第3話:「少年の記憶と、消された“魔法”の痕跡」
夜の帳がゆっくりと街に落ちる。
ルシアとリオンは、瓦礫の中にあった比較的安全な民家の跡に身を寄せていた。
壁は崩れ、屋根は抜けているが、それでも風と獣の気配を多少は防げる場所だ。
ルシアは小さな火球を手のひらに浮かべ、揺れる焰の光で手帳をめくっていた。
それは、彼女が千年前に記した研究記録の写し。
“アルセリア式”と呼ばれる彼女独自の魔法理論の断片が綴られている。
「魔力が希薄すぎる……この時代、魔素濃度が半減しているわね」
ふと、焰の光の中でリオンが小さくつぶやいた。
「……ねえ、ルシアさん。魔法って、本当に“あった”の?」
その声に、ルシアは視線を上げる。
「“あった”のではなく、“あったものを消された”のよ」
「……?」
リオンは困惑した顔を見せる。
ルシアはゆっくりと手をかざし、床の砂埃に指で円を描く。
そこに、古代魔法の式を刻むように記号を描くと――
「《視界の反転・記憶の歪曲》」
風が一瞬吹き、描いた式が揺れた。
次の瞬間、リオンの目に、まるで現実の一部が“上書き”されたような景色が映った。
崩れたはずの壁が立ち、家屋が蘇る。
空には星々が明滅し、空中に浮かぶ幻灯がまばゆく輝く。
「……これ、なに……?」
「魔法の“再現”よ。私の記憶と魔力を通して、一時的にこの空間に千年前の“真実”を重ねたの」
リオンは目を見開いた。
「じゃあ、今まで俺たちが生きてきた世界って、偽りだったの?」
ルシアは静かに首を振った。
「偽りではない。**“奪われた”だけよ。誰かが意図的に、魔法と歴史をこの世界から葬ったの」
「そして、記録を破壊し、語り継ぐ者を“異端”として処刑した。私のようにね」
そう言って、ルシアは少しだけ哀しげに笑った。
「魔法は、道具ではない。
それは“知”であり、“力”であり、“自由の象徴”だった。
それを封じるということは、人間から“選択肢”を奪うということ」
リオンは、小さな声で訊いた。
「じゃあ……その“誰か”って、誰なんだ?」
ルシアの瞳が、一瞬だけ鋭くなった。
「まだ断定はできないわ。
けれど……この千年のあいだに、何者かが魔法の概念そのものを禁じ、書き換え、そして世界に“嘘”を植えつけた」
そのとき、遠くで低い音が響いた。
――ゴォォォ……という風のような唸り声。
ルシアが立ち上がる。
「……来たわね。“時の侵食獣”よ」
「し、しんしょくじゅう……?」
「千年前、魔法文明が崩壊しかけたとき現れた“時喰らい”の魔物。
魔力に惹かれて現れ、記憶や構造を“時間ごと喰らう”存在よ。……面倒な相手ね」
ルシアは、杖を取り出す。
「リオン。下がってなさい」
リオンは戸惑いながらも頷く。
そして、崩れた窓の向こうから、その“黒い霧のような獣”が姿を現した。
ルシアは空中に手をかざし、呪文を紡ぐ。
「我が名はルシア=アルセリア。千年の眠りを破りし、魔導王家の正統な継承者。
――我が理に従い、理を焼き払え」
杖が輝き、魔法陣が出現する。
「《紅蓮封呪・輪界斬》!」
炎が爆ぜ、紅蓮の光が獣を貫いた。
黒い霧は断末魔のような音をあげ、そして――音もなく消えていった。
静寂が戻る。
「……魔法って、こんなにも……」
リオンの瞳が震えていた。
ルシアは振り返り、少年に向かって微笑んだ。
「そう。魔法は――本来、世界そのものを書き換える力なのよ」
少年の心に、その言葉が深く刺さった。
そしてそのときから、リオンの中にある小さな種が芽を出す。
かつての“処刑者の末裔”としての後悔と、
それでも魔法を知りたいという、純粋な探究心が――