『最終報告』
机に置かれた報告書をほぼ読み終えて、マリオに最後の質問をする。
「この二人の仲はいったいどのようなものなのだ?」
ダルトンはリリが女神ではないと分かった後も、「あの教会の柱に会い行く」と足繁く通っている。
「申し上げます。柱にもたれコッペパンを食べ、時に柱を見上げ、熱く語り合い、小鳥に餌を与える仲でございます」
それは、どういう仲なのだろうか?
疑問は解消されなかった。しかし、そもそも弟は疑問しかない存在である。
マリオの報告によれば、教会には『リリ』という娘が住んでいた。そして、その娘が柱の声の主なのだ。しかも、知れば知るほど、素性が怪しい。
しかし、怪しいが、全く危険ではない……ということも分かった。
村人達はリリをとてもかわいがっているようだし、誰に聞いても「良い子だよ」と言う。リリのことを尋ね回るマリオに「もらってやってくれないか? 夜は教会に帰っちゃうけど……騎士さまが、教会に一緒に住んでくれると心配もなくなるんだけど」と切実に心配する声もあったそうだ。
確かに村人たちが悪意を持たずとも、人気のある場所に獣は寄りたがらないと言っても、森の奥に肉食の大型獣は存在する。
リリ自身もお針子の仕事を真面目に熟し、日々慎ましやかに過ごしているそうであるし、何より、このマリオがこの不審だらけの娘に対して「不審点なし」と太鼓判を押すのだ。
なんなら、教会の柱に恋する弟と、教会の柱でしか眠らないその娘は、本当にお似合いなのではないか、とすら思えてしまう。
おそらく先代に激しくあった戦火の中、国境を知らぬ間に越えてしまった孤児が教会に居つき、そのまま大きくなった。平和な今にそんな民の無断越境を咎める気もしないが、その娘が変人の弟をからかっているだけだったら、という事項と、本当に柱と結婚してしまうのではないかという事項が心配要因になっていた。
そうであったのだが、とりあえずは、回避されていると言って良いだろう。
リリはどちらかと言えば、ダルトンの被害者に思えるし、ダルトンの様子も以前と比べれば、落ち着いている。
そして、最後の報告書に目を遣った時に、深緑の帽子を被ったダルトンの姿が窓の外に見えた。
「あいつは、今は『トン』という木こりなのか?」
『トン』にこだわった理由も分かった。しかし、今でも『トン』が良いようだ。
「えぇ、おそらくは」
私の前にはいつまでも姿勢を正して立っているマリオがいる。今は、リリなのか柱なのかに会いに行く時は『トン』という木こりなのだそうだ。ダルトンという名前だと緊張してしまうリリを慮ってのことだとは、伝えられている。
実際、ダルトンはダルトンであり、同じ人間なのだから、名前など変わらない気もするが、どうもふたりにとっては、大切なことのようだ。
深緑の毛糸で編んだ帽子は、そのリリという娘からもらったらしい。そして、皮のベストにゆったりとしたズボン。しかし、木こりの割には貧相な体だ。そして、その後ろから、デュムラが静かに付いていく。こちらも、木こり風の恰好なのだろうが、こちらもこちらで、木こりがあんなに姿勢良く歩くとは思えない。その二人に苦笑してしまう。今や巻き込まれているようにも思えるリリは、あの二人の身分を心配し、一緒に過ごせるように仕事を休んでくれているそうだ。
「おそらく、そのリリという者にも、その村にも迷惑を掛けているな」
そう言いいながら、最後の報告書の一文にほっと微笑む。これは、マリオのダルトンへ対する思いやりだ。
『教会が崩れた場合、ダルトン殿下は、おそらくその女神の柱ではなく、その娘を助けようとするであろう』
「次にあいつがリリに会いに行く時は、私も付いていこう。コッペパン代くらい、こちらで払わねばな。あいつは支払いもできぬだろう?」
それは、ダルトンに限らずだ。貴族連中は自ら支払いなどしたことのない者が多い。言えば誰かが持ってくるのだ。そんな頭で、支払いなどしようとするとは思えないし、マリオならともかく、デュムラがそこまで気を回すとも思えない。だから、おそらく、それをリリがしている。
「では、木こりの衣装をもう一組」
真面目に答えるマリオに手を振り、その役目を解く。その仕草で一礼したマリオは執務室から下がる。
とりあえず、『人』を助けるようであるのであれば、ダルトンの『真実の愛』については、もう少し様子を見ても良いのかもしれない。
〇
「あら、トンさん、今日もリリちゃんをよろしくね。そちらの、その、木こりさんの分も入れておいたからね」パン屋のおばさんは、いつもにこやかにダルトンに言う。
ダルトンが、木こりらしからぬ微笑みで会釈をし、もう一人のなぜかこそこそしている木こりデュムラも無言で会釈をするので、村の人達は、この二人が木こりではないことにも気付いている。
きっと、お忍びのやんごとなき方なのよ。そんな風に。
だけど、トンの話をする時のリリが嬉しそうなので、黙って見守っているのだ。
「いーい。みんな、リリちゃんの幸せを奪わないようにね」
それに、『トン』という『木こり』は嘘が上手くなさそうだ。
ここは教会の小径の脇にある森の中。
村の人達の現状なんて露も知らないリリは、紙袋からコッペパンをひとつ取り出し、半分にした。
「はい、トンさんの分です」
「ありがとうございます」
当たり前のようにコッペパンをもらったダルトンは、大きく息を吸って、その息を吐き出す。
森の香りが肺に心地よく、清々しい気持ちにさせる。そして、柱の女神ではなかったリリを見つめた。
「リリ殿、私はいつかここに小さな家を建てます」
「はい」
その声はダルトンの耳に心地よく、優しい気持ちにしてくれるもの。胸の高鳴りを大きくするもの。あの時もそうだったのだ。ダルトンは、柱に魅了されてはいたが、その声に恋をしたのだ。ダルトンはその声をいつも聞きたいと思っていたし、今もそれは変わらない。
「木を切れるように力を付けて、自分でこしらえようと思っています」
「はい」
リリは大きな木の枝に手を伸ばしながら、そこに止まる小鳥を見ていた。掌にはコッペパンの屑。
「その……ここなら、教会も近いです。その、その家に一緒に住んではくれませんか?」
「はい……?……あぁ、トンさんが一緒なら、もうトンさんにご心配お掛けしませんね」
それはリリが教会で眠っていることを心配する、柱を愛するダルトンが、思っていたよりも頻繁に通ってくることに由来するのだが、心なしかダルトンの肩が力なく下がったように見えた。どうして、嬉しくないのかがよく分からない。だから、リリは首を傾げた後に、言葉を続けた。
「ここにトンさんが住めば、トンさんはいつでも柱の女神さまに会いに行けますよね」
「あぁ……はは、はい…そうかもしれません」
コッペパンに誘われた小鳥が、ダルトンの被る帽子に止まり、慰めるようにしてその頭で囀り始めると、リリが嬉しそうに、ふわっと笑う。ダルトンも釣られて不器用に笑う。
これは、ダルトンがリリに対しての初手を間違えたから起きた大きな勘違い。リリにとってダルトンは教会に住む小鳥と変わらない。
だから、教会の柱以外で眠っても構わないと思えるようになっていることに、リリが気付くことも、まだ先になりそうだった。
そう、護衛のデュムラの大欠伸が聞こえてくるくらいに、ダルトンの真実の愛への道のりは、まだまだ遠きものなのかもしれない。
(おしまい)
お読みくださりありがとうございました。もうすぐ満月ですね。どこかで誰かが月の光に現れた女神さまに出会うかもしれませんね。
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