歩を踏み出したのだった。


◇ ◇ ◇


没落 ―― 偽りの槌音


 鍛冶の街リヨンに、異変が起き始めたのは、フォルジュの葬儀が終わって間もなくのことだった。


 工房の炉には、確かに火が入っている。

 だが――音が違う。


 カン、カン、と鳴る槌音はどこか濁り、一定のリズムを欠いていた。


「……ちっ」


 赤髪のマルシャルは、額の汗を拭いながら、打ち上げた刃を睨みつける。

 歪み、重心の狂い、刃先の甘さ。

 どれも目を背けたい欠点ばかりだった。


(……おかしいな)


 かつて、この工房で打たれていた剣は、こんな出来ではなかった。

 自分が槌を振っていたはずなのに――なぜだ。


 その理由を、彼は心の奥で理解していながら、認めようとはしなかった。


 フォルジュが病に伏してからの半年。

 実際に炉の前に立ち、鉄を打っていたのは――マーガレットだった。


 彼女が打ち、マルシャルが仕上げを装う。

 それが、この工房の真実だった。


 だが、もう彼女はいない。


 最初に異変を口にしたのは、常連の冒険者だった。


「……なあ、マルシャル。前より剣が重くないか?」


「気のせいだ」


 次は、防具職人。


「焼きが甘い。これじゃ長持ちしないぞ」


「今は忙しいんだ」


 苦情は、確実に増えていった。


 刃こぼれが早い。

 バランスが悪い。

 同じ型なのに、出来にばらつきがある。


 フォルジュの名を信じていた客ほど、失望は大きかった。


「親父さんがいなくなってから、質が落ちたな」


 その一言が、胸に突き刺さる。


 店の前を通る人影は、日に日に減っていった。

 炉の火は入っていても、金床の前に立つ時間は短くなる。


 売れない。

 金が入らない。


 そんなある日、金髪のアンフィデリテが工房に怒鳴り込んできた。


「ちょっと! どういうことなのよ!」


 腕を組み、苛立ちを隠そうともしない。


「最近、生活費が減ってるじゃない」


「……仕方ないだろ」


「仕方ない? あたしは“腕利き鍛冶師の婚約者”だから、あんたを選んだのよ!」


 マルシャルは、言葉を失った。


 アンフィデリテは、冷たい目で彼を見る。


「正直に言いなさい。あの女……マーガレットがやってたんでしょう?」


 図星だった。


「……一部、だ」


「一部?」


 鼻で笑われる。


「全部でしょ。だから追い出した途端、この有様」


 マルシャルは拳を握りしめた。


「女が鍛冶なんて、認められるわけがない!」


「関係ないわ。結果がすべてよ」


 アンフィデリテは、吐き捨てるように言った。


「このままじゃ、店は潰れる。あたし、そんな男と一緒に沈む気はないわ」


 その日から、彼女は工房に来なくなった。


 さらに追い打ちをかけるように、鍛冶組合から通告が届く。


《品質低下が著しいため、組合の推薦工房から除外する》


 フォルジュの名は、もはや守ってくれなかった。


 夜、誰もいない工房で、マルシャルは炉の前に座り込む。


 思い出すのは、あの桃色髪の背中だ。


 無言で槌を振る姿。

 鉄の色を見つめる真剣な目。


(……俺は、何をしてた)


 彼女の才能を妬み、認めることなく、利用し、捨てた。


 結果、残ったのは――空っぽの工房。


 翌朝、工房の扉に張り紙が貼られた。


《閉店》


 鍛冶の街リヨンで、槌音が一つ、消えた瞬間だった。


 誰も同情しなかった。

 誰も惜しまなかった。


 ただ一人、彼自身だけが、遅すぎる後悔を噛みしめていた。


 ――鉄は正直だ。


 腕のない者に、成功は宿らない。


◇ ◇ ◇


噂 ―― 鉄は名を呼ぶ


 鍛冶の街リヨンに、再び槌の音が戻ることはなかった。


 フォルジュの工房は閉じられ、煤けた煙突は沈黙したまま。

 かつて活気に満ちていた通りは、どこか空洞のような静けさを抱えていた。


 人々は口には出さないが、皆わかっていた。


「……あの工房は、もう終わりだな」


 その名が、フォルジュであったことを、誰もが惜しんでいた。


 マルシャルは、酒場の隅に座っていた。

 仕事もなく、金もなく、未来もない。


 かつては「次代の名鍛冶師」と持ち上げられていた男は、今や誰の視線にも留まらない。


 その夜、冒険者たちの会話が、ふと耳に入った。


「なあ、最近ヴァルナ行ったか?」


「行った行った。いい剣が手に入った」


 マルシャルは、思わず顔を上げた。


「……ヴァルナ?」


「おう。最近、腕のいい鍛冶師がいるんだよ」


 酒場の空気が、わずかに熱を帯びる。


「女だって話だ」


 その言葉に、マルシャルの喉がひくりと鳴った。


「女……鍛冶師?」


「そう。若いが、腕は本物だ。剣の“声”が聞こえるって噂だぞ」


 別の冒険者が笑いながら続ける。


「俺の剣、あいつに打ち直してもらってから、死ににくくなった」


 心臓が、嫌な音を立てた。


 女鍛冶師。

 ヴァルナ。


 嫌な一致だった。


「……名前は?」


 無意識に、マルシャルは問いかけていた。


 冒険者は、あっさりと答えた。


「マーガレットだ」


 世界が、止まった。


 酒場の喧騒が、一瞬で遠ざかる。


「桃色の髪でな。静かな子だが、炉の前に立つと別人みたいになる」


 マルシャルは、杯を握りつぶしそうになった。


(……馬鹿な)


 だが、否定する材料がなかった。


 あの背中。

 あの音。

 あの刃。


 噂は、日を追うごとに具体性を増していった。


「ヴァルナの鍛冶組合が、正式に工房を任せたらしい」


「女だからって理由で、特別扱いはされてない。純粋に腕だ」


「有名な冒険者アヴァン=チュリエの剣も、あの女鍛冶師の手だとか」


 その名を聞いた瞬間、マルシャルの胸に、苦いものが広がる。


(……あいつまで)


 街の鍛冶師たちも、次第に噂を無視できなくなった。


「フォルジュの娘だそうだ」


「……やはり、あの親父の血か」


 かつてマーガレットを「女だから」と退けた者たちが、今度は言葉を濁す。


 鍛冶組合の長老たちは、密かに顔を合わせた。


「……我々は、間違えたのか?」


「認めるには、遅すぎる」


 リヨンの誇りは、静かに傷ついていた。


 一方、マルシャルの元には、何も残らない。


 アンフィデリテは、すでに別の男の腕に収まっていた。

 彼は、酒場で噂話を聞くたび、胸を抉られる。


「ヴァルナの女鍛冶師が打った剣は、名を刻まなくても分かる」


「使えば分かる。“生きてる”」


 それは、かつて自分の工房で生まれていた言葉だった。


 夜、マルシャルは一人、閉ざされた工房の前に立つ。


 錆びた扉。

 冷え切った金床。


 そこに、もう槌音はない。


「……俺の、だったはずだ」


 だが、答える者はいない。


 鉄は正直だ。

 腕を持つ者の名を呼ぶ。


 そして今、

 その名は――マーガレットだった。


 鍛冶の街リヨンは、初めて知ることになる。


 女を追い出した代償が、

 どれほど大きな損失だったのかを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ