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10・わかりやすい妖魔


「夜鈴! 起きなさい! 妖魔が出たわ!」


 額の衝撃は術のかかった札を剥がされたためであったらしい。ならばバン!と鳴った大きな音はなんなんだと、芳静が掲げる提灯の向こうに目を凝らす。


「っぎゃあああああ!」


 夜鈴は思わず悲鳴をあげた。闇の中になにかが蠢いている。横一列にいくつも並んだ赤い目を持つ、巨大ななにかが。


「わ、わ、わ、わかりやすい妖魔!」


 子供のころ祖母に読んでもらった絵巻に出てきたような、蜘蛛型の怪物ではないか。


「床板を突き破って出て来たわ。下手に結界なんか敷くからよ。中でこんなものがぬくぬくと育って」


 芳静が懐から霊符を抜き出す。


「わたくしの後宮に妖魔なんて存在させるものですか!」


 あなたの後宮じゃないし、わたしだって妖魔なんですけど!と夜鈴は思ったが、そんなことを言っている場合ではない。


「こんなのやっつけられるんですか!?」

「これしきの下級妖魔、わたくしが呪を念じこめた霊符の力で。此の符、鬼賊を辟け、百妖を制す。急急如律――」


 人差し指と中指で挟んだ札を振りあげ、芳静が空を斬ろうとしたそのとき。

 妖魔と夜鈴たちの間に、すばやく人影が躍り出た。

 刀が一閃するさまが灯火に照らされ、一瞬だけ夜鈴の視界に映る。

 次の瞬間、天井につくほど伸びあがった妖魔が崩れるようにどうっと床に倒れた。舞い上がった土埃が灯火を曇らせ視界が悪くなったところへ、背を見せていた人物が振り返る。


 夜鈴はごしごしと目をこすった。妖魔を斬ったのは立派な体格の男性だが、宦官の格好をしていない。となると、後宮に入れる男性は一人しかいないわけで。


「主上~!」

「大丈夫だったか? まったく無茶をする……」


 今上帝黎星宇は苦笑しながら、夜鈴と芳静を交互に見た。


「畏れ多くも主上にご足労いただくとは。この程度の妖魔を屠るくらい、わたくしには容易いことでしたのに」


 芳静は不満げだった。あからさまにぶうたれた顔だ。


「そなたの術を信用していないわけではないがな。しかし、『百妖を制す』霊符では夜鈴までやられてしまうではないか」

「わたくしを信用してくださいませ。加減は致しますわ。主上の大切な夜鈴様を傷つけることなどするはずがございません」


(た、大切な夜鈴様!)


 芳静の言葉についどきどきしてしまう夜鈴である。しかし、「夜鈴様を傷つけることなどするはずがございません」の部分は、正直「ほんとにそうか~?」と思う。芳静が夜鈴を追い出そうとしたのはほんの一、二ヶ月前のことではないか。方術と出世しか頭にない芳静のことだから、過ぎたことはきれいさっぱり忘れているのかもしれないが。


「それにしたってやりすぎだろう。賢輪が『妹がまた無茶を』と知らせてきたから見に来れば、この有様とは」


 星宇があきれ顔で斬り伏せた妖魔を見下ろす。


「無茶とは? わたくしが妖魔を湧かせたわけではございません。幽鬼と夜鈴様のお力、二つの調査を兼ねてここへ来たら、妖魔が湧いていたのですわ。廃冷宮を妖魔の巣にしてしまったのは五十年前の宮廷方士の落ち度です。方士の落ち度は方士が始末をつけるのが筋というもの。妖魔が出る可能性は考えておりましたので、こうして準備も怠りなく」


 芳静が懐から大量の霊符を取り出し、扇のように広げて見せた。


「わかったわかった」

「つまりわたくしに一切の抜かりはなく――」

「芳静に抜かりがないのはわかったから、せめて前もって夜鈴に説明してやれ。いきなり眠らされたら驚きもするだろう」

「どうせ言ったら嫌だとか言うのですよ、この子」


 芳静がめんどくさそうに夜鈴を見る。なぜか星宇のほうが「すまない」と言いたげな困り顔になって夜鈴に目配せしてきた。


 ……なんとなくわかってきた。芳静はいつもこの調子で、方術の実力は確かであるものの、賢輪と星宇を度々困らせているのだ。星宇の困り顔に夜鈴も困り顔で答える。きっとお互い「やれやれ」と思っている。


「まあ、怪我がなくて何よりであった」

「妖魔のせいで実験が台無しになりました。今宵は夜鈴様に冷宮に泊まっていただいて、住居以外で喰呪鬼としての力が発揮される条件が揃うか調べたかったのですが――」

「わかった。今夜は俺が一緒にここへ泊まろう、夜鈴」


「――はいっ?」


 夜鈴の口からうわずった声が出た。星宇が「一緒にここへ泊まろう」などと素っ頓狂なことを言い出したからだ。


「芳静はきっと実験とやらをあきらめないぞ。心配だから俺が一緒に泊まってやる。夜具もあるじゃないか。ほれ、寝るぞ」


 星宇はそのまま(しとね)に横になりそうな勢いだ。


「妖魔の死骸の横で!?」


 さすがにそれは泣きたい。おそるおそる蜘蛛型妖魔の死骸を見れば、先の尖った長い足が幾本も目に入る。もしこいつがまだ死んでいなくて、自分たちが寝ている上を歩きでもしたら、それだけで穴だらけになってしまいそうだ。


「そうだな。夜具を奥へ運ぶか。李徳、頼む」


 いつのまにか控えていた星宇お付きの宦官が、ひょいっと衾褥を持ち上げる。なんでこの人皇帝の奇行を止めないんだと思い、夜鈴はあせった。


「いえ! 待って、待ってください。わたし冷宮に泊まらないです」

「あなたね、主上がこんな廃墟で共寝してくださるのよ? この期に及んで怖いだの嫌だのわがまま言わないでちょうだい」


 芳静が目を吊り上げて怒る。芳静だって妃なのに、なんで皇帝がほかの妃と一緒に寝るのを後押しするのだ。

 いや、なんでかはわかる。元々芳静は皇帝の寵愛なんて出世の手段くらいにしか思っていなかったらしい。出世への新たな道筋が示された今、利があることならなんでも後押しするのだ。


「ここに泊まって、喰呪鬼として条件が揃ったら浄化が始まっちゃうじゃないですか」

「結構なことじゃないの。あなたの浄化能力を発動させるためにここへ来たのに、何を言っているの」

「わたし、まだ浄化したくないんです。葵翠様の霊魂を」


 夜鈴はまっすぐ顔をあげて芳静を見た。


「葵翠様は無実の罪を着せられただけかもしれないから……。事実を知る前に、葵翠様に消えてほしくないんです」

「事実がどうあろうと、現世に恨みを残して幽鬼になり果てているなら、邪気を持った立派な怨霊よ。消えてもらわないと妖魔を引き寄せるわ」

「それはわかっています。でも、少しだけ時間をくれませんか」

「なんのために?」


 なんのためにと芳静に問われ、夜鈴はうつむいて考え込んでしまった。

 一体自分は、なんのために?

 夢の中の葵翠が優しかったから、彼女のために?

 夢の中の葵翠なんて夜鈴の妄想なのに。喜春の話から生まれた、ただのまぼろしに過ぎないのに。


 でも。夢で見た優しい彼女がただのまぼろしだとしても。


「葵翠様がもし無罪だったら――罪人にされたまま魂が消えてしまうのが嫌なんです」


 夜鈴は顔をあげた。


「いい人が悲しいまま終わる場所なんて、わたしは好きになれないんです」


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