01
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薄暗い空から、無音の粉雪が降り始めた。今朝テレビで観た天気予報通りに。
「F県巳ノ土町から来た、沢上幸久です。春には高校一年生になる十五歳。どうかどうか、受験に合格させてください……」
俺は学校帰りに、受験生にご利益があると言われてる小さな神社に立ち寄って、念に念を込めて静かに祈願する無力な中学三年生。信心深くもなければ無碍にもしてない、葬式するなら仏教でってくらいの檀家に生まれた。氏子でもある俺がしていることは、日本人の半分はしてそうな神頼みってやつだ。
半年前から此処、巳ノ土神社を参拝してる。
定期的に毎週通っているけど、不思議なことに、神主や管理者らしき人物を見たことがない。敷地は誰がいつ掃いているのか、いつ来ても落ち葉は数枚落ちてるだけで、綺麗な状態がずっと維持されてる。
……奇妙と言えば、鳥。
巳とは蛇のことだが、巳ノ土神社では、その名前に由来してなさそうな鳥を神様として祀っている。鳳凰ではない。カラスでもない。水鳥だ。
可愛いのは姿だけだったりして……。っていうのも、前々から不可解な話が絶えない。
小学生数名が面白がって水の入ったコップをお祀りしてみたら、翌朝には空っぽになっていたという怪談が一昨年の夏休み明け、俺の通ってる中学にも流れてきた。
通りがかった猫が飲んだか、実は誰かがこっそり中身を捨てたのではないか?
初めから入ってなかった、暑さで蒸発したとも言われている。
ほかのケースだと……。
ある五人組の高校生は油性ペンで神社の壁に落書きをした結果、一週間、高熱にうなされたらしい。したことは不謹慎で幼稚だが、神様を怒らせるにはこれぐらいの嫌がらせをしないとと思った勇気は買おう。
……で。
その落書きは初めから何もなかったように、彼らの期待通り消えた。
専用の道具を使って汚れを落とした痕跡は無し。SNSで注目を浴びたいだけの奴らと吹聴されるのが嫌で、あらかじめスマホで写真を撮り、書く前と書いたあとを比較するため証拠を残したが、両方とも落書きは映っていなかったという。
などなど。まあ、参拝客に出会う確率がちょっとばかし低いのは曰く付き(?)が原因ではなく、三キロほど離れた場所に建っている有名な神社に客をとられてるせいだ。
俺は巳ノ土神社の、神域らしい静かで清涼な空気って言うのか?その辺は気に入ってる。
「がっ……!」
賽銭箱の前で合わせた手を離しかけた瞬間、硬い何かが、俺の後頭部を砕き割らんと言わんばかりの強さで踏んだ。
体が前に倒れる。痛かったのは一瞬だけ。
神様にお願いごとばっかしたら、そいつは頼み信心だ、良くないぞと、いつだったか父親に注意されたことがあるのを、薄れる意識のなかで思い出した。
受験合格祈願の何が悪いんだよ…………。
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「もし。もしもし。もし、も、もしも」
優しさと明るさを兼ね備えた女子の声が発する、まるでモールス信号みたいな呼びかけが、失っていた意識をゆらゆらと覚まさせる。
「言い方おかしいかな?
単刀直入に……。
起きてくださーい」
近所の中高生か?救命士や医師はそんな言い方しないし、怪我人を強制的に起こそうなんてしない。
瞼を薄く開けると、水色の髪を赤い紐で結ったおさげの女子が仰向けになってる俺の隣りに座って、顔を見下ろしていた。
「おはようございます。早く起きてください」
せっかちな彼女は金色の丸っこい目を細め、にっこり笑って広い袖を捲り、何やら腕まくりを見せてきた。
「言うこと聞かない悪い子は、腕をへし折っちゃいますよ?」
「!?」
脅された俺は本気を感じ、がばっ!と上半身を起こして、信じられない物を見る目で、彼女の顔を凝視する。
「あら、賢いですね」
互いの体以外は何も見えない真っ暗闇の夢のなかで、今度はなぜか頭を撫で撫でされる。意味不明だ。
「あんた、初対面の相手に恐ろしいことを言うんだな」
「世界とは、これが普通です」
「?」
頭の弱い人なのか?俺は一歩引いた怪訝な表情で、未だ能天気そうな彼女を見た。夢に棲まう住人てのは、たまに変な奴が現れる。今日のは前髪ぱっつん、やや真ん中分け。眉は平安時代の?麻呂様みたく短い。
容姿は巫女っぽい真っ白の上着に、もんぺみたいに裾を絞ったズボン。俺の手首から中指の爪までの長さくらいありそうな底が異様に高めの、横から見るとT字になってそうな下駄。
「あなたのお名前を教えてください」
俺と同じくらいのタイミングで立ち上がった彼女の身長は、たぶん五センチは低い。
「沢上幸久。水編に尺、上を向くの上、幸せ久しいと書く」
「ほお、ほお。さすが私の選んだ半身っ。良い名前です」
彼女は喜んで軽めの拍手を送る。俺はまともに取り合う必要はないと思い、右から左へ聞き流した。
「それはどうも。あんたは?」
「イナバと申します」
いなば、いなば、いなば。
日本の神話に登場する、因幡の白兎を思い出す。
「あぁ、そっか。俺をワニと思って踏ん付けたのあんたか?」
適当なことを言ってみた。どうせ夢のなかだ。
イナバは右手の人差し指を立てて自身の顎にくっ付け、顔を左にほんの少し傾けた。
「ワニ?とは何か知りませんが、下等な類いの嫌な物でしょうね、それは」
「因幡の白兎はワニたちを騙し、踏ん付けて行きたい所へ渡ろうとした。でも、嘘をバラして怒られ、皮を捲られて泣くんだ。そのあとも悲しいことはあったけど、神様が助けてくれたってオチの昔話」
「ふむふむ。大変面白いですね」
イナバは両手を合わせ、感心している。きっと心の底から。
「では、幸久」
「おう」
「可哀想な私を、あなたのチカラで助けてください」
「あんた、頭大丈夫か?」
「すこぶる元気です」
「……」
「幽霊に変わり果ててしまった私の願いを叶えてください。でなければ、祟りますよ?」
「てか、俺も死んでるんじゃないの?」
「生きてます」
「じゃあ、目を覚まさせてくれよ」
「起こす代わりに救ってください」
なんてしつこい女だ。呆れた俺は右の手のひらで自分の顔を覆い、眉間に皺を寄せて渋い表情をする。
「気が向いたらな」
承諾したかしてないか微妙な返事をすると、イナバは先ほどより穏やかな、しかし何処か気味の悪さを秘めた目で微笑む。
「有難うございます。
では、幸久。これからあなたが使う名前は……、ユンリにしましょう。本名を明かしてはいけませんよ」
「理由は?」
「名前というのは『体を縛る』と言います。術の効果を上げるにあたって、最も効果を発揮してくれるのは相手の本名。怖い人たちにバレないよう、気を付けてくださいね」
「怖い人ってワニ?」
「はい」
「あんたを泣かしたワニってのはどんな相手か、わかりやすく教えてくれ」
「私に呪われてる者たちです」
「それ、自業自得って言うんじゃね?」
「大当たりです」