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26・葵咲く廃庵の庭


 野餐(ピクニック)から数日間出しっぱなしだった天幕がようやく片付けられ、夜鈴は何もなくなった葵庵の跡地に来てみた。持っている中で一番地味な襦裙を着て、手には鎌を持っている。


「よいしょっと」


 袖をたくしあげ、中腰でザクザクと雑草を刈っていく。夜鈴の手つきに危なっかしさはない。周家でさんざんやらされたから、草刈りなんて慣れた仕事だ。立葵だけは慎重に避けて、雑草の山を築いていく。


「こんなもんかな」


 雑草のなくなった跡地を見て、夜鈴は満足げにうなずいた。

 周囲をきょろきょろ見回して人影がないのを確かめる。

 

 夜鈴は葵庵跡地の真ん中に、ごろんと仰向けに横になった。手足を伸ばして大の字になる。日差しをさえぎるものがないから眩しくて、瞼を閉じた。

 視界を閉ざすとより一層感じることができる。


 ――この場所に受け入れられていることを。


(気持ちがいいなあ)


 この後宮の中で、菫花殿と葵庵跡地だけは夜鈴を受け入れてくれる。

 喰呪鬼の「居場所」だ。

 でもこれ以上、後宮に「居場所」を増やそうとは思わなかった。後宮全体が夜鈴の「居場所」になることはない。


(だって……後宮はおそろしいから)


 夜鈴はそっと目を開いた。幽鬼の存在を感じとれる夜鈴は、妖の存在もうっすらとわかる。妖の気配が近づいてきている。でも焦る必要はない。この妖は危険ではない。


「何をやっているのだ。夜鈴」


 妖が声をかけてきた。

 夜鈴はもそりと身を起こし、立ち上がって拝礼した。


「主上」

「昼寝か?」

「そんなようなものです」

「眠れるのか? こんな荒れ地で――草が片付いているな」


 星宇が夜鈴の刈った草の山に目をやった。山のすぐ横に転がっている鎌にも。


「おまえが刈ったのか?」

「はい」

「言えば誰かにやらせたのに」

「わたしがやりたかったんです。わたしが葵翠様の庭をきれいにしたかったんです」

「夜鈴……」

「草を刈って、花でいっぱいにしたいんです。西瓜も植えて……葵庵があったころみたいにしたいんです。葵翠様がおだやかに暮らしてたころと同じに……」


 鼻の奥がつんとして、だんだん涙声になってきてしまった。まずいと思って口を閉じたら、今度は目に涙が盛り上がってくる。あれよあれよという間に涙があふれて、夜鈴はボロボロと泣いた。

 あふれる涙を止めようがなく流れるに任せていると、星宇が自分の袖でぬぐってくれた。高そうな長袍を涙で濡らしていいのかと言おうと思ったが、星宇がなんともせつなそうな顔をしているので何も言えない。


「喜春がおまえに渡したという、葵翠の文を読んだ」

「……芳静様が持ってっちゃったから取り返したかったんですよ。返してください」


 星宇が隠しからごそごそと文を出す。

 受け取ってなにげなく開いてみたら、かわいらしい葵翠の文字が目に入ってまた泣けてきてしまった。

 同じ時間を生きていたら、夜鈴にもこの文字で文をくれたかもしれない。

 しかしもう、彼女に妹妹と呼んでもらえないし、姐姐と呼ぶこともないのだ――。


「夜鈴。おまえに見せたいものがあって持って来たのだが……」

「なんですか?」


 ぐしゅんと鼻をすすりながら尋ねると、星宇は離れた位置に付き従っている李徳に目配せした。李徳が塗りの箱を開け、近づいてうやうやしく星宇に差し出す。

 星宇が箱から取り出したのは、古びた絹団扇だった。張られた絹地はところどころ裂け、房飾りは退色している。描かれた画も色褪せていたが、夜鈴はその画に釘付けになった。


「西瓜の画……?」


 花も葉もある蔓に生っている西瓜の画。桜花殿で見せてもらった画冊にくらべたら、随分と拙い画だ。しかしどこかとぼけた味わいのある筆致で、団扇という丸くて女性らしい品によく合っている。

 夜鈴は絹団扇から顔をあげ、星宇の顔を凝視した。


「もしかしてこれ、葵翠様が描いたものですか……?」

「わからない」

「線のかんじが、葵翠様の文字に似てる……。それに、この手紙に、絹団扇に西瓜の画を描いてあげるからお揃いにしようって話が……」


 夜鈴を見つめ返す星宇の表情は、なぜかつらそうに見えた。


「主上。この絹団扇はどなたのですか?」


「――華萌だ」


 夜鈴は目を見開いた。

 華萌。かつての皇后。宇俊皇子の母親。


「俺が託された彼女の遺品の中にあった」

「もしかして、この手紙の宛先は……」

「皇后だったころの華萌だろう。どこから流出したのかわからないが」


 星宇の答えに、夜鈴はふるえてその場によろよろと膝をついた。

 香月が読んでくれた文の内容を思い出す。


 この前いただいた(カステラ)がおいしかった。

 葵が咲いて窓からの景色が最高に良い。

 団扇に西瓜の画を描いてあげるからお揃いにしよう。


 それから、夜鈴の話。


〈あのときあなたがわたしにしてくれたように、わたしもその子を自分の庵に連れて行ったの。衣を着せてあげて、西瓜を出してあげたら、その子はまた泣いてしまったの。表情をなくして、大粒の涙だけぽろぽろ流すの。なんて胸をしめつけられる泣き方をするのかしら。わたしもそんなだったかしら?

 こんなときどうしたらいいか、わたしはあなたに教わったのよ。そっと抱きしめてこう言うの。


『だいじょうぶよ、妹妹。意地悪な姐姐ばかりじゃないわ』


 あなたがやさしかったから、わたしも意地悪な姐姐にならずにすんだわ。あなたがわたしにくれたものをわたしも妹妹にあげたいの。やさしくしてくれる人がいて、やさしくしてあげられる人がいるから、わたしはこの後宮で生きていけるのよ〉



「……どうして?」


 誰に問うでもなく、夜鈴はつぶやいた。

 星宇に手をとられ、ゆっくりと立ち上がる。


「どうして? どうして華萌皇后が我が子を殺されて、葵翠様が殺したことにされるんですか? 陰謀? 権力をめぐって? これって当たり前のことなんですか? 後宮では、当たり前のことなんですか?」

「夜鈴……」

「どうしてそんなことが起こるんですか? 子供を殺して、仲のいいやさしい二人を苦しめて、そんなにまでして何がほしいんですか? 地位とか権力って、そんなに大事なものなんですか?」

「……」

「もういやです。こんな悲しいこと、もうみたくないです。主上、わたし出て行きます。後宮を出ていきま……」


 涙と言葉が止まらなくなった夜鈴を星宇が抱きしめる。

 広い胸に顔を押しつけられ、夜鈴は溢れ出る言葉を塞がれた。



「俺を置いていかないでくれ」



 ささやくように、絞り出すように、星宇が言った。

 夜鈴は息が止まりそうになった。


「……ずるい」

「狡いのは重々承知だ」

「ならわたしもずるいこと言います。一緒に出ていきましょう」

「わかった」

「は……!?」


 夜鈴はがばっと星宇から身を引きはがした。

 何を言ってるんだ、この男?


「あの……主上? あなた皇帝ですよね?」

「地位と権力はそんなに大事なものなのかと問うたのはおまえだ。大して大事じゃない。それが答えだ」

「そんな無責任な!」

「無責任な男は嫌いか?」

「嫌いですよ!」

「なら出ていかない。代わりにおまえも出ていかせない」

「出て行きますもん!」

「行かせない。俺は権力者だから」

「権力者なんか嫌い」

「ならやめる。でも無責任な男は嫌いなんだろう? どのみち嫌われるならどっちでもいいだろう」

「わたしと別れるという道は」

「ない」


「……!」


 夜鈴は二の句が継げなくなった。


「言っただろう。俺とおまえはつがいだ」

「そんなこと言われたって!」

「安心しろ。おまえが自覚するまで待つから。待っているからはやく成熟して俺に惚れろよ」

「……!」


 夜鈴が何も言えずに口をぱくぱくしていると、星宇は手にした絹団扇をじっと見つめた。


「こんな悲しみはなくす」


 静かだが、決意に満ちた声で星宇は言った。


「主上……」


「華萌はこの団扇を捨てなかった。葵翠を恨んでいたら捨てていただろう。無実を信じていたのに救ってやれなかった後悔があるのではないか。そんな恩人の最後の願いに、俺はどう答えたらいいかな」


 元皇后、華萌の願い。

 後宮をなくしてほしい。

 それができないなら、後宮の女たちに安寧をもたらしてほしい。


「手伝ってくれないか。夜鈴」

「手伝う?」

「後宮を平和のうちに解散する。宦官を廃し、宮婢を廃し、全ての制度を解体する」

「そんなの手伝うなんて……無理です」

「今すぐでなくていい。長い時間がかかる」


 星宇が夜鈴の額に手を伸ばし、前髪をくしゃりとなでた。

 見上げると、星宇が輝く星のような金色の目を細めて、夜鈴を見つめて言った。



「俺の妃は一人とする」





〈第二話完  短編・1に続く〉


第二話もおつきあいいただき、どうもありがとうございました。

評価☆いただけると励みになります。

連載はいったんここまでで、しばらくお休みです。

第三話は菊花殿が舞台になると思います。第二話連載完了時点でほとんど手付かずなので、再開はいつになることやらですが、気長にお待ちいただけると幸いです。

それではまたお会いできる日まで、ごきげんよう!


*後書き補足

第二話と第三話の間に短編・1を挟みます。どうぞよろしくお願いします。

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