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25・姐姐妹妹の間柄


 数日後、「反省会をするわよ」との理由で、夜鈴は朝っぱらから藤花殿へ呼び出されていた。今日も冊子や呪物でごちゃごちゃの卓から目をそらし、日差しに輝く外の花々を眺める。平和な風景である。


 後宮は「宇俊皇子を殺したのは、本当は誰なのか」と、不穏な噂で持ち切りだが。


「噂を利用するならやはり菊花殿ね。菊花殿の子たちは暇だから、噂と悪口はまたとない娯楽なのよ」


 小馬鹿にした口調で芳静がのたまう。

 噂と悪口が娯楽だなんて、おそろしくて菊花殿には近寄れないと夜鈴は思った。とはいえ、噂の力で葵翠の冤罪が晴れるなら、今回はまあいいかとも思う。


「あのときの葵翠様と宇俊皇子のあったかい様子を見たら、殺したとか殺されたとか、誰も信じないでしょうね」

「安昭媛のところの宦官もいい文書をたくさん持っていてよかったわ。当時の下級妃たちも、葵翠の罪を信じていなかったとはね。罪を着せた側が躍起になったわけだわ。処刑を待っていたら冤罪を晴らされてしまうおそれがあるから、妖魔が湧いたことにして早急に葵翠を殺してしまいたかったのね」

「なんで自害したことになってたんですか?」

「自害したように見えたのではなくて? あの妖魔の足先、刃みたいだったでしょう。当時はまだ小さい妖魔だったでしょうから、小刀で刺した傷に見えたと思うわ。最初から自害に見せかけるのを狙ったかどうかまではわからないけれど、自害したことにしたほうが都合がよかったのでしょう。葵翠が幽鬼になったのは誤算で、幽鬼が何かしゃべるとまずいから、結界を厳重にして妖魔ともども出られなくしたのよ。その後五十年の間に手を下した者たちが死んで、今までほうっておかれたのね。もう終わったことだと安心しているかもしれないけれど、汚い手を使った一門はこれから追い詰めていくわよ」

「葵翠様は宇俊皇子を助けたくて幽鬼になったんですね……」

「沼にいた皇子の幽鬼の声が離れていても聞こえたのだから、葵翠と皇子は霊気の波長が合ったのでしょう。葵翠も持って生まれた霊力が高かったのだと思うわ。あなたの夢にも同調するくらいだし」

「……」


 夜鈴は再び窓の外を見た。葵庵の窓から見た立葵の群生を思い出す。反対の窓からは西瓜畑が見え、蔓ごと収穫された西瓜がひとつ、絹団扇に描かれるために(つくえ)に乗っていた。気持ちのよい風が吹き抜ける、素朴な夏の庵。


 夜鈴は葵翠に妖力を注いでいるとき、彼女の血塗れの襦袢を見ているのがつらくて、心に願った。あのとき葵翠にもらった襦裙を着せてあげたいと。願いが叶うとは思わなかった。まるで実体を得たかに見えた葵翠は、夜鈴がもらった襦裙をまとっていた。


 〈ありがとう、妹妹〉と葵翠は言った。

 「こちらこそありがとう、姐姐」と夜鈴は答えた。


 そしてやさしかった姐姐は消えてしまった。宇俊皇子の御霊と一緒に――。


「そうそう、持って生まれた霊力が高いと言えば、菊花殿に使えそうな子がいたのよね。助手がほしいと思っていたのよ。ちょっと声かけに行くから、あなたもつきあいなさいな」


 夜鈴の感傷をかき消すように、芳静がまた自分の都合を言ってきた。


「菊花殿にですか? 嫌です」

「どうしてあなたって反抗的なの。わたくしは昭儀よ? 正二品よ? 宮城では位階は絶対なのよ?」

「そのうち出ていくからもうどうでもいいです」

「出ていけるわけないでしょう」

「出ていきますもん」

「無理よ。星宇があなたに惚れこんでいるもの」

「ほ、惚れ――」


 夜鈴は絶句した。


「まったく、こんな子供のどこがいいのか知らないけれど。それとも子供だからかしら。狡猾な貴族官吏に囲まれていたら素直な反応に飢えるのね、きっと。あなたも腹を括って後宮に慣れることね。菊花殿には『後宮らしさ』が詰まっているわ。皇后になるなら触れておかなくては」

「『後宮らしさ』になんか慣れたくないし、皇后になんかなりません」

「なんとでも言ってらっしゃいな、妹妹」

「はえっ!?」


 今、芳静はなんと言った?

 まさか……妹妹と――?


「今後もあなたとは一緒に行動することが多いでしょうから、姐姐妹妹の間柄ということにしましょう。呼び方が愛らしいだけで、まあ後宮内の派閥よ」

「ちがいます! そんなのじゃないもん!」

「また口答えするの? あなた後宮のことなんか何も知らないでしょう」

「葵翠様は派閥とか、そんなのじゃなかった。葵翠様はそんな理由で妹妹って呼ばない!」

「そういう甘ったるい意識でいるから葵翠はあんな目に――まあ、やめておくわ。これ以上は」


 夜鈴が目をうるませているからか、芳静は言葉を止めた。

 芳静にも少しは人の心があるのかと夜鈴は思った。


「それに、芳静様を姐姐って呼んだら、きっと桜綾様に怒られる……」

「ああ。安昭媛のところにも出入りしてるんだったわね、あなた」


 芳静がチッと舌打ちをする。本当に名門の娘だろうか。行儀が悪い。

 そして芳静と桜綾の仲の悪さは相当らしい。そんな後宮の相関図に巻き込まれるのはごめんだ。妃嬪がごっちゃり住んでいる菊花殿も全力で避けたい。


「とにかく。芳静様を姐姐なんて呼ばないし、菊花殿にも行きません」

「ふん。そう言っていられるのも今のうちだけよ」


 夜鈴の反抗に芳静も喧嘩腰で応じ、姐姐妹妹の間柄どころか、二人はにらみ合って火花を散らした。



     *****



 宇俊皇子を弑したのは、本当は誰?

 菊花殿中がこの話題で持ちきりだった。貴族は貴族の話が好きで、とりわけ貴族が没落する話が好きだ。自分の家より格上の家の没落ならなお楽しい。家格が中途半端な妃嬪が多い菊花殿で、この話題が盛り上がるのは当然だった。当時、皇太子と寵妃がいなくなって得したのは、家柄の良い上級妃だからだ。真実が表に出たら困るのはどの大貴族か――。


 みんな口を開けばその話なので、念慈はもう疲れてしまった。

 もともと女どうしの競争が得意ではない。念慈は地方豪族の娘で、姉妹が多かったから「あわよくば」「ダメもとで」後宮入りさせられた。姉妹の中で一番の器量よしと言われた念慈だったが、豪族とはいえ田舎者だ。容姿も才気も皇都育ちの令媛たちには敵わない。それを菊花殿でしみじみ思い知った。

 それに、念慈がとても敵わないと思った美しい令媛たちでも、皇帝陛下にふりむいてもらえない。寵妃になるなんて難易度が高すぎる。せめて陛下のお手がついたら世継ぎを産める可能性があるけれど、お渡りもお召しもないのだから話にならない。


(せめて夢でお近づきになれたらと思ったけれど)


 菊花殿の内院(なかにわ)にひとり佇み、念慈は手の中の霊符をじっと見つめた。皇帝陛下と夢で逢うための霊符だ。本でこつこつと方術を学んで、頑張ってつくった。でもこれも、本物の方士が見たら「霊符もどき」なのだろう。どうせ効果なんてないのだ。


(もう故郷へ帰ろう。私なんか後宮には向いてなかった)


 念慈は霊符を破ろうとした。


「ちょっと待ちなさい」


 突然声がかかり、念慈は顔をあげた。

 洪昭儀がつかつかと念慈に歩み寄ってくるところだった。


(洪昭儀、芳静様。――ほんものの方術士)


 念慈の胸がちくりと痛む。

 この方は何でも持っている。今いる妃嬪の中で一番高い位階、高い家格、主上の信頼、洗練された美貌と方士の実力。


 念慈は目を伏せて拝礼した。

 こんな方がいらっしゃるのに、私なんかが寵妃を夢見るなんて愚かだったわ――。


関婕妤(せきしょうよ)。その霊符もどきをわたくしに見せなさい」


 やっぱり「もどき」か。念慈は恥ずかしくなって、「いえ、こんなものはお目汚しです」と後ろ手に隠そうとした。


「いいから見せなさい」

「は、はい」


 穏やかそうな顔をして、洪昭儀って思ったより圧が高いわとおびえながら、念慈は霊符を手渡した。


「夢に干渉する呪言ね? さしずめ主上の夢に出ようってところかしら」


 さらっと一瞥で見抜かれて、念慈は羞恥で真っ赤になった。馬鹿にされるか怒られるかすると思い、縮こまって洪昭儀の次の言葉を待つ。

 しかし洪昭儀がぶつぶつ言いはじめた内容は、念慈の予想とはまるで次元が違うことだった。


「なるほど。夢に干渉する強力な呪力がここから発信されていたわけね。時越えと結界突破の要因は難しいけれど、夢への干渉は糸口を掴んだわ。夜鈴のあの夢は、本当に凄い偶然だった……。分析したいわ。なんとしてでも」

「はい?」

「この霊符、主上にはまるで効いてないわよ」

「はい、そうでしょうね……。私なんかが書いた『もどき』ですから……」

「宛先が主上に向いてないからよ。それに、あなた自身の霊気も乗っていないからよ。ただ、『夢に干渉する力』だけが濃厚に込められているわ。あなたのこの札のせいで、誰かが誰かの夢に出る事態が頻出したでしょうね。夢だから、誰も不思議とは思わなかったでしょうけれど」

「はあ……」

「でも、不思議と思える件が一つだけあったのよ。あなたが鍵だったわけね。ふふ」


 なんの話か念慈にはさっぱりわからなかった。

 洪昭儀だけがすっきりした顔をしている。


「関婕妤。あなたわたくしの弟子になりなさい」

「はい? 今なんと?」


 すっきりした顔でいきなり言われて、念慈は思わず聞き返してしまった。


「わたくしの弟子になりなさいと言ったわ。本当は、あなたを助手にしようと思ってここへ来たの。でもこの霊符を見て思ったわ。きちんと基礎から鍛えたら、あなたものになるわよ。方士になりなさい」


 洪昭儀は「ついてらっしゃい」と言ってくるりと背を向けた。


 歩き出す彼女を追いかけながら、念慈はどきどきしていた。いつか主上のお召しがあったらどきどきするだろうなあと想像していた以上に、激しくどきどきしていた。



 『あなたものになるわよ。方士になりなさい。』



 願っていた主上のお召しではなかったけれど、念慈はうれしかった。

 心の底から、うれしかった。


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