#8 俺の恋と人魚の命
人間になる薬を飲み、溺れていた人魚の白浜 珊瑚には……婚約者がいた。
――あー……なんだろう。心が痛い? まだ恋すら始まってないのに。
同じく彼女の婚約者の存在に驚いていた彩葉は、俺より早く通常モードに戻った。珊瑚の話をさらに深堀している。
「婚約者って、どんな人なの!?」
彩葉の脳内は超自然から、恋愛にシフトしている。
目を更に輝かせた彩葉は、前のめりで珊瑚の答えを待っていた。反対に珊瑚はタジタジとしながらも、恥ずかしそうに答えた。
「婚約者は、この海域の人魚を統べる天海様です。みんなから慕われる優しい人魚です」
――す、統べる!?
統べると聞いて、思わず隣の蒼太とアイコンタクトで驚きを共有した。エリート人魚が婚約者なのか。
「へ、へぇ~! 海域を統べるって……偉い人魚なんだ! そんなすごい人と婚約するって……珊瑚ちゃんも凄い人魚なんじゃ?」
「いえ、そんな! 私にすごい所なんて、何もありません。ごくごく平凡な人魚です」
珊瑚は謙遜するが、平凡では無いはずだ。相手が薬を盛るという卑怯な手段を使わないと勝てない程の存在……。珊瑚の家系がスゴいのか、本人にズバ抜けた才能か能力があるのか。
それか、シンプルに人魚の世界が、人間の世界よりも物騒なだけだろうか?
べ、別に婚約者が居る事実から、逃避するために考察している訳じゃない。
彩葉は女子会トークモードで軽やかに話を進める。
「え~っ! でも薬を飲ませた人魚、酷いなー。だって薬を飲ませて人間にしちゃうんだよ? 珊瑚ちゃんは人間になりたい訳じゃ無いんでしょ?」
「陸に憧れは有りましたが、こんな形で実現するのは残念でした。でも、真珠ちゃんだけが悪者じゃないのです」
――真珠ちゃん。きっと薬を盛った友人の名前だろう。
「真珠ちゃんには、私に薬を飲まさざるを得ない理由があります。だから彼女も責められません」
この珊瑚の言葉に俺は疑問を持った。なぜ婚約して結婚も決まっているのに人間にされた事を怒らないのだろう? 本心か? それともいい子ぶってる? ――はっ! まさか……
「あのさ、珊瑚ちゃん実は婚約が嫌だとか?」
「いえ、そんな事ありませんよ?」
――はい! 撃沈。そーか。婚約から逃げたい訳じゃないのか。
俺は笑顔だが、心の中では涙の雨が降っていた。早く婚約者トークおわらねぇかな? 俺の想いが通じたのか、蒼太が珊瑚に質問した。
「白浜さんは、今後どうしたい? 海に帰る? それとも人間として暮らす?」
冷静に。だが優しい口調で彼は尋ねる。その質問を聞いた珊瑚は、俺をじっと見つめた。
吸い込まれそうな深い群青色の瞳。その瞳の奥で彼女は何を思案しているのか。胸の奥が、ざわっと波だった。
珊瑚は一度瞬きすると、目を伏せ、困りながら答えた。
「ええ、そうですね……陸で果てる事は、許してくれないみたいなので」
――そうだよな。海に帰りたいよな。
心のどこかで、彼女が人間の世界にいてくれたら、俺にもチャンスがあったのではと考えてしまった。ダメだ、彼女には婚約者がいるのに。
俺を慰めようとしているのか、一反が体の端で俺の頭を撫でる仕草をした。お前……意外といい奴だな?
俺と彩葉はしんみりしているが、蒼太の質問は続く。
「白浜さんが、完全な人魚に戻る手段って残されていないの? 人魚になる薬とか……」
「はい、戻る方法はあります。以前にも似た境遇の人魚が居たので」
――有るの!?
「へぇ。興味深いね」
「ふぇ~! あるんだ!」
俺達は珊瑚の話に食いついた。ざっくり要約すると、こうだ。
昔、この辺りで人魚が攫われて殺される事件が多発した。この海域を治めていた先代の天海様が、それはそれは酷く怒って海から使者を送った。
それは珊瑚ちゃんのお母さん。
彼女が人間になる薬を飲んで陸に上がった。そして人間と協力して、人魚を殺した犯人を封印。事件は丸く収まった!
珊瑚母は、毒も薬も呪いもなーんでも無効化する『満月の杯』を持っていた。それを使って人魚に戻ったそうだ。その杯は人間との友好の証に、陸に置いてきたらしい。
――うーん。いろいろ質問したいことが山ほどある。だがここで横槍を入れたら話が進まない。ひとまず質問は飲み込もう。俺は珊瑚に確認した。
「その『満月の杯』が有れば、珊瑚ちゃんは元の姿に戻れるって事だな?」
「ええ。でも、どこにあるのか私は分からなくて……見つけるのは難しいでしょう」
珊瑚は悲しそうに肩を落した。しかし、俺はさほど悲観的になれなかった。思わず言葉が出てしまう。
「大丈夫、探し出せるよ」
3人とも俺の顔を見て驚いている。
「どうやって探すのよぅ? ありそうな所虱潰しに探すの?」
「ふっふっふ! いいや、アプローチを変えて探す。彩葉よ、俺達はオカルト研究会だ」
俺の言葉で、蒼太は気づいてくれたようだった。
「なるほど、この地域の人魚伝説を探すんだね」
そうなのだ。この家には伝承や怪談などの資料は山ほどある。そこからこの地域の人魚伝説を探せば絞り込めるだろう。
「まぁ、夏休みも始まったばかりだし! でもどうしよう? 珊瑚ちゃんの居場所……」
両親に頼み込み、この夏だけ珊瑚をホームステイさせてくれないだろうか? そんなことを考えていたら、珊瑚が申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「実は、残された時間は長くないのです……」
「「「え?」」」
珊瑚は静かに語り出す。
「薬は不完全でした。人間でも人魚でもない私は、人間の食べ物では命が保てません。持って7日といった所でしょうか……」
「7日って、すぐじゃないか!」
「それだけじゃないのです。杯は、新月から満月までの、満ちてゆく月が無いと使えないのです。つまり残り時間はあと2日です」
「……そんな」
俺達三人は言葉を失った。さすがに2日で見つけるのか? できるのか?
また眩暈がした。同時に脳裏にノイズ交じりの映像と強い感情が溢れ出す。良く分からないけど、このままでは絶対にダメだ。彼女を地上で死なせない。それに――
ひとりにさせない。
「3人には大変お世話になりました。でも……皆さんを、これ以上捲き込む訳には行きません。……海で死ねない今際の際の人魚は、人を惑わします。なので一週間は海に近づかないでください。私から出来るお願いはそれだけです。ありがとうございました」
珊瑚は深々とお辞儀すると立ち上がった。
「待ってくれ」
「「「!」」」
俺は、彼女が立ちあがったと同時に、彼女の左腕を掴んでいた。
「待ってくれ、珊瑚。君を人魚に戻して必ず海に帰す。だから俺に時間を分けてくれ!」
珊瑚は驚いて目を丸くした。彼女の潤んだ瞳の奥が、星空のように輝く。涙をこらえる彼女の表情は複雑だった。嬉しさと悲しさ、相反するものが混ざり合っている。
「悟くん……」
そう零した彼女は、こくりと頷いた。
俺自身、なんでこんな言葉をかけたのか変わらない。
でも……彼女を絶対に、海へ帰さないといけない気がした。




