#23 & 番外 海に帰る者に幸あれ & 海の底で
「……狐を倒した!!」
俺の口から、嬉しさと安堵の声が思わず漏れてしまった。
腰まで海に浸かっている珊瑚も、嬉しそうに隣の真珠に抱きついた。真珠も歓喜の声を上げそうになるが、珊瑚の手によって口を塞がれる。
――珊瑚も生きている。満月の杯も無事だ。
嬉しくて立ち尽くす俺の元に、足を引きずる蒼太と、彼に肩を貸す彩葉がやって来た。
「狐、退治できたね!? 珊瑚ちゃんも真珠ちゃんも凄……あれ? ねえ、何で2人とも口を塞いでるの?」
そうだ、この時の彩葉たちは知らないんだ。
「人魚の声は人間を惑わすんだ。だから俺達の為に、声を出さないでくれている。さぁ、3人を人魚に戻そう」
◆
俺達を祝福するように輝く、夏の星座と丸い月。膝まで海に浸かった俺は、珊瑚が持つ満月の杯にペットボトルの水を注いだ。
なみなみと注がれた杯の中に、星空と満ちてゆく月が映る。月の姿を捕えた杯はふわりと金色の光を宿した。
珊瑚は、隣で座っていた真珠に、杯を差し出す。
真珠は静かに受取り、杯の水を口に含み飲み込んだ。すると、金色の光が弾け細かい粒子が真珠を包む。
杯を珊瑚に返した真珠は、潜れる深さまで移動する。すると、ちゃぽんと濃紺の海に潜った。呼吸が出来るかを確認したのだろう。海面から頭を出した真珠は、問題ないと頷き合図した。
――人魚に戻れてよかった。
俺は、波打ち際で蒼太と彩葉と一緒に佇む、シイラに声をかけた。
「シイラ! 来い、次はお前の番だ!!」
「ふん、人間。命令するな」
シイラはぼやくと、ジャケットを脱いだ。近くに居た蒼太にそれを押し付け、ベルトを緩めながらじゃぶじゃぶと海の中へ歩みを進める。俺の元に来る頃には、ターコイズブルーと黄色の鱗をもった人魚の姿になっていた。
彼も珊瑚から杯を受け取り、黙って水を口に含むと光が舞った。
柵から解放されたシイラは、ほっと溜息をついた。彼は俺に肩パンを一発入れると、静かに真珠の元へ向かった。
真珠はシイラに抱きついた後、シュンとしながら、こちらと浜辺を見た。
「真珠ちゃん! また遊びにおいで!! 美味しいもの沢山食べよ!!」
彩葉が真珠に言葉を贈った。蒼太も彼女に続く。
「ふたりとも、兄妹仲良く暮らしてね」
泣きそうな真珠の頭をシイラが優しく撫でていた。視えない力に振り回された兄妹。俺も彼等に別れの言葉を贈る。
「シイラ、真珠、大丈夫だ。珊瑚が付いている。それに海の底に嫌気が差したら、またこっちに来い」
泣を零す真珠と、歯を食いしばりるシイラは俺達にぺこりと頭を下げた。そして、ゆっくりと泳いで故郷の海へと消えた。
「珊瑚ちゃん……!」
寂しそうな彩葉に、珊瑚は困った笑みを浮かべて頷く。そして、珊瑚も杯の水を飲んだ。
「珊瑚ちゃん。元気でね? また逢えたらいいんだけどなぁ……」
「白浜さん、お元気で。海の底でもお幸せに」
珊瑚は2人の言葉に力強くうなずく。俺も珊瑚に最後の言葉を……言う前に。
「ゴメン、2人とも。少し離れて待っていてくれないか? 珊瑚と話したい」
「え……人魚の声を聞いたらダメなんじゃ?」
「タイムリープしたせいか、俺は大丈夫みたいだ。シイラの声も真珠の声も効かなかった。だから、頼む」
「わかった。彩葉ちゃん行こうか」
二人は波打ち際から離れてくれた。
俺は目の前にいる珊瑚を見つめた。月光を浴び、瞳の奥に星の光を宿らせる珊瑚は、夢の中で見た彼女より、過去に逢って来た彼女より一番綺麗だった。
「珊瑚大丈夫だよ、珊瑚の涙を飲んだから魅惑は効かない。声を出したからってリセットしないよ」
「……え?」
過去の俺達は何度も何度もタイムリープしている。数回泣いただけで彼女達の妖力は消えたりしない。それは珊瑚の体から妖力が涙で流れて消えるほど。
人魚の声に惑わされてもバッドエンドだ。過去の俺はリセット……つまり、魅惑しようとした彼女を何度も手に掛けたことがある。
「俺、珊瑚に酷い事をしていた。……ごめん。全部覚えている訳じゃ無いけど、断片的に珊瑚と繰り返したこの夏を覚えてる。珊瑚は全部はっきりと覚えているんだろ?」
「覚えてます。あやかしの問題に、悟君を巻き込んでごめんなさい。私、悟君達の気持ちや、人生も考えず酷い事した……嫌われてると思ったのに、何度も助けてくれて……うれしかった」
「俺が決めてやった事だ。間に合ってよかった。誰も珊瑚を食べずに、珊瑚を海に帰すことが出来てよかった」
珊瑚は涙を流すが、その涙はもう宝石に変らない。彼女の悲しみは全て俺の中にある。
「悟君のお陰で、狐が世界を荒らす未来は再び避けられました。この鏡は海の底に沈めて封印します。悟君……これを受け取って?」
珊瑚はふわりと微笑んで、満月の杯を俺に差し出した。
「お母さんは、友好と感謝の証にこれを人間に渡したの。だから私も、友好と感謝の証に悟君へ渡したい」
俺は月の様に輝く杯を受け取って、思った。
――これで珊瑚と永遠にお別れだ。
珊瑚に気持ちを伝えようか迷った。殺したいほど彼女を憎んだ俺もいた。出会った事を後悔した俺もいた。でも、何回も彼女との出会いを繰り返して、運命の中で溺れる彼女と過ごして、想いは魂に募って行く。
俺が最後に贈る言葉は……
「珊瑚、お幸せに」
「うん。悟君もお幸せに」
珊瑚は俺を見ながら、ゆっくりと沖へ向かい泳ぎだした。砂浜に居る彩葉と蒼太に大きく手を振り、最後に俺に向けて手を振る。彼女は海面で大きく跳ねて海へと帰った。
これで、全部終わった。
俺は、ざぶざぶと水を蹴り、大きく水しぶきを上げながら、岸で待つ二人の元へ戻る。
「悟!……どうしたの? 泣いてる?」
「泣いてねーし。ほら通報される前に帰るぞ」
「悟、大人に成ったね」
「うるせいやい」
ずぶ濡れの俺達は、優しい月明かりに照らされながら家路を辿る。
◆ ◇ ◆
「――と言う事で、九尾事変に繋がる未来を消すことが出来ました」
海の底に戻った私達。
海の底では3人が行方不明となって大騒ぎでした。私は真珠ちゃんとシイラ君を白浜の屋敷に預け、ひとり天海様のお屋敷へ向かい、彼に洗いざらい全てを報告しました。
初めて会う天海様は、岩を削って造られた椅子に座り、私の話を真剣に聞いてくださいました。彼は、全てを聞き終えると、静かな調子で話します。
「成程、狐と黒潮家が裏で手を組んでいたのか。過去の戦にも関係があるかもしれないね……。わかった、黒潮家についてはこちらで調べよう。だが、黒潮真珠とシイラは同胞殺しの禁忌を犯した。罰せなければいけない」
「天海様、私は生きております。それに私も2人を利用して陸に上がりました。彼等が居ないと、今回の事は成し得ません。どうか2人は、私にお任せください」
「……わかった。2人の処遇は君が決めなさい」
「寛大なお心使い、ありがとうございます。2人は白浜家が引き取ります。彼等には二度と黒潮家の門は潜らせません。……それと、天見様に重要なご報告が」
「なんだい?」
「『先見』の異能を失いました。なので、それを踏まえて婚約の件を考えて頂きたいのです」
異能ありきの婚約。つまり、私は婚約者である資格を失ったのです。人魚達の未来を切り開くとされたこの力。それが失われれば、冷静な天海様も狼狽します。
「無くしただと? なぜ、無くした?」
「この未来を掴み取るのに、異能を使い過ぎ、更に涙を流しすぎました。失望させてしまい、申し訳ございません」
「……九尾の災いを遠ざける為なら仕方ない。だが、君が居なくなり、黒潮家とも婚約は無理だ。となると……」
「次点は私の姉さまですね?」
私が顔をあげると、天海様は驚かれていました。でも私は知っています。
「天海様、どうか次の代と言わず、貴方様が本来の想い人と添い遂げてください」
「……君はなんでも知っているな。どこまで未来を視たんだ?」
実を言うと……私が持っていた能力は『先見』では無いのです。実際は……『死ぬと時間を遡る能力』。私は自身が体験した未来しか知りません。周囲からしたら、未来を予見する様にみえたでしょう。
「最悪な未来はほぼ全て見ました。でも、この先の未来は見えません」
「ふっ……惜しい異能を無くしたな」
「いえ、もともと私のものでは有りませんでしたから」
――そう、この能力は8年前にとある少年から譲り受けたもの。有るべき所に帰っただけなので、私に未練は有りません。
「では、九尾事変を防ぎ、狐を封じた鏡を持って帰った優秀な君に、褒美を渡したい。何か願いは有るかい? 私が出来ることなら協力しよう」
「ありがとうございます。そうしたら――」
海の底で私達の絡まった運命の糸も無事に解すことが出来ました。
これで繰り返しの物語は終わりを迎え、新たな物語がはじまります。
私達は、どうなるのでしょう? 楽しみです。




