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第四幕

収穫期の兆候は、残酷なほど美しかった。


シロの体から放たれる光は日に日に輝きを増し、秘密の庭全体を夜でも昼のように照らし出すほどだった。


それはまるで、自らの命を燃やし尽くす最後の祝祭のようだった。


アキは、その神々しいまでの光景に目を奪われるたびに、胸をナイフで抉られるような痛みに襲われた。


「シロ……」


アキが彼の名を呼ぶと、シロはいつもと変わらず穏やかに微笑むように葉を揺らす。


彼自身は、己の運命に気づいているのだろうか。


それとも、ただ愛される喜びに満たされて、迫りくる終焉を知らずにいるのだろうか。


どちらにせよ、それはアキにとって耐え難い苦しみだった。


彼はあらゆる文献を読み漁った。研究所から持ち出したデータ、古い植物学の禁書、果てはオカルトめいた伝承まで。


植物人間の成長サイクルを遅らせる方法、収穫期を回避する術がないか、必死で探した。


だが、どのページをめくっても、答えは同じだった。


定められた生の頂点に達した個体は、その生命情報を次代に残すことなく、エネルギーを放出して消滅する。


それが、彼らの存在理由であり、覆すことのできない摂理だった。


「そんな摂理、俺がねじ曲げてやる」


アキは焦燥に駆られ、様々な薬品を調合し、シロに投与した。


成長抑制剤、細胞分裂の阻害薬。だが、それらはシロを苦しめるだけだった。


彼の葉は色を失い、美しい光は弱々しく瞬いた。シロの蔓が、苦痛を訴えるようにアキの腕に絡みつく。


その弱々しい感触に、アキは我に返った。


「すまない……すまない、シロ……」


彼は自分のエゴを恥じた。


シロの命を繋ぎ止めたい一心で、彼を傷つけていた。アキは調合した薬品を全て捨て、ただ、残された時間を慈しむことを決めた。


穏やかな日々が戻った。二人は言葉を交わす代わりに、触れ合うことで互いの想いを確かめ合った。


アキはシロの隣で眠り、彼の根が大地から吸い上げる水の音を、子守唄のように聞いた。


シロはアキの髪に蔓を絡ませ、そこに小さな露の粒をつけて、朝の光で虹を作って見せた。


永遠に続いてほしいと願う時間は、しかし、砂時計の砂のように着実に落ちていった。


ある満月の夜、シロの輝きは頂点に達した。


温室のガラスが、その光を反射して銀色にきらめいている。アキは、その時が来たことを悟った。


彼は、覚悟を決めてシロの傍らに座った。


シロは、これまでで最も美しい姿をしていた。


体中から咲き誇る青い花々は、まるで銀河そのものを宿したように輝き、その瞳は深い慈愛に満ちて、アキを穏やかに見つめていた。


「アキ……」


初めて、はっきりと、シロが声を発した。


それは風の音のようでもあり、葉の擦れる音のようでもあったが、紛れもなくアキの名を呼ぶ声だった。


「アキ……名前をくれた。愛を教えてくれた。……幸せだった」


「やめろ、シロ。喋るな。そんな……最後の挨拶みたいに」


アキの声は、涙で震えていた。


「終わりじゃない」


シロは、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。


すると、彼の胸の中心が、一際強く輝き始めた。光が収束し、凝縮していく。


アキが息を呑んで見守る中、その光は一つの小さな塊になった。


シロは最後の力を振り絞るように、その光る塊を胸から取り出し、アキの掌にそっと乗せた。


それは、琥珀のように透き通り、中に小さな緑の渦を宿した『種子』だった。


「シロの、すべて……アキに、あげる」


種子を渡し終えた瞬間、シロの体から力が抜けていくのがわかった。


「シロ!しっかりしろ、シロ!」


泣きながら、シロの体を抱きしめていると


シロの最後の声が、風に乗ってアキの耳に届いた。


「愛してる……アキ……」


「シロ、俺も愛している、死ぬな」


アキは叫び、彼の体を強く抱きしめた。


シロはにっこりと微笑んだ後、目を閉じた。


「起きろ、シロ」と揺さぶるが、もう反応はない。


腕の中にはもう、温もりも重みもない。


ただ、握りしめた掌の中にある、小さな種子の確かな熱だけが、シロが確かにここにいたことを告げていた。


「ああ……ああああ……っ!」


慟哭が、夜の森に響き渡った。


愛する者を失った絶望と、最後に託された希望の重みに、アキの心は引き裂かれそうだった。


彼は掌の種子を胸に抱きしめ、夜が明けるまで、ただ泣き続けた。



数年の時が流れた。


かつて秘密の庭があった場所は、今では豊かな緑に覆われている。


その中央に立つアキの姿は、以前とは全く違っていた。


彼の左腕には、まるで精巧なタトゥーのように、緑色の蔓が絡みつき、その肌から直接、生命力溢れる葉が芽吹いていた。


シロが消えたあの日、アキは決意したのだ。


シロの種子を、ただ土に植えるのではない。


自分の体こそが、彼が生きるべき最も温かい大地だと。


彼は庭師の知識を応用し、自らの腕の皮膚を切り開き、そこにシロの種子を埋め込んだ。


拒絶反応と高熱に何日も魘されたが、彼の体は、やがてシロを受け入れた。


アキの血管を流れる血は、シロの新たな養分となり、シロの葉は、アキのために光合成を行う。


二人は、文字通り一つの体となって、今を共に生きていた。


アキは、自分の腕に絡みつく蔓に、愛おしそうにそっと口づけた。


すると、彼の口づけに応えるように、蔓の先に結ばれていた蕾が、ゆっくりと花開いた。


それは、夜空の色を閉じ込めたような、一輪の青い花。


彼は一人だったが、決して孤独ではなかった。


風が吹き、腕の葉が優しく揺れる。


それは、シロが彼に囁きかけているかのようだった。


「愛してる」と。


アキは空を見上げた。


そこには、シロの瞳と青い花と同じ、どこまでも広がるような青空があった。


彼の表情は、研究所にいた頃の無機質なものではなく、全てを受け入れた者の、深く穏やかな微笑みに満ちていた。


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