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20・皇帝の初恋


 星照殿の一房(いっしつ)。政務に使わない奥まった間で、星宇は洪家の跡取りである宮廷方士、洪賢輪(こうけんりん)と話をしていた。


「芳静を誘ったが、後宮の妃嬪を手続きなく外の者に会わせてはならぬと戒められた」

「当然でございます」


 賢輪は生真面目な顔でそっけなく答えた。

 子供のころから知った間柄であるのに、賢輪は星宇に必要以上に親しい態度をとらない。そんなところも信用できるのだが、実の妹にくらいもっと大らかでいいだろうと思った。洪家の人間は真面目だ。黎家の人間――星宇たちきょうだいは人間より妖に近かったが――は皆適当なので、苦労するのはもっぱら側近たちである。


「芳静も後宮にだけおっても暇だろうに」

「積年の呪詛の解呪に休む間もないと申しておりますが。芳静は洪家の名を背負って後宮に入っております」


 宮中で行う祈祷、呪詛封じ、厄除けは宮廷方士の仕事である。しかし女性が方術を学ぶことは近年まで例がなく、後宮だけは方士の手が入りづらかった。後宮には怪しげな巫術師(ふじゅつし)も近づけないため危険の大きい呪術は行われなかったが、まじないのような小さな呪術は日常茶飯事だ。そのため、後宮の長い歴史の中で積もりに積もった呪いの残穢(ざんえ)が、ほうってはおけない状態になっているらしい。蓄積した呪いの影響か、先帝の時代には怪異の報告も多かった。芳静は状態異常の後宮を浄化するため、日々解呪に勤しんでいる。


「夜鈴が入って芳静も少しは楽になっただろうか」

「喰呪鬼は己の領分しか解呪しません。菫花殿周辺だけは浄化が進んでいるものの、ほかは以前と変わらずだそうです」

「己の領分?」

「喰呪鬼が解呪できるのは、喰呪鬼本人が『自分の居場所』と認知している場だけと言われています。個体が置かれた状況によって差が大きいようです。家ひとつから、邑や郷にまで広がることもございます」


 賢輪の説明に、星宇はしばし考えをめぐらせた。


「後宮全体が夜鈴の居場所となったら?」

「後宮全体がですか? こう申し上げては何ですが、皇帝の寵を競う場ですよ。競争相手の住まう場を自分の居場所とはなかなか思わないでしょう」

「寵を競わねば良いのでは?」

「寵を競わないですと?」

「妃を一人に決める」

「――主上、まさか」


 賢輪は基本無表情だが、旧知の仲だと目元口元のこわばりから心のうちが読めるものだなと、星宇は自分に感心した。


「まあそう怒るな」

「主上。喰呪鬼はいけません。次代の皇帝も妖にする気ですか」

「おや? なぜ夜鈴だと思った?」

「あなたはわかりやすいですから」

「わかりやすかったか?」

「妃嬪に贈り物をするために侍女を呼び出して好みを探るなど、夜鈴様以外になさったことがありますか?」

「ない」


 先日香月を星照殿に呼び出したのは、夜鈴に衣装や簪を贈りたいのでこっそり好みを訊くためだった。それが賢輪にバレているとは思わなかった。


「女人に贈るものが果物や双六や碁盤だけでは色気がない。賢輪もそう思うだろう?」

「存じません」

「堅物め。せっかく女人に好かれそうな綺麗な顔をしておるのに、つまらんぞ」

「主上も女人に好まれそうな凛々しいお顔立ちでいらっしゃいます。喰呪鬼の働きで、主上の妖気は抑えられておりましょう。なのになぜ他の妃嬪を召されず妖一人を」

「そりゃ、どれだけ妖気を抜こうが俺が妖だからだと思うぞ。世の男たちがなぜ女人の前でそわそわするのか、はじめて分かった。逆らえないな、本能は」

「無理に逆らわずとも結構です。しかし、夜鈴様お一人にお決めになるなどとんでもないことです。皇后にするために喰呪鬼を後宮に呼んだのではございません」

「皇后かあ……」

「主上!」

「遠い道のりだな。まだ手も出せてないからな。夜鈴がガキ過ぎて」

「――まだ床入りはなさってない?」


 賢輪の表情のこわばりが少し引く。あっこいつ、まだ介入の余地があると思ったなと星宇は察した。


「賢輪おまえ、芳静に色仕掛けで俺に迫れとか命じるなよ。無駄だからな?」

「色仕掛け……その手が」

「ないからな? 妹の尊厳を汚すな。芳静はそんな女じゃないだろ」

「入宮したからには芳静も覚悟の上です。そこはしっかり話し合いました」

「しっかり話し合った上で誘惑されてもこっちが萎える……」

「は? なんと申されましたか?」

「なんでもない。とにかく、俺の言いたいことはひとつだ」

「伺いましょう」


「俺の初恋をそっとしておいてくれ」


 星宇は真剣に言ったが、賢輪はわざとらしくため息をついた。


「初恋はご自由に実らせてくださって構いません。しかし次代皇帝を妖にするわけにはまいりません」

「なぜだ?」


 星宇の問いに賢輪は黙った。星宇の即位を良しとしなかった大臣たちに問うと「人の世を統べる者は人であるべき」と答えるのだが、ほぼ妖である星宇に向かってそれを言う賢輪ではなかった。



     *****



「おどろきました。月輝殿を指差したら大階段に主上がいらっしゃるのですもの」

「芳静様も一緒にね……」


 夜鈴は力なく(ながいす)に身を投げ出している。


「もう。元気出してください」

「わたしやっぱり後宮っていろいろ無理だと思う。ただ一人をめぐって妃がいっぱいいるって辛すぎじゃない? 少なくともわたしには無理。誰が考えたのこんな残酷な仕組み」

「昔の皇帝ですよー。わたくしは教養がないのでいつの時代のどなたかは存じませんけど」

「わたしもない……。芳静様はあるんだろうなあ、教養」

「もう。人と比較するのやめましょうよ。それに教養があっても人でなしだったらどうしようもないでしょう。知りません! わたくしと夜鈴様を引き裂こうとする人なんて」


 香月はぷんすか怒っている。毒を仕込もうとしたと嘘をつかれて以来、芳静に対してはずっとこんな調子だ。


「芳静様はどうしてわたしと香月を仲違いさせようとしたんだろう……」

「ご性格がお悪いからでしょ」


 香月は単純明快だ。いっそ清々しい。夜鈴も、実は理由があるのではと深く考えなくていい気がしてくる。


「あのさ、香月。香月って……わたしの味方なの?」

「味方です。当たり前じゃないですか」

「当たり前なの……? なんで? 菫花殿の宮女だから?」

「そんなまっすぐな瞳をして頼ってくださる方の味方をしないなんてありえません。わたくし、鬼じゃございませんよ」

「わたし、周家では汚い家畜みたいだったのに」

「ご苦労なさいましたね。嫌なものですよね……つらいより、何も感じなくなってしまうから。わたくしも、一時は野良犬みたいな暮らしでしたので」


 香月の言葉に、夜鈴は榻から身を起こした。

 桜綾の言葉が心によみがえる。


 ――香月は今まで苦労が多かった……そなたも周家の令媛として順風だったわけではあるまい。苦労人どうしわかりあうところもあるだろ――


「こ、香月~~~~!」


 夜鈴の目からぶわっと涙が湧きこぼれた。衝動的に香月に抱きつく。


「わ、どうされました! 夜鈴様……」

「一緒にいてね。香月、ずっと一緒にいてね」

「います。いますとも夜鈴様」

「わたし、主上に相手にされなくても香月がいてくれたら大丈夫だから」

「夜鈴様は主上に愛されてますから!」

「そんなのわかんないもん。当てにならないもん」

「わかるんですけど……。わたくしなら大丈夫です。ずっとずっと、お仕えさせていただきます。ご安心くださいませ」

「うわ~~~~ん! 香月~~~~!」


 抱きついて泣きじゃくる夜鈴をあやすように、香月はいつまでもやさしく背中をさすってくれた。


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