14・葵翠の手紙
夜鈴が菫花殿に戻ると、追いかけるように桜花殿から使いが来た。使いは桜綾からの短い文と、喜春が託した葵翠の文を持って来た。
夜鈴一人では読めないので、香月と一緒にごそごそと文を開く。まずは生きている人の文から。
「桜綾様、なんで宮女のところにだけ行って自分に会いに来なかったんだって怒ってらっしゃいますね」
「怒られても困っちゃうんだけど」
桜鬼のことがあるし、しばらく模特の呼び出しはないだろう。ほうっておきたいところだが一応謝罪の文を書く。夜鈴が書くとまるで子供ががんばって書いたようで、けなげなかんじがする。
「じゃあ、葵翠様の文を見てみよう」
桜綾の流れるような麗筆の後に見ると、葵翠の書く文字は丸みがあってかわいらしかった。女性どうしでやりとりするのに似合う文字だと夜鈴は思った。自分もこんな字を書いて、誰かと文のやりとりをしてみたい。
「幽鬼だと聞いていたからおそろしいものだとしか思いませんでしたけど、生前の文を見てみると親しみやすい普通の――同年代の女性なのですね」
香月も思うところがあったのか、神妙な顔をした。
「なんて書いてあるの? 香月読めそう?」
「むずかしい言葉は使われていないので、読めます」
文は葵翠が仲の良い妃嬪に宛てたものらしかった。受取り人の名はないので誰宛てかはわからない。
香月が読み上げてくれた文の内容はこうだった。
この前いただいた糕がおいしかっただとか、葵が咲いて窓からの景色が最高に良いだとか、団扇に西瓜の画を描いたから今度見せるだとか、よかったら描いてあげるからお揃いにしない?だとか、時候の挨拶がわりのたわいない話がまず並ぶ。本題はその後だった。
〈七日ほど前、沼のそばの小道で泣きながら襦袢姿で歩いている宮女を見かけたの。驚いて声をかけたら、十六、七の見たことのないとてもとても綺麗な子だったの。名のある家から入宮する話はきいていないから、後ろ盾のない子ね。意地悪をされて衣を脱がされてしまったのかもしれないわ。そうだとしたら他人事じゃないわ。わたしも同じ目に遭って泣いていたことをあなたも今、思い出したでしょう?
あのときあなたがわたしにしてくれたように、わたしもその子を自分の庵に連れて行ったの。衣を着せてあげて、西瓜を出してあげたら、その子はまた泣いてしまったの。表情をなくして、大粒の涙だけぽろぽろ流すの。なんて胸をしめつけられる泣き方をするのかしら。わたしもそんなだったかしら?
こんなときどうしたらいいか、わたしはあなたに教わったのよ。そっと抱きしめてこう言うの。
『だいじょうぶよ、妹妹。意地悪な姐姐ばかりじゃないわ』
あなたがやさしかったから、わたしも意地悪な姐姐にならずにすんだわ。あなたがわたしにくれたものをわたしも妹妹にあげたいの。やさしくしてくれる人がいて、やさしくしてあげられる人がいるから、わたしはこの後宮で生きていけるのよ。
しばらくそうしていたらその子は落ち着いたみたいで、すこし安心した顔になって、小さく笑ってくれたの。わたしもあなたみたいにうまくできたのね。わたしの名前をきいてくれたから、この先も頼ってくれたらいいと思うわ。かわいい妹妹ができて、わたしもうれしかったわ。
だけど、お茶を淹れるためにすこし席を外したら、その子はいなくなってしまったの。その後一度も、後宮でその子の姿を見かけないの。一体どこへ行ってしまったのかしら? とても心配だわ。
もし心当たりがあったら教えてくれるとうれしいわ。恥ずかしくなってしまっただけならいいけれど、とても目立つ綺麗な子だったのに姿も見ないし、噂も聞かないなんて。不思議を通り越して、なんだかとても不安なの〉
「……やさしい方だったんですねえ。葵翠様って」
文を読み終えた香月がしんみりと言った。
夜鈴は葵翠の丸みを帯びた文字に目を落としたまま、返事もしないで目を見開いていた。
『だいじょうぶよ、妹妹。意地悪な姐姐ばかりじゃないわ』
夢の中で、葵翠が夜鈴に言った言葉。
几の上になぜかあった、蔓のついた西瓜。硯。そして無地の絹団扇。
「葵翠様は、団扇に西瓜の画を描こうとしてたんじゃ……」
「え? なんですか、夜鈴様?」
「あれは本当に、夢だったの……?」
「夜鈴様?」
夜鈴はようやく顔をあげ、不思議そうに夜鈴を見ている香月と視線を合わせた。
「香月、藤花殿へ行くよ。芳静様のところへ」




