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6・寵愛いらないです


「正式にご挨拶申し上げる前に、このような訪問になってしまいましたね」


 菫花(きんか)殿の侍女――香月(こうげつ)という名らしい――に連れられ、封呪に詳しいという妃嬪、洪芳静(こうほうせい)が菫花殿を訪れた。位階は、現在後宮にいる妃嬪の中では最上の、昭儀という位らしい。洪家は方術使いの家系で、高名な宮廷方士を数多く輩出した名家だそうだ。芳静も幼いころから祈祷や封呪や厄除けの術式を学んでいたという。


 巫毒の壺に案内すると、禍々しい気はないのでこれは呪詛ではないだろうが、念のため預かろうという話になった。夜鈴は最初たしかに呪いの気を感じたのだが、めんどうなので「それならよかったです」と言っておいた。


 香月がいそいそと芳静をもてなす準備をする。奴婢根性が抜けきらない夜鈴は自分も立ち上がって手伝おうとしたが、香月に「とんでもございません!」とたしなめられて、仕方なく(ながいす)に腰を下ろした。着慣れない豪奢な襦裙を気にしてもぞもぞしていると、向かいに座った芳静がゆったりと話しかけてきた。


「夜鈴様は大変お美しくていらっしゃるのね」

「はあ」


 なんと返してよいかわからず顔を上げる。芳静は大人びた微笑を浮かべている。芳静は着こなしや立ち居振る舞いが洗練されていて、奴婢同然だった自分より彼女のほうがここではずっと美しいだろうにと思った。


「どこか神獣のような気高さがあって」

「神獣ですか?」


 それなら妖魔の間違いだ。妖の血を引くと際立った容姿を持つことがあると、祖母が言っていた気がする。人目を引く容姿は夜鈴にとってありがたいものではなかった。母だって美しくなければ父は体の関係を持とうとしなかっただろうし、夜鈴だって母に似ていなければ、峰華にああまで酷い目に遭わされずに済んだかもしれない。平凡な容姿であったなら、気位の高い麗霞があんなに残酷にならなかったかもしれない。


「吸い込まれそうな紺碧の瞳ね――。星を散らした夜空のよう」


 細い指が顎にかかり、夜鈴はくいっと正面を向かされた。

 芳静の人形じみた顔が目の前にある。年の頃は二十二、三歳くらいだろうか。黒目がちで色白で、薄紫を基調とした清楚な襦裙がよく似合う。夜鈴の目をじっとのぞきこんでいるが、表情はなく何を考えているのかよくわからなかった。


「あまり見ないほうがいいですよ」

「なぜ?」

「わたしは妖の血が混じっているから。あなたが穢れます」


 夜鈴がそう言うと、芳静は困ったように淡くほほえんだ。


「ここではそんなことを言ってはだめよ。人ならざる者の血が混じるのは、あなただけではないのだから」

「えっ」


 自分だけではない? 夜鈴は目を見開いた。


「そう……まだご存知ないのね」

「えっ。えっ。……誰?」


 芳静は夜鈴の耳元にそっと唇を近づけた。


「――主上よ」


 ささやくように芳静は言った。




 主上。つまり皇帝陛下のことだ。

 皇帝が妖の血族? それって大丈夫なのだろうか。


「そう言えば香月。卓に出てた甜点心(おかし)、食べちゃいました。おなかがすいていて」


 芳静が菫花殿を去ったあと、香月が淹れてくれたお茶をちみちみと飲みながら、夜鈴は言った。


「ふふ。お口に合いましたか?」

「ええ。周家で食べたものより、ずっと」


 苦くないし、げえげえ吐かずに済んだし。


「まあそんな。周家でいただく糕も素晴らしいものでございましょう?」


 このおだやかな侍女に、自分が周家でどう扱われていたか説明したら、どんな顔をするだろうと夜鈴は思った。見た目どおりのやさしい人なら困らせるだけだし、敵ならば余計な情報を掴ませるだけだ。実家では奴婢以下だったことを正直に言う気はない。


「芳静様、すぐ来てくださっていい方ですね」


 夜鈴は話を逸らした。


「芳静様は、妃嬪の間でも一目置かれたお方です。その……陛下の寵妃でいらっしゃいますので」


 そう言う香月は気まずそうに目を伏せた。なぜだろう。


「へぇ。そうなんですか」

「でも、夜鈴様も大層美しくていらっしゃいますから」

「はあ」


 だからなんだ?と夜鈴は思った。


「夜鈴様も必ずや、陛下の寵愛を得られることと思います!」

「……は?」


 驚いて香月を見ると、伏せ気味から一転、キリッと眉目を吊り上げぐっと拳を握っている。やる気だ。なにをやる気なのか知らないが。


「寵愛……いらないですけど」

「なぜですか!?」

「めんどう……」

「めんどう!?」

「一応妃ですから、求められれば致さなければならないのはわかってますけど、なるべく、避けたい」

「なぜですか!?」

「だって呪われるし」


 せっかく継母と妹の悪意から遠ざかったのに、下手に皇帝の寵愛など得て妃たちに妬まれたら、周家での日々の繰り返しになるかもしれない。後宮にうずまく嫉妬はそれはそれは激しいものだと、周家の使用人たちが噂しているのを小耳に挟んだことがある。手足を切り落とされて壺に漬けられた妃もいたとかなんとか。毒入りの甜味を食べさせられるなどかわいいくらいだ。


「夜鈴様……」

「さっそく呪われてたじゃないですか。芳静様は呪いじゃないって言ってくれましたけど、わたしわかります。あれは呪詛でした。呪いが消えたのは、たぶん……わたしの力のせいです」


 喰呪鬼様。喰呪鬼様。

 祖母の声が心に蘇る。幼い夜鈴は呪いの気配に引っ張られるように呪符や人型や毒壺を見つけて……その後どうした?


 ――何もしなかった。する必要がなかった。


 このような物が呪いの形代です。喰呪鬼様はいらっしゃるだけで、これらが発する呪いを吸い込み、呪力を無にすることができるのです――。祖母はたしか、そう言っていた。


「そうだ、いるだけでよかったんだ。わたし、いるだけで呪詛をなくせるんです。便利ですね……。きっと便利だから、後宮に呼ばれたんです。わたしは正妻の子ではなくて、父の正妻にそれはもう酷く嫌われてましたから、後宮入りを請われたなら父は好都合だったと思います。皇帝陛下に取り入るついでに、厄介払いもできて」

「夜鈴様、そんな……」


 ずいぶんたくさんしゃべってしまった。香月がやさしげだからかもしれない。香月だって敵かもしれないのに。敵でなくとも、周家のあの奴婢の男のように、誰かの命令次第で酷いことをしてくるかもしれないのに。


「別にいいんですよ、別に。なんだっていいです。忘れてください。糕おいしかったです」

「い、いくらでもお持ちしますから! 甜点心なんていくらでも」

「はあ」

「菫花殿では夜鈴様に心からおくつろぎいただけるよう、わたくし誠心誠意おつとめいたしますから!」

「や。適当でいいです」

「おつとめさせてください!」

「なんで」

「わ、わたくしも妾腹の子で……父の家から邪魔者にされて……うっ」

「ああなるほど」


 自分の身に重ね合わせたわけか。


「この度、夜鈴様の侍女に推薦され……やさしい方ならうれしいと思っていました。よかったです。夜鈴様がよい方で」


 よい方。そう言われて、夜鈴はびっくりして目を見開いた。


「よくないですよ! 異能持ちの穢れた妖ですよ!」

「ご自身のことをそんなふうにおっしゃらないでください」

「いや、だって、ずっとそう言われてたし」

「周家ででしょうか? ……なんて、なんておかわいそうな夜鈴様」


 香月は目に涙をいっぱい溜めて、いたわるように両手で夜鈴の手をとった。


 この人ちょっと思い入れが激しいな?と思った夜鈴だったが、香月の手のあたたかさに、不思議とくすぐったい気持ちになった。


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