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1・呪詛喰い妃、藤花殿を訪ねる


 宇澄国(うちょうこく)は初夏だった。宮城奥の後宮にも、そこここに夏の花が咲きはじめている。整えすぎない野趣あふれる園林は、前皇后の好みであるらしい。

 新入り妃嬪の夜鈴(よりん)は開け放った窓から、色鮮やかな立葵(たちあおい)の花を眺めた。侍女の香月(こうげつ)に名を教えてもらった夏の花。日差しに映えてとても美しい。


「夜鈴様。よそ見をしないでくださらない?」


 いらついたように言うのは洪芳静(こうほうせい)。妃嬪としての位階は正二品の昭儀(しょうぎ)であり、頂点である皇后と正一品である四夫人のいない現在の宇澄国後宮において、最も高位の妃である。しかし芳静にとって妃は仮の姿。本来の立場は方術使いだ。後宮を担当する宮廷方士なのである。


「見たくないので」


 芳静がずいっと差し出す壺から、夜鈴は顔をそむけた。初夏の庭はキラキラと美しいのに、何を好き好んで(むし)がうじゃっと詰め込まれた巫毒(ふどく)の壺など眺めなければならないのだ。


「見たくないとか言っている場合じゃないでしょう。あなた何のために後宮にいるの?」

「皇帝陛下の妖気を減らすため……」

「後宮の呪詛を浄化するためよ」

「そ、そうだっけ?」


 夜鈴は隣に座る侍女の香月に尋ねた。香月はあきれ顔で螺鈿細工の(つくえ)の上を見ている。繊細な白磁の茶器に注がれた香り高い茉莉花(ジャスミン)茶に、蜜のかかった涼糕(ひやしもち)。優雅なもてなしの品のすぐ横に芳静が置いたのは、百足や蜘蛛がこれでもかと詰め込まれた呪詛の壺だ。とりあわせとして、かなり無神経である。


「わたくしは、夜鈴様のお役目は陛下をお支えすることとうかがっておりますが?」

「下位の宮女風情が黙ってらっしゃい」


 芳静と香月がにらみ合って火花を散らす。夜鈴はあわてて二人の間に割って入った。夜鈴が何か言う前に、ぶち猫の宝宝(ほうほう)が「けんかはやめな~」とばかりに「ナ~」とないた。


 夜鈴が香月を伴って訪れているのは藤花(とうか)殿。洪昭儀、芳静の後宮での住まいである。皇帝の住まう星照(せいしょう)殿から離れた後宮のはずれに位置しているが、芳静がこのぽつねんとした殿舎に暮らすのは理由がある。

 呪物の解呪や方術の実験をするためだ。

 ときに危険も伴う呪詛や術式を扱うには、ほかの殿舎から離れていたほうがいい。


「夜鈴様が後宮にいる名目なんて、もうなんだっていいわよ。さあ、実験させてもらうわ。喰呪鬼が『居場所』以外で、どれだけ呪い喰いを発揮できるかを!」


 芳静が呪詛を蓄えた巫毒の壺をずいっと押してくる。反射的に夜鈴が身を引くと、「やる気あるの?」と怒られる。

 やる気? そんなものはない。

 この歴史ある後宮に積もりに積もった呪詛の残穢(ざんえ)を浄化するのは芳静に課された仕事であって、夜鈴はなりゆきで手伝わされることになっただけなのだから。


「わたし、呪い食いをしてる自覚なんてないので、どうやればいいのかわからないんですけど……」

「本能でなんとかならないの? あなた(あやかし)でしょう」

「なんとなく、触れればいいのかなとは思うんですけど」

「なら触りなさい」


 芳静が再びずいっと壺を押す。


「中に詰まってるの蟲じゃないですか……。蜘蛛とか百足とか」

「じかに触るわけじゃないでしょう」

「なんか気配がおぞましいんですよ」

「あたりまえでしょう。呪物なんだから」

「ちなみにどんな呪いが?」

「ほうっておくと宝宝が下痢をするわ。だからさっさと解呪なさい」


「「あなた鬼ですか!」」


 夜鈴と香月は同時に叫んだ。




「呪物に直接触れての解呪なら、菫花(きんか)殿以外でも少しはできるわけね。力がだいぶ落ちるようだけれど」


 壺の解呪を終えた夜鈴は肩で息をしていた。宝宝のために必死で呪いの吸収に励んだが、呪物と自分との間に膜があるようなかんじがして、なかなか吸い取ることができなかった。

 菫花殿ではすいすいできることが、藤花殿では難しい。

 『喰呪鬼(がじゅき)』である夜鈴は、「衣食住を与えてくれた場」でしか妖力を上手く扱えない、特殊な妖なのだ。


「では次に、甜点心(おかし)を食べたら力が増すか実験してみましょう」


 芳静が、手つかずの涼糕を夜鈴のほうへぐいっと押す。「衣食住」の「食」らしい。


「また宝宝に呪いをかけるつもりですか!」


 夜鈴は咄嗟に宝宝を抱きかかえた。


「あなたが解呪する気になる呪いでなければ実験にならないでしょう。宝宝がだめなら香月にかけましょうか」

「香月にかけましょうかじゃないですよ! 大体、わたしが後宮の浄化に協力する理由なんてないじゃないですか」

「あるわよ。あなた皇后になるのでしょう? 皇后の役割は後宮の秩序と平穏を保つことよ」

「わたしがなれるわけないじゃないですか、皇后になんて」

(しゅう)家の令媛なら家柄的に無理ではないし、皇帝があなたを皇后にするって言っているのだから、なれるわ」

「わたし妖ですよ」

「やっかいなことにそうなのよね。星宇(せいう)のわがままにも困ったものだわ」


 芳静はやれやれとばかりにため息をついた。今上帝(れい)星宇の幼馴染だという芳静は、ときおり皇帝のことをぞんざいに名で呼ぶことがある。


「ま、あなたが妖であることの問題はわたくしの考えることではないわ。阿兄(おにいさま)の管轄よ。わたくしは後宮の浄化をさっさと終わらせて、妃なんかやめて広い世界に出たいの。いいから協力なさいね、『喰呪鬼』さん」

「ううう、なんつう手前勝手な……」

「なにか言った? いいから甜点心を食べなさいな」

「食欲がなくなりました」

「わがままを言わないでちょうだい」

「芳静様に言われたくない……」

「わたくしはあなたの能力を把握しておく義務があるのよ。それと、香月。本来ならあなたはこんな極秘事項を知っていい地位にないけれど、夜鈴様が心を許す相手があなたしかいないから情報を共有するわ」


 芳静はそう言って香月を見た。


「現在の夜鈴様の能力は、一、『居場所』の解呪を無意識のうちに行うこと。『居場所』とは衣食住と安全を与えてくれる場よ。二、呪物に触れての意識的な解呪ならば『居場所』以外でも行えるわ。ただし『居場所』内よりだいぶ力が落ちるようね。三、解いた呪いは吸収され、夜鈴様の内部に蓄えられるわ。蓄えた呪いは妖力に変換され、自ら使ったり他者に与えたりすることができるの。夜鈴様自身が使える能力は今のところ自己の身体組織の回復のみね」


 目をぱちくりさせる香月に芳静は続けた。


「『居場所』の解呪の作用として、夜鈴様は『居場所』内の他者の妖力を無意識のうちに吸収するわ。兄が夜鈴様を入宮させるにあたって求めたのはこの能力よ。妖である皇帝の妖力を喰わせて人間に近づけ、人間の女との生殖を可能にするため」

「ほかの妃嬪との生殖を可能にするためだなんて。主上は夜鈴様を一番に愛していらっしゃいますのに!」

「今はそういう話はしていないわ。文句があるなら兄に言いなさい。筆頭宮廷方士、洪賢輪(こうけんりん)に」

「でも……」

「お黙りなさい。兄が夜鈴様に求めているのは一の能力、『居場所』内の呪詛・妖気の吸収よ。わたくしは一に並んで二の能力、意識的な解呪の力をもっとつけてもらいたいわ。後宮の浄化を進めるために、夜鈴様の『居場所』を広げていくことと、夜鈴様に意識的な解呪の力をつけてもらうこと、このふたつを平行してやっていきたいの。わかる?」

「はあ」


「いい? わたくしたちは力を合わせて、この穢れの溜まった後宮を浄化していくのよ!」


 芳静はそう言って、ぐっと拳を握りしめ天を仰いだ。涼糕に添えられた茉莉花茶は、芳静の熱意の前にすっかり冷めてしまっていた。


「なんだかおひとりで盛り上がっておられますけど、いつからそういう話になったのですか、夜鈴様……」

「このまえ菫花殿に来たときからこんなだったよ……」


 夜鈴と香月は身を寄せ合い、仕事の鬼である藤花殿の主をひたすら怯えた目で見つめた。


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