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4・廃冷宮と血濡れた妃


「うわあ、ボロッボロ」


 五十年前に廃宮になったという冷宮は、瓦が落ち壁の塗りは剥がれ酷い有様だった。窓は外から板が打ち付けてあり、その板も朽ちかけている。庭らしきものはないが殿舎自体は大きく、装飾がないため妙な圧迫感がある。なるほど、たしかにこれは獄舎だと夜鈴は思った。


(嫉妬と怨念渦巻く後宮で、罪人となった妃嬪が入る獄舎……)


 おどろおどろしさの予感しかない。夜鈴は思わず腕の中の宝宝をきつく抱きしめた。「くるしい~」と訴えるように、宝宝が「ナ~」となく。分眼の術を用いて宝宝の視界を通し、上役である賢輪に繋がるため、こうして連れてきている。


「えっと、ここに、出るわけですか。罪を犯した妃嬪の幽鬼が……?」


「ええ。ほかの妃が産んだ皇子を殺めた寵妃がここへ入れられて自害して、怨念に満ちた幽鬼になり果てたのよ。まったく、わかりやすいこと」


 うんざり顔で芳静が言う。

 周家にいたころ、家婢のみんなが寄り集まって噂していたような、これぞ後宮!女のドロドロ!と言いたくなるような話である。周家の使用人たちは皆、そういうドロドロした話が好きであった。夜鈴はおしゃべりの輪に入れてもらったことはないが、少しはなれたところで盗み聞きしていた。完全なひとりぼっちはさみしかったのだ。


 しかし夜鈴には、その手の話は刺激がきつかった。

 夜鈴自身が「ほかの女が産んだ子」であり、さんざんいたぶられた身であるので……。


「芳静様、幽鬼祓いはこの冷宮から始めなくてはだめでしょうか……」

「怖気づかないでちょうだい。妖のくせに。手強い霊だったらしくて、当時の宮廷方士には浄化できなかったらしいわ。結界を張って自然消滅を待ったようだけれど、そんな消極的な手段で消えてくれるような怨霊ではなかったようね。当時の方士もだらしがないし、そのまま五十年も問題を先送りした後世の方士もだらしがないわ。こんなことだから洪家のこのわたくしが、わざわざ入宮する羽目になるのよ」


 後宮の浄化を一任されている芳静は文句を言った。後宮の浄化が終わらないと、芳静は宮廷方士の出世街道に乗れないのだ。


「強大な妖魔が巣食ってるわけじゃあるまいし、たかが人間の怨霊でしょう。あなたの訓練にはちょうどいいわ。いいから行くわよ」

「ひーん!」


 芳静は勇ましく歩を進め、夜鈴はよろよろと後について廃冷宮の門をくぐった。




 廃冷宮の中は暗かったが、破れ窓を塞いだ板の合わせ目からところどころ一筋の日光が入り、真っ暗闇というほどではなかった。

 しかし、光が入るからといって安心できるわけではない。


 いる。

 確実になにかがいる。

 人ならざるなにかが。


 怯える夜鈴にかまわず、芳静が懐からピッと一枚の札を出した。方術師が使う霊符である。


「ううう芳静様、さっさと方術でやっつけちゃってくださいよ……」

「わたくしが始末してしまったら、夜鈴様の訓練にならないでしょう。この霊符には隠れた幽鬼を顕現させる呪文しか書いてないわ」

「さっきから訓練訓練おっしゃいますけど、わたしは訓練を受けたいだなんて一言も……」

「黙らっしゃい。あなた星宇の寵愛に応えないつもり? 皇后になるなら幽鬼くらい片付けられるようになりなさいよ」

「どこの国の皇后が幽鬼祓いするっていうんですか。めちゃくちゃですよ」

「わたくしは幽鬼祓いができる皇后になるつもりだったわ」

「基準あなたですか!?」

「あなたは黙ってわたくしの言うとおりにしていればいいのよ。『顕』!」


 芳静はそれ以上有無を言わさず、人差し指と中指で挟んだ霊符でシュッと空を斬った。芳静の霊力が霊符を通して溢れ出るのを感じる。まずいまずいまずい……と夜鈴があせっていると、背中がぞくぞくするような気配が場に満ちてきた。


(――いやこれほんとまずいって!)


「おいでになったわ」


 言われなくともわかる。光の届かない走廊の片隅で、なにかもやもやしたものが形になり始めている。おぼろげに、人の形に――。


「ほ、芳静様」

「なにかしら」

「さっき聞きそびれたんですけど、この幽鬼が殺した皇子って……宇俊皇子?」

「そうよ、知ってたの? 藤花殿のそばに沼があるでしょう。真冬の雪の日、あの沼のほとりで皇子を薄絹一枚で木に縛り付け、凍りかけた沼の水をかけて放置、凍死させたわ。当人は皇子の亡骸の隣で放心していたところを発見され、冷宮入りして間もなく自害。自分で自分の胸や腹を何ヵ所も刺して――。ああ、あんなかんじね」


 芳静が指さす一隅を見つめ、夜鈴は声が出なかった。

 もやもやした影は、乱れ髪を長く垂らした女の形になっていた。胸から下を染める血が、一枚だけまとった襦袢をぐっしょり重たく濡らしている。

 幽鬼の焦点の合わないうつろな瞳が、ついっと夜鈴に向けられる。

 夜鈴は縛られたように動けなかった。



〈ここからだして〉



 恐怖で意識を手放す寸前、夜鈴は幽鬼のかぼそい声をきいた。


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