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18・太皇太后の遺言


 おさまってもらわないと困るものをおさめるために、星宇は「すこし真面目な話をしよう」と言い、横向きになり手枕をついた。


「真面目な話とは?」

「廃冷宮に出た蜘蛛型の妖魔に、使役の術が施されていたことは芳静から聞いたろう。妖魔の使役が禁術であることも、術式が厳重に隠されていたことも」

「はい」

「誰のしわざだったか、賢輪が調べている。五十年前のことだ。術者はおそらく死んでいるだろうが、属していた門閥なり組織なりは健在かもしれん」

「芳静様が言っていた、陰謀……?」

「もしそうだとしたら、関係者のしっぽは掴んでおくに越したことはない。今後のためにもな。権力の前に陰謀が渦巻くのは、何も後宮だけじゃない。宮中全体がそんなものだ。悪い芽は刈り取る義務が俺にはある」

「はい」

「――というのが、俺がこの件にしゃしゃり出る表向きの理由だ」

「表向きの? 裏があるのですか?」

「裏と言うか、個人的な理由だな。俺の母方の親族に、後宮妃として長く暮らした人がいる。仕えた皇帝が没したのち寺院に入った。俺たちきょうだいは幼いころ宮城から出されて寺院暮らしだったから、その人には随分と世話になってな」

「寺院暮らし? 皇子なのに、なんでですか?」

「子供のころは妖の気が強すぎて、宮城にいると問題があった。十代半ばまで俺と弟は帝位につくことはなかろうと思われていた。俺たちみたいな先祖返りは、大抵は病がちということにされて、世継ぎ候補から外される」


 妖の血を引く皇家には、まれに先祖返りした子供が生まれるそうだが、妖の気が強すぎるってどういう状態だろう。そこを聞きたかったが話がそれると思い、夜鈴は口を挟まなかった。


「俺は即位するとき後宮の廃止を望んだが、それはその人の願いなんだ。後宮をなくしてくれと。無理ならば、後宮に暮らす女たちに安寧をもたらしてくれと。死の床で、その人は即位の決まった俺にそう言い遺した。――夜鈴」

「はい」


「その人はかつて、太后とも太皇太后とも呼ばれた。名は華萌(かほう)だ。元皇后だが、子は帝位に就いていない。殺された宇俊皇子の母親だ」




 翌朝、夜鈴がうっすら目を開けると、天幕の布に朝日がほのかに透けていた。もう朝らしい。寝る前に重い話を聞いたがしっかり眠れた。横を見ると星宇が規則正しい寝息をついている。


(お泊り成功)


 葵翠の出てくる短い夢を見た。葵翠が薄紅色の葵の花をひとつとって夜鈴の髪に挿してくれる夢で、これは本当に夢だと思う。夜鈴が見たかった葵翠だったから。明るくてきれいでやさしい夢。


 夜鈴が床に入ったままぼんやり夢の余韻にひたっていたら、天幕の外でパタパタと急いた足音がした。すぐそばで止まったかと思うと、声の主が「おやすみのところ失礼つかまつります」と言ったか言わないかのうちに入り口をまくり上げた。声も口調も所作も優雅なのだが、いきなり入ってくる行動そのものが優雅ではない。

 芳静はいつもそんななのだが。


「なんですか朝っぱらから」


 芳静のせいできれいな夢の余韻がかき消えてしまった。

 苦々しい顔をする夜鈴におかまいなしに、芳静が四隅に朱文字の書かれた石板をずいっと前に差し出す。


「呪符の一種ですか?」

「そうよ。わたくしが準備しておいた呪符。中央に鬼形が描いてあったの」

「鬼形? 鬼の画なんか描いてないですよ?」


 四隅に夜鈴には読めない複雑な文字があるだけで、石板の中央は何も描かれずぽっかり空いている。


「鬼形は消えたのよ。これだけではないわ。この札も。この札も」


 芳静が懐から出した札は隅が焼けたように縮れ、呪言の朱文字が茶色く変色していた。この状態の紙の呪符ならなじみがある。夜鈴が暮らす菫花殿で見つかる呪物は喰呪鬼の力で勝手に無効化されるため、大体劣化した状態で見つかるからだ。


「この呪符は、一体どこに……」

「ここよ」


 芳静がくるりと回って周囲を指し示した。


「全部ここ、葵庵跡地一帯に、昨夜わたくしが仕込んでおいた呪符よ。夜明けと同時に回収したわ。全部無効になっていたわ。星宇――ではなくて主上、喰呪鬼がやりましたわ!」


 さっきまでぐっすり眠っていた星宇は、眠気を引きずるでもなくぱっちり目を開いていた。


「そうか」

「素晴らしく興味深いわ! 喰呪鬼の条件は時越えを経ても、夢を経ても成り立つだなんて。こんな面白い素材にはじめて出会ったわ」


 「素材」。芳静の本音がだだ洩れしている。夜鈴が芳静にとって研究の「素材」に過ぎないのは今さらなので、とくに衝撃はない。それよりも夜鈴自身が喰呪鬼の能力発動に興奮していた。

 衣食住の条件が揃って喰呪鬼の能力が発動したのだとすれば、夢で会った葵翠はまぎれもなく本物の葵翠のはずだ。下着姿で泣いている夜鈴を哀れに思い、襦裙と西瓜をくれた葵翠。夜鈴を妹妹と呼んで頭を抱いてくれた葵翠。姿を消した夜鈴を妃嬪仲間への手紙で心配してくれた葵翠。


 そんなやさしい妃が、ほかの妃の子だからといって子供を殺すだろうか。喜春が言うように、冤罪ではないだろうか。でもこれは夜鈴の願望に過ぎず、単純な考えかもしれない。嫉妬に狂うのは酷い人間だけと考えることができるなら、こんなに楽なことはない。

 義母の峰華の鬼のような表情が心をよぎる。

 峰華を鬼にしてしまったのは、もしかしたら父と夜鈴の実母ではないか――。


 だが夜鈴は、峰華と向き合うのはとっくにあきらめていた。峰華の夜鈴を見る目は憎しみに塗り固められていて、長年虐げられてきた夜鈴は彼女の顔を見るだけで感情が萎んで何も感じなくなってしまう。

 もしかしたら、葵翠と話してみたいのは、峰華の代わりなのかもしれない。


 あなたは、愛する男性がほかの女性との間にもうけた子を憎んでいましたか――。


 そこまで考えて、夜鈴は考えを振り払うように首を振った。


(葵翠様は義母じゃない。周家のことは忘れなくちゃ)


「芳静よ……。夜鈴を『素材』などと言ってくれるなよ」

「あー、いいです大丈夫です主上。いつものことなので」


 いつまでも周家のことを引きずるろくでもない自分が、別方向にろくでもない芳静を責めるわけにもいかない。夜鈴は自嘲のため息をついた。


「なぜそんなに芳静を理解してやろうとするんだ、夜鈴」

「あきらめがいいんです、わたし」

「夜鈴様がよろしいならいいではありませんか」

「うーん、やっぱり少しは反省してほしいかな」


「やっぱりおまえら仲がいいよなあ」


 星宇の言葉に、またしても二人同時に「よくないです!」「よくありませんわ」と返してしまった。


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