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5・寵妃の嫉妬


 夜鈴が薄く目を開けると、見慣れた格子天井があった。菫花殿の夜鈴の(へや)だ。


「目が覚めて? まったく、あのくらいで気を失うなんてだらしがない」


 目覚めてすぐ、芳静の叱責がとんでくる。


「幽鬼祓いなんておそろしいこと、夜鈴様はなさったことがないのですから仕方ないではありませんか。もっと人の心を慮ってくださいませ」


 香月も傍らにいたらしい。夜鈴の代わりに文句を言ってくれている。


「人? 夜鈴様は妖でしょう」

「夜鈴様は人となんら変わりありません!」

「わたくしだって人と変わらずに接しているわよ」

「人と変わらずに……? 芳静様って、どなたに対してもこう……?」


 目下なら誰にでもこうなんじゃないかなあと夜鈴は思った。きっとそういう性格だ。芳静におだやかに接してもらうことなど、夜鈴はとっくにあきらめている。

 夜鈴は臥牀(がしょう)の上で身を起こした。


「芳静様が菫花殿まで運んでくださったのですか?」

「まさか。宝宝を通して阿兄(おにいさま)に宦官を呼んでもらったわ。まったくあの程度の幽鬼で失神するなんて」

「血塗れだったじゃないですか~~~~!」

「実体ではないでしょう。幻みたいなものだわ」

「おばけってことじゃないですか。余計にこわい!」

「見たところ危害を及ぼしてくるような幽鬼ではないわ。念が強くて現世から離れられないだけよ。浄化の訓練にはもってこいね」

「そんな訓練したくないです~~~~!」


 夜鈴はわっと手で顔を覆った。こわかったのだ。本当に。


「あらそう。ならいいわよ。しなくとも」


 芳静のあっさりした返事に、夜鈴は顔をあげた。


「ほんとに?」

「そのかわり、『喰呪鬼』としての本領を発揮してもらうわよ。廃冷宮を管理している局の太監に、あなたへ食物と衣を贈らせるわ。しっかり受け取りなさいね。衣食を受け取ったらその後は――」

「ま、待って……嫌な予感が」


 喰呪鬼。夜鈴の種であるこの妖は、衣食住を与えられると意識せずとも場の浄化を行うようになる。呪詛や妖力など邪なる力を喰らうように吸収し、効力を失わせるのだ。


「あの廃冷宮に泊まってもらうわ。文献によると、喰呪鬼が与えられた家ではない場で能力を発揮するには、宿泊する必要があるようね。衣食住をどの程度与えられれば浄化が始まるか、実験も兼ねてちょうどいいわ」



「あんなところに泊まるの絶対いや――――!」



 夜鈴は半べそをかいて叫んだ。




 忙しいからと、芳静は強引に話を切り上げて帰ってしまった。

 夜鈴は茫然としたまま閨房に取り残された。


 浄化の訓練をしないなら廃冷宮に泊まれと?

 血塗れの幽鬼が出るあの廃墟に?

 冗談ではない。


「沼で聞いた声がこんなふうに繋がるなんて……。後宮、やっぱりこわい。わたし向いてないと思う。安らげるのは香月がいる菫花(きんか)殿だけ」

「そう言っていただけるとこそばゆいですけど、夜鈴様が目指すのは月輝(げっき)殿ですよ」


 星宇と夜鈴をくっつけたくてしかたがない香月がにこにこと言う。

 夜鈴だって星宇のことは好きだ。今は子犬みたいになついているだけだが、このまま平和に時を重ねれば、いつか男性としても愛せるようになるだろう。今だって、がんばればまあ、閨事(ねやごと)くらい無理ではない……と、思う。少なくとも嫌ではない。


 嫌なのは星宇本人ではなく、星宇の身分である。


(皇帝とか? いやいや無理だってば)


 皇帝だとなにが無理って、大勢の女で彼を共有しなければならないことだ。そんなの、自分の嫉妬心もこわいしほかの妃嬪の嫉妬心もこわい。義母のいたぶりに耐え続けてきた年月は並大抵ではなかった。嫉妬は人を鬼にするのだ。いや元々妖だけど。


「廃冷宮の幽鬼も嫉妬で鬼になっちゃったのかなあ……」

葵翠(きすい)様ですか」

「あの幽鬼、葵翠って名前なの?」

「幽鬼祓いに同行するわけにいきませんから、わたくしなりに調べたのですよ。と、申しましても、古巣の元同僚に話を聞きに行っただけですけど」


 夜鈴が入宮する前、香月は桜花(おうか)殿の安昭媛(あんしょうえん)桜綾(おうりょう)の下で働く宮女だったのだ。古巣とは桜花殿のことであり、元同僚とは桜花殿の宮女たちのことだ。


「今から五十年前、当時の皇帝は今上帝の曽祖父に当たられる宇豪(うごう)様です。葵翠様は宇豪様の東宮時代からの寵妃だったそうです。元々は、宇豪様が城下へお忍びで出向かれたとき見初めた町娘であったとか。後ろ盾の乏しい方で、寵妃といえども皇后の座など望むべくもない上、お子にも恵まれず、後宮では不遇だったそうです。立場の弱さゆえ妃嬪たちからの意地悪が止まず心を病み、皇后に対する羨望が嫉妬となって、皇后が産んだ皇子を苦しませて殺めたのではないかと――――もしもし、夜鈴様? どうされました?」


 夜鈴はぐったりと衾褥(きんじょく)につっぷしてしまった。

 なんてしんどい話だ。

 苦手なのだ。意地悪とか嫉妬とか、嫉妬からくる憎しみとかが。そういうものに触れると、嫌でも周家での暮らしを思い出してしまう。ましてや宇俊皇子は葵翠が嫉妬する相手ではなく、その子供だ。

 義母峰華(ほうか)にとっての夜鈴と同じではないか。


「わたし、廃冷宮の幽鬼祓い降りる……。ただの人食い妖魔ならまだがんばれるけど……」


 夜鈴はしおしおと弱音を吐いた。


「それがよろしいかと思います。ただの人食い妖魔が後宮に出るとは思えませんが」

「嫉妬絡みじゃない怪異ならいい」

「嫉妬絡みじゃない怪異……。後宮でですか?」


 香月は眉根を寄せ、「うーん」とむずかしい顔をした。


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