24・周家に帰るのよ
(これが……夜鈴?)
周家とて大貴族だが、周家の屋敷とは比べ物にならないほど豪奢な宮城の、皇帝のための殿舎である。内装の煌びやかさと、筆頭宮廷方士である洪家の跡取り息子の美貌に面食らっていたところへ、久しぶりに姉を見た。
麗霞は思わず息を呑んだ。
夜鈴の外見は信じられないほど変化していた。
美しい――とは死んでも認めたくなかった。
この華麗な宮殿に引けをとらないほど輝いている――とも思いたくなかった。
だって下賤なあやかしなのだ、この女は。
襤褸をまとい、薄暗く黴臭い土間に住み、ガツガツと毒入り糕を喰らって恥もなくげえげえ吐いていたくせに。生意気にも上等な襦裙を着てすましかえっている。
この目を惹きつける容姿は、人を惑わす危険な存在である証だ。責任を持って、周家が夜鈴を引き取らなければならない。引き取って、閉じ込めて、人目につかないように世間からしっかり隠しておかなければならない。そして夜鈴には、己が卑しい妖魔であることを思い知らせてやらなければ……。
麗霞は知らず知らずのうちに奥歯を噛みしめていた。
こちらに関心のなさそうな夜鈴の様子も腹立たしかった。もし皇帝陛下の寵を得て内心勝ち誇っているのだとしたら、絶対に許せなかった。なんとしてでも夜鈴を妃嬪の座から引きずり降ろしてやらなければならない。引きずり降ろして周家へ連れ帰り、土間などではなく牢に閉じ込めて、泣き叫ぶまで罰を与えてやらなくては。
身をもって、妖の分際で皇帝に取り入ろうとしたことを後悔させてやらなくては。
自分は、周家の正当な血筋であるこの自分は、周家が契約した妖魔である夜鈴に反省させることができるのだ。気の済むまで仕置を与え、泣かせて跪かせて謝らせることができるのだ。図に乗った身の程知らずの喰呪鬼をしつけることが、周家の先祖に託された麗霞の役目。後宮の宮廷方士から届いた文にだって、そうしたためてあった。
(わたくしは今までだって何も間違っていなかったのよ)
信心深い周家の親族に、喰呪鬼の寝床を燃やしたことをしかられた。でも夜鈴は言っても聞かないのだから、お仕置は仕方がないではないか。気の弱い父親は宮廷の言いなりになって喰呪鬼を後宮に差し出したけれど、妖魔が後宮入りなんてとんでもない。夜鈴は自害してでも引き下がるべきだったのだ。意地を張って辞退しないから、洪家の方士までもが夜鈴を排除するために動く事態になったのだ。
麗霞はちらりと洪家の嫡男を見た。名はたしか、賢輪だったと思う。
色白の細面。中性的で繊細な顔立ちは麗霞の好みだった。母は麗霞を後宮に入れたがっているし、麗霞自身も夜鈴より自分のほうが皇帝陛下の妃嬪にふさわしいと思っているが、俗世と縁が切れたら退屈そうだ。後宮より、周家と釣り合う名家に嫁ぐほうがいい。貴族社会でも名高い洪家ならば文句はない。それに、洪家の跡取り息子がこれほどの美貌の持ち主だとは知らなかった。家に戻ったら、すぐに父親に洪家との縁談に向けて動いてもらおう……。
麗霞はもう一度賢輪を見ようと、宮廷方士の席に視線を向けた。賢輪はちらともこちらを見なかったが、隣に座った女性の方士が牽制するように険しい目を向けてきた。彼女が文を寄越した女方士だろうか。
(頼まれたから来てやったのに。あの女かんじ悪い)
麗霞はふいっとそっぽを向いた。女のくせに方士なんかになって、宮廷で出世しようとするからそんな権高になるのよと麗霞は思った。顔立ちは綺麗だが化粧は地味で、にこりともしない。癪に障るえらそうな女。夜鈴を引きずり下ろすために、今だけは言うことを聞いてあげるけれど。
「周家のご令媛もお越しになられたことですし、そろそろ始めましょうか」
女方士が口を切る。宮廷の重鎮である年嵩の男たちが、一斉に麗霞を見る。麗霞は緊張して、助けを求めて洪家の跡取り息子を見た。彼はこの場で行われていることにまるで興味がないような顔をして、目線をうつむく夜鈴に向けていた。
麗霞はイラッとした。なぜ夜鈴など見ているのだ。
「わたくしは、何からお話したらよろしいのでしょうか」
賢輪に向けて言ったのに、女方士のほうが「夜鈴様に周家へお戻りになるよう、強めに提案してみてください」と答えた。
(強めに提案ですって。笑っちゃうわ。つまり命令しろってことでしょう? 妖なんて後宮で持て余すから、無理矢理にでも連れて帰れってことでしょう?)
この女方士も普段は後宮にいるらしい。妃嬪の一人ということだろうか。もしかして、夜鈴の容姿に嫉妬しているのだろうか。彼女も美人ではあるけれど、並みはずれて蠱惑的な妖がそばにいたら色褪せて見える。
麗霞は声には出さずに小さく笑った。
夜鈴は後宮でも排除されようとしている。卑しい妖魔の行くところなど、結局どこにもないのだ。どこにもないから、周家の先祖が居場所を与えた。喰呪鬼は周家に感謝して、末代まで周家の言いなりに生きればいい。
夜鈴は、周家の正当な子孫である自分の言いなりに生きればいい。
「夜鈴大姐」
麗霞は猫なで声を出した。
壁際にいる夜鈴は、うつむいたままだった。
「夜鈴大姐、顔をお上げになって」
麗霞がそう言ったら、夜鈴は顔をあげた。ほんとうに言いなりなのかしらと、麗霞は面白くなってきた。
「わたくしの目を見て」
夜鈴の、気味の悪い金の斑点がある群青色の瞳が、麗霞に向けられる。その表情は虚ろで人形じみていて、麗霞は笑い出したくなった。
「夜鈴大姐。周家に帰るのよ」




