14・絶望を引き受ける覚悟
「あら、おかえりなさい夜鈴様。どちらへ?」
菫花殿へ戻ると、星照殿へお使いに行っていた香月が帰ってきていた。
「芳静様のお見送りに」
「芳静様をおもてなしできず申し訳ありませんでした。桃露冰と寒天の甜味もできあがっていましたのに。芳静様にも食べていただきたかったです」
「そうだね」
「夜鈴様、召しあがります?」
「うん」
「では、盛りつけてまいりますね!」
香月は明るく笑って、ぱたぱたと厨へ消えた。
夜鈴は香月が去った扉をずっと見ていた。
やがて、香月が綺麗に盛り付けた桃の蜜漬けと寒天を持って戻ってきた。
「おいしそう」
いつものように、夜鈴は笑った。とろとろの甘い桃が、つるりとしたのどごしの寒天と共に、なめらかに胃の腑へ落ちてゆく。
(怖くなんかない。だってわたし、別に死んだってかまわないもの)
菫花殿に来た最初の日も、そう思いながら餡入りの糕を食べた。
(香月を疑いながら暮らすくらいなら、死んだほうがまし)
残念ながら、蝶よ花よではなく、穢れだ汚物だと言われながら育った身だ。舐めないでほしい。
何を?
絶望を引き受ける覚悟を。
昨日は香月がつくった桃の甜味を食べたし、今朝は香月がつくった貝柱の粥を食べた。
死んでない。とてもおいしかった。
夜鈴は日課の呪物探しをするため、裏庭に来た。
(めずらしい。今日はなにもない)
そのまま朝日の中に立ち尽くす。日向ぼっこをするにはもう暑い季節だ。名も知らぬ夏の花がひとつふたつ咲き始めている。色鮮やかで大輪で、とても綺麗だ。今度香月に花の名前を教えてもらおうと思った。
――この花の盛りまで、生きていられたら。
結局どこへ行っても、自分に味方はいないのかもしれない。
その身に呪いを溜め込む、穢れた妖魔の末裔に、親しむ人間はいないのかもしれない。
(主上はちょっとだけ味方かな。妖どうしだし)
でも星宇には芳静がいる。ずっと星宇のそばに寄り添ってきた芳静が。芳静だけではない。この後宮に何人の妃嬪がいるか、夜鈴は知らない。星宇は人間の女たちと子を成すために、彼を人の身に戻せる喰呪鬼を後宮に輿入れさせたのだ。星宇が夜鈴を大事にするのは、人間の女と子を成すために、夜鈴が必要だからだ。
いや、夜鈴が必要なのではない。喰呪鬼が必要だからだ――。
(あれ。なんか目がぼんやりする)
視界がぼやけて夏の花がかすむ。今ごろ毒が効いてきたのかと思ったが、違った。
夜鈴は泣いていた。
(わたしって、ちゃんと泣けるんだ)
祖母が死んだときを最後に、周家では泣いたことがなかった。心が死んでいたから。
後宮に来て、心が生き返って、やっと泣けるようになった。
きっと香月と星宇のおかげだ。
二人に会えてよかった。
騙されているのだとしても。
道具にされているのだとしても。
それでも、周家にいたころよりずっと、夜鈴は人間みたいに暮らせた。
しあわせな人間みたいに。
だから、二人に会えて、本当によかった――。
ぽろぽろと涙が頬を伝う。今まで一体どこに隠れていたのかと呆れるくらい、次から次へと涙があふれてくる。大量なので下を向いたら、涙は点々と地面に落ちた。つらいのに、泣くのはどこか心地よさがあった。泣けなかったころより、悲しくて泣ける今のほうがずっといいと夜鈴は思った。
「夜……夜鈴さまっ、ど、ど、ど、どうされま……したかっ!?」
どもった女の声がして、夜鈴はびっくりして泣きぬれた顔を上げた。
大きな目をした、猫に似た小柄な宮女が、半分おびえたような顔をして夜鈴の顔をのぞきこんでいた。




