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15・葵庵の夢の跡


「この文の内容にそっくりな夢、ね」


 藤花殿。冊子や呪具や札でごちゃごちゃの(つくえ)の上に、芳静は葵翠の手紙をぽんと置いた。


「偶然とは思えなくて。この文を読んだ後ならわかりますけど、読む前に見た夢ですよ? 芳静様、これってあり得ることなんですか? 夢の中で昔に戻ってしまうって」

「時越えなんて、天仙にでもならないとできないわよ。――故意にはね」

「故意には?」

「故意でなければ――時越えの発生要因が重なっただけなら、あり得ないこともないわ。あの廃冷宮は、思っていたよりずっと様々な呪力妖力が寄り集まっているようね。妖であるあなただって要因のひとつよ。喰呪鬼さん」


 芳静はふふっと不敵に笑った。


「あの廃冷宮には、廃妃の幽鬼を閉じ込めておくだけにしては厳密すぎる結界の中に、何者かが放ったとおぼしき妖魔が五十年間密閉されていたのよ。結界内の妖気は相当濃くなっていたことでしょう。それに比べたら葵翠の怨念なんてかわいらしいものね」

「何者かが放った妖魔? あの蜘蛛っぽい妖魔、幽鬼の影響で湧いたわけではないんですか?」

「あの種の妖魔の発生に足りるほど、葵翠の幽鬼は邪気が高くないでしょう。少しは霊力があったとしても、仙の修行も方術の修行もしたことのない、平凡な人間の魂よ。おかしいと思って妖魔の死骸を調べたわ。脇腹にご大層な使役の呪文が刻まれていて、術の上書きでそれはそれは丁寧に隠してあったの。一体どういうことかしらね」


 楽しくて楽しくてしかたがないといった様子で、芳静が意地悪くクスクス笑う。夜鈴は唖然として、つい気味悪そうに芳静を見てしまった。


「知っているかしら? 妖魔の使役は禁術なの。行ってはいけない邪術なの。外法なの」

「今知りましたけど、どうしてそんなにうれしそうなんです?」

「だってこんなの、裏に陰謀があったに決まっているわ! 陰謀を暴くのって楽しいでしょう」

「……楽しいんだ」


 芳静は性格が悪い。知ってたけど。


「洪家が、政治から遠いわりに宮廷で重くみられるのはなぜかわかる? 陰謀を暴くのが得意だからよ。それと、高等呪術が使えるから」

「……ろくな家じゃないですね」

「なにか言った?」

「いえ……影の権門だなあって」

「そうなのよ。こんな面白い家に生まれたのに、適した素質も持っているのに、女だからって活躍できないなんてつまらないわ。後宮なんてくだらない仕事しかないと思っていたけれど、思ったより大きい陰謀がありそうね。うふふ、待ってなさい。片っ端から暴いてあげるわ!」

「陰謀があったとすると、葵翠様は潔白ですか?」

「そう言い切れるほどの材料は揃っていないわ。期待し過ぎないことね。あなたの夢の話は気になるから、今から葵翠の庵の跡地に行ってみましょう。何か感じることがあるかもしれない」


 芳静は葵翠の手紙を懐に入れ、すっと立ち上がった。




 遠修儀こと遠葵翠が暮らした庵、通称葵庵(あおいあん)は、霧仙(むせん)沼と呼ばれる沼の近くにあったらしい。芳静、夜鈴、香月の三人は、薄暗い林の小道を葵庵跡地へと急いだ。


「香月、この道は……」

「ええ夜鈴様、子供の泣き声が聞こえたあの道です……」

「ナ~」


 宝宝を抱いた夜鈴と香月はぶるりと震えて身を寄せ合った。

 三人と一匹は今、宇俊皇子の死地へ近づいている。鬱蒼とした木々の間から見える濁った沼へと……。


「夢の中では、葵翠様の庵はもっと明るいところにありましたけど……」


 夢の中の葵庵は、窓から立葵の群生と西瓜畑が見える、日当たりと風通りの良い庵だった。


「寵妃の住まいですもの、当時は周辺の手入れも行き届いていたはずよ。この人工の大池だって、昔は澄んでいたそうよ」


 芳静が霧仙沼を指差す。「沼」といっても自然のものではないらしい。びっしりと藻の浮いたここの水で、西瓜を冷やす気にはなれない。


「この沼の結界は何のためですか? 宇俊皇子の幽鬼と関係が?」

「昇天できない皇子の魂が妖魔の糧となるのを防ぐためという名目よ」

「宇俊皇子はどうして昇天できないのですか」

「恨みか、怯えか、心残りか……。若くて生まれ持つ霊力の高い魂にはよくあることよ。皇族の魂に宮廷方士が手を下すわけにいかないわ。無理矢理浄化するなんて許されないの」

「そんな……」


 なんだかいろいろやりきれない。

 後宮は嫌な場所だ。権力と、ままならない愛と、そこから生まれる妬みの連鎖。皇帝の血を後世に残すためにあるといったって、幼い皇子を争いに巻き込んで死なせていては元も子もないではないか。この欲と嫉妬に満ちた場所を一度は廃止しようとした星宇の気持ちが、夜鈴にも分かる気がした。


「見えて来たわ。葵庵の跡地よ」


 林を抜けた先に、雑草だらけの空き地があった。

 木がないのがましなだけの、ただの荒れ地だ。建物は影もなく、伸びきった雑草の中にぽつりぽつりと鮮やかな色が見える。

 夜鈴が目を凝らしてよく見ると、それは雑草に埋もれながらもけなげに咲く、立葵の花だった。背の高い雑草をかきわけ、夜鈴は花に歩み寄った。夢の中で葵翠が着ていた裙の刺繍と同じ、薄桃色の可憐な花だ。その花にそっと触れ、夜鈴は周囲を見渡した。


(この場所、なんだかわたしがいてもいい場所のような)


 菫花殿ほどではないが、葵庵の跡地は夜鈴がいるのを許してくれているような、そんな気安さがあった。


(そうだ。夢の中のわたしはここで――葵翠様の葵柄の衣をもらって、西瓜を食べた)


 衣食住のうち衣と食を与えられた。

 とてもやさしく。傷ついた心に染み入る形で。


「どう? なにか感じるところはある?」

「芳静様」

「なにかしら」



「わたし今晩、ここで眠ってみてもいいですか?」


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