王太子は妹姫に下剋上されるらしい
※前作「骨太の愛は見果てぬ夢で終わらせない」をお読みいただいたほうが内容はわかりやすいです。
「本日はとても大切なお話があります。リーザ姫様の婚約者であるアチェロ公爵家のルネ様が、姫様を『女王様』と呼んでいるのです」
その日王太子であるリーンハルトは、秘書官エラリーから奇妙な話を耳打ちされた。
「……は? どういうことだ? リーザは可愛い妹だが女王になる予定はないぞ。ルネはいったい何を考えてそんなことを言っているんだ?」
言われた内容を飲み込めぬまま、リーンハルトは書類から顔を上げて机の横に立つエラリーへ視線を向けた。
プラチナブランドを結い上げたエラリーは、白磁の肌に細い顎で、瞳もぱっちりと大きすぎるくらいで、目の覚めるような美しい容姿の持ち主である。男性のスーツを着こなしているが、首は細く肩周りも華奢であり、外見は完全に庇護欲をそそる危うい美青年そのものだ。
不意打ちのようにその麗しい横顔を目にすると、慣れているはずのリーンハルトでさえドキリとして見惚れてしまう。
リーンハルトの問いに答えようと唇を開きかけていたエラリーは、その視線が自分の頬に刺さっていることに気づいて小首を傾げた。
「この顔に、何かついていますか?」
「いや別に。今日も美人だなと思っただけだ」
「ありがとうございます。顔で仕事をしているわけではないので、できれば仕事を褒めていただけるようになりたいものですね」
エラリーの返答は、実にそっけない。いわゆる「塩」だ。清楚で端整な顔立ちとあいまって、実に潔癖な印象である。それがまた魅力のひとつとなってしまっているのだが、本人だけがわかっていない。
リーンハルトは、エラリーが人目を惹きつける存在であることを知っている。本人は自分に向けられる視線にいたって無自覚であるものの、その姿を見た者たちが一様に「禁断の何か」を目にしたように息を弾ませ、鼓動を速くしているのだ。
不埒な奴らめ、失せろ。
エラリーより頭一つ分高い位置からすかさず周囲に睨みをきかせ、秋波を送る不届き者たちを追い払う。
それが、リーンハルトの日常であった。
(少しは自覚しろ)
もちろんリーンハルトの過保護には理由がある。エラリーが鈍感で危なっかしいだけの青年で、いつ男たちに暗がりに引きずり込まれるかわかったものではないというただそれだけなら「お前少しは体を鍛えろ」と剣の稽古のひとつにも付き合わせただろう。
しかし、ことはそう単純ではない。
エラリーは、男装をしている女性なのだ。
しかも、侯爵家のご令嬢で王太子リーンハルトの婚約者にあたる。そのような立場であれば、己の役目をまっとうすべく妃教育にこそ邁進していて然るべきなのだが、教師たちによると「もう教えることはない」とのこと。生来の生真面目さで脇目も振らず取り組んできた結果、すでに教師たちを凌駕する域に達したらしい。
そこで止まるエラリーではない。「ならば、これからはリーンハルト様のお仕事を手伝わせていただけますか?」と申し出てきた。本人に悪気はないとはいえ、これはいささか「出過ぎ」で、特に上の年齢層には「生意気」と受け取られることだろう。他の女性たちからも「男性の中に女性ひとりで乗り込むなんて、鼻持ちならないほどの目立ちたがり」と目の敵にされるおそれがある。将来の王妃として、それはあまり良くない。
だが、やる気のある人間につまらないことを言って仕事をさせないというのは、リーンハルトの性に合わない。やりたいならやればいい、ただし周囲の気持ちも大切にして場をあまりひっかき回さないようにしろと考える。検討に検討を重ね、話し合って出した結論が「男装」だった。これならばドレス姿のご令嬢がのべつくまなくリーンハルトにひっついている印象にもならないし、男性だらけの場でも悪目立ちしないだろうと考えたのである。
甘かった。
リーンハルトが頭を抱えるほどに男装が似合ってしまったエラリーは、いまや男女問わず注目の的である。婚約者として、片時も目を離せなくなってしまったのだ。
結果的にいつも一緒に行動しているし、理由をつけては頻繁に送り迎えまでしている。日中はこうして秘書官としての仕事を任せているのだが、内緒話がてらそっと距離を詰められるととても心臓に悪い。
「それで、ルネ様の件ですが」
匂い立つような爽やかな色気を惜しげもなく振りまきながら、エラリーは声を潜めて囁いてきた。
「リーザ様とお二人でお会いになっているときにその……なんと言うのでしょうか、特殊な遊びをなさっているのです。その場でリーザ様を『女王様』と呼んでいるのを……私、聞いてしまいました」
先日王宮にいらしたときにですね、偶然その場に居合わせてしまって……とエラリーは歯切れ悪く言ってくる。そつなく仕事をこなすわりに、どうにも間が悪いところがある彼女のこと、何かとんでもない場面にそうと知らずに踏み込んでしまったのかもしれない。
リーンハルトは不穏な気配を察して、咳払いをした。
「それは、兄が聞いていい話なのか。家族が知らない方がいい、恋人たちの秘密じゃないのか」
あわよくばこの話をここで終わらせようとしたのだが、生真面目そのものののエラリーはきゅっと眉根を寄せてリーンハルトを睨みつけてくる。
「笑い事ではありませんよ。アチェロ公爵家といえば、王家に次ぐ資産家で実力者でもありその気になればどれだけの人間を動かせるかわかったものではありません。その次期当主が、王家の姫を娶るにあたり個人的な場で『姫様』ではなく『女王様』と呼んでいるのですよ。これは叛意の疑いが濃厚ではありませんか」
「叛意?」
エラリーは目を伏せ、可憐な唇や肩を震わせて言った。
「下剋上です……っ。お、おそれながらルネ様は、リーザ様と結婚した暁には女王の地位につけるという密約を結んでいるのではないでしょうかっ」
「密約ならこんな簡単にバレるようなことはしないだろう」
リーンハルトは即座にエラリーの疑念を却下し、「考えすぎだ」と流そうとした。だが、エラリーはそれで誤魔化されてはくれない。
「だってあんな……あんな見たこともない……ルネ様は、見たこともない格好をなさっておいでだったんですよ」
「待て。何を見た?」
話の内容や妹とその婚約者の所業より、深刻な顔で言うエラリーの精神状況が心配になり、リーンハルトは思わず聞き返す。
エラリーは唇を噛み締めて黙り込んだものの、意を決したように顔を上げて言った。
「あれはまるで、服従のポーズでした。間違いなく、ルネ様はリーザ様に心酔し、服従しています。ルネ様は、この国の玉座にふさわしいのはリーザ様なのだと確信しているのです。このままでは、ルネ様とリーザ様はリーンハルト様の敵となることでしょう……っ」
「……ああ、まあ。それはそれで困るだろうなぁ……」
筆頭公爵家の次期当主と、王位継承権持ちの姫君が結託して叛意を抱いているというのがもし本当ならば、見過ごすことはできない。
だが、二人のひととなりを知っているリーンハルトは半信半疑であった。
とは言っても、顔色が悪くなるほど国の未来や兄妹の今後を思って心を痛めているエラリーのことを思うと、笑い話で終わらせることはできそうもなかった。
エラリーは、切々と訴えかけてくる。
「リーンハルト様とリーザ様が睦まじい兄妹であったのは、私もよく存じ上げております。元凶はルネ様なのでしょう。野心を抱き、リーザ様に良からぬことを吹き込んでいるのでは……。そうに違いありません!」
自分の考えに取り憑かれてしまったエラリーは、うっすらと瞳に涙を浮かべている。
王妃教育の賜物で、普段あまり感情の動きを見せない「塩」な彼女にここぞという二人きりの場面でこんな表情をされてしまうと、リーンハルトとしてはたまったものではない。
立ち上がって抱き寄せそうになったが、気合で衝動を押し込めた。
なんとか気を紛らわせようと、話を続けた。
「ルネのことは俺も知っているが、そんな男ではない。たしかに本人がその気になれば王家転覆できる実力はあるだろう、しかしあいつは争い事を何よりも嫌っている。ましてやそこに、自分の婚約者となったリーザを巻き込もうなんて考えているはずがない。そういう奴なんだ」
「ではどうして、リーザ様を『女王陛下』などとお呼びになるんですか? 服従のポーズをとりながら」
「その服従のポーズというのは一体なんだ。エラリーは、何を見てしまったんだ?」
ことの発端は、エラリーが見てしまった「何か」なのだろう。その思いから、リーンハルトは問いただす。
すると、エラリーは恥じらうように視線をさまよわせて、リーンハルトから目を逸らしたまま答えた。
「リーザ様の下になっていました」
「下? どういう意味だ?」
「そのままの意味です……。筆頭公爵家の次期当主と王家の姫であればどちらが上とも下とも言われぬ力関係でしょうに、ルネ様はまるで自分はリーザ様の臣下であるかのように振る舞っていました……っ」
んん? とリーンハルトは首を傾げた。普段は優秀で聞かれたことにはすらすらと過不足なく答えるエラリーなのに、今日はどうにも奥歯にものが挟まったような言い方をする。
具体的にどのような状況を目撃したのか、リーンハルトにはさっぱり伝わってこない。
「どうもわからないな。臣下のような振る舞いということは、婚約者であるエラリーが、俺の下で秘書官として働いているようなこの状況も該当すると思うのだが」
「それは意味が全然違います。いえ、その、リーンハルト様の疑問ももっともだとは思うのですが、あのお二人の上下はもっと直接的なものなのです!」
エラリーの反論から、どうも話が噛み合っていないことだけはリーンハルトもわかった。
その伝わらなさに、エラリーもまた歯がゆい思いを抱いているようで、長い睫毛を伏せて開け放たれたドアの方をちらっとうかがってから、リーンハルトに目を向けてきた。
「その……具体的に試してみたほうが……リーンハルト様にもわかっていただけるのかと思うのですが」
「なるほど?」
ドアを気にするようなことなんだな? と胸騒ぎを覚えつつ、リーンハルトは椅子から立ち上がった。
「鍵をかけたほうがいいか? 誰かに見られたら困るんだろう?」
「そうですね。でも鍵をかけると、中で何をしているのだと思われてしまいます。私たちはまだ婚約者であって、二人でいるのもあまり良くないでしょうに、仕事のタイミングでこうして二人きりになることはありますね。そのときに、ドアを閉めて鍵までかけてしまうと……」
言わんとすることはわかる。エラリーは男性の姿をし、普通なら男性に割り当てられるような仕事をこなしてはいるが、中身はれっきとした未婚のご令嬢だ。リーンハルトとは婚約中で多少の目溢しもあるとはいえ、それをあてこんでひとに勘ぐられるようなことは厳に慎まなければならない。
「では、あのドアは開けたままにして、続きの間の方へ行くというのは? ドアから誰かが入ってきても、死角となっているからすぐに見られることはない」
続きの間は、リーンハルトの個人的な蔵書を集めた小さな図書室となっている。本の劣化を防ぐために窓からの採光は最小限で薄暗く、調度品といえばソファや燭台を置くテーブルがあるだけの部屋だ。必要な資料を探していただけと言い逃れができる部屋で、二人でこもって怪しいことをしていたと思われる可能性はさほど高くない。
「そうですね……。私もそのほうが安心です」
エラリーは答えるなり、颯爽と歩き出す。その後ろに続く形で、リーンハルトは一緒に続きの間へと足を踏み入れた。
薄暗い部屋の中程まで進んでから、エラリーは覚悟を決めたような顔で振り返る。
「では、実践しますので、どうぞリーンハルト様もお付き合いくださいね?」
「わかった」
緊張しながら答えたリーンハルトの前で、エラリーはすっとしゃがみこみ、床に手をつこうとした。考える前にリーンハルトの体が動き、一緒にしゃがみこんでエラリーの手首を掴む。
「……っ!?」
「倒れたのかと思った」
驚いて目を見開いているエラリーに言うと、慌てた様子で「違います」とエラリーが反論した。
「これはルネ様のなさっていたことを真似ているだけです。ルネ様はこうして四つん這いとなり、背にリーザ様をのせて言っていたのですよ。女王様、と」
「……………………」
リーンハルトは言葉を失い、押し黙った。
その態度に傷ついたように、エラリーはさらに目を見開いて言い募る。
「嘘ではないのです! どうしても言葉にしにくい体勢でしたので、こう実践しているわけでして……。私には説明のつかないあれは、下剋上以外には考えられないのです!」
「その……俺の妹が我が麗しの婚約者殿をずいぶんと悩ませたようで、悪かった。兄として謝る」
「謝っていただくためにこのようなことをしているわけではありません! 私は心配しているんです! リーンハルト様はこの行為に、下剋上以外のどんな意味があるとお考えですか?」
「正直、俺にもわからない。だが、ルネには何か意味があるんじゃないか? 下剋上以外の。たぶん」
「わかりません! どうすればわかりますか? 私の頭が鈍いみたいで申し訳ないです。やっぱり、一度試してみるべきではないでしょうか。私がここで四つん這いになりますので、リーンハルト様は私にまたがってみてください」
「だめだ。それは絶対にだめだ。受け入れられない」
涙目で訴えてくるエラリーに、リーンハルトは断固として言い返した。この一線は守らなければという真摯な気持ちでいっぱいだった。
一方で、唇を噛み締めて悔しがっているエラリーを見ていると、自分がいじめてしまっているような後ろめたさで心がじくじくと痛む。
このままではいけないと思い、リーンハルトから提案をした。
「エラリーに俺が乗ったら、体格差で潰してしまうだろう。ここはひとつ俺が下になるから、エラリーが俺の背に乗ってみろ。それなら実践してもいい」
「そんな……、私がリーンハルト様に乗ったら、それこそ下剋上ではありませんか! とんでもないです! リーンハルト様が私に乗ってください!」
「無理だ。お前は何を言っているんだ。いいから、エラリーは余計なことを考えないで俺に乗るんだ。ほら、誰かが来る前に早く」
この話は長引かせてはいけない、早急に終えてしまおう。その一心で、リーンハルトはその場に四つん這いになり、エラリーを見て命じた。
「乗るんだ」
「……できません」
「いいから、やると言ったのは自分だろう。つべこべ言わずにやってみるんだ。俺に乗れ! エラリーが上になるんだ!」
「そんなのもう下剋上ですよ……」
泣きそうになりながらも、生真面目なエラリーはそれ以上命令に逆らうことなく、立ち上がってリーンハルトの背を足でまたいだ。乗りますよ、と言いながら。
背中にエラリーの重みとぬくもりを感じながら、リーンハルトは呻いて思わず呟いてしまった。
「これはなんというか、下剋上ではないが婚前交渉のようなものだな……」
その次の瞬間、きゃあっと悲鳴を上げながらエラリーが飛び上がる。
口元を手でおさえ、信じられないものを見るような目でリーンハルトを見て言った。
「申し訳ありませんっ。これは婚前交渉でしたか」
「待て。違う。いまのはたとえだ。してない、未遂だ。俺がお前の上に乗っていたら危なかったがぎりぎり防いだ。……聞け、エラリー!」
話している最中に、エラリーが走り出したのでリーンハルトは慌てて追いかけた。
「なんということをしてしまったのでしょう、いまから陛下と父上に報告に参ります!」
「何をだ!? 何を報告する気だ!? あれは婚前交渉ではない、ただのお馬さんごっこだろう! あれで子どもはできないっ」
とんでもないことを言い合いながら廊下を走る二人を、何人かの王宮仕えの者が目撃した。
それからまことしやかに「どうもお馬さんごっこは高貴な方たちの間ではやっているらしい」という噂が囁かれたとかなんとか。
エラリーとリーンハルトは、予定を早めてそれから間もなく盛大な結婚式を挙げた。
★最後までお読み頂きありがとうございました!
前作「骨太の愛は見果てぬ夢では終わらせない」にたくさんの感想をありがとうございました。普段短編の続編を書くことはあまりないのですが、感想の返信の意味で感謝の気持ちで書きました。
(あとがきに追記でこのお兄様の話を書こうとしたら長くなりすぎまして……)
お馬さんごっこの流行る国(たぶん平和)




