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満月に落ちる(再び)

 

 町外れの石造りの教会。建築様式としては一世代前のものである。

 しかし、内装が面白かった。それは、今まで見たどの建築物とも異なっていたのだ。

 石造りでありながら、神を祀るためにある祭壇を護るようにある柱は、一抱えよりも少し大きいもの。しかも、屋根を支えるためのものでなく、『柱』としてだけ存在しているのだ。ただオブジェのように。ただ、あるだけで。おそらく、さらに過去に造られたこの柱を囲うようにして、石が積まれ、この教会が建てられたのだろう。


 しかし、なんのためにあるのか分からない柱の理由にも興味が湧いた。何よりその柱としてだけ存在しているその柱は、何も支えていないくせに、まるで屋根の上にある天空を支えているかのごとく、悠然と存在しているように見え、ただ感動してしまったのだ。


 普通なら遺物として壊されていたかもしれないその柱が、本来の柱よりもずっと大きく見えた。

 それだけでも十分魅力的な場所だったのだ。

 それなのに、そこには、柱の女神が住んでいらっしゃったのだ。


 厳かな月の光がその石造りの教会を青白く輝かせている。扉は木材でできており、黒い閂があるが、その閂は通されてはいない。おそらく女神は夜闇に迷った憐れな人々を、その屋根の下で匿ってくれようとしているのだ。

 前回はマリオに開けてもらったが、今日は自分の手で開くと決めている。


 そして、今夜は柱の女神がお声をくださったその日と同じ満月。もしかしたら、奇跡が起きるかもしれない。また、返事をくださるかもしれない。しかし、おそらく僅かに光の差し込みは違うのだろう。同じ条件とは言えないそれが、不安に繋がるのだ。


「着いた」

 私の声にマリオとデュムラが肯いた。扉は僅かな軋みと重みをもって、その月の光を入り口へ侵入させた。

 一歩足を踏み入れると、床に敷き詰められた灰色の石に影が冷たく伸びていく。

 教会の窓に色硝子は使われておらず、透明の硝子窓だ。窓からは差し込む自然な光は、ちょうど祭壇を照らすようになっている。日中はその光が祭壇を輝かせていた。

 そして、夜。

 これほど魅了されるものと出会うことになろうとは。運命だとしか思えなかった。


 我が女神の柱は双子の姉とともに、今日も立派に佇んでらっしゃった。

 感嘆の吐息が口から漏れた。

 あぁ、今夜もなんてお美しいのだ……。


 愛しの女神よ、兄上お許しの日が参りました。


 〇


 ダルトンが教会へ踏み入れる。そして、その月光を浴びる柱の前に跪き、「どうぞ、私の気持ちをお聴きください」と頭を下げた。


「先日、貴女様のお声を聞いた時から、この胸の高鳴りは止まりません。どうかもう一度、そのお声をお聞かせくださり、私の気持ちを受け取ってはいただけないでしょうか」

 静まりかえった教会の中。何も起こらないと思われたその一時(いっとき)の後、柱の陰が揺れた。ダルトンが息を呑むと、村娘の姿をした女神……リリの姿がその瞳に飛び込んだ。ダルトンの思考は一瞬ばかり、止まる。神々しさはもちろんない。ただ、突然現れたという驚きも不思議とない。


 そんなダルトンの状態など露も知らないリリは、ゆっくりとしか歩めなかった。踏み出す足は震えてしまう。相手は王族。粗相があってはいけない。

 それなのに、ダルトンは「女神様でございますか」と尋ねた。その声は偽りなく彼女を女神様だと信じているようにリリには思われ、さらに罪悪感とその罪の深さを掘り下げていく。リリは胸の前で自分の掌を握りしめ、足元を見つめたまま、たどたどと口を開いた。


「わたしの名前はリリと言います。それから、あなた様の本当のお名前は、ダルトン様、と申されると、お聞きしました。わたしは、ただここを寝床にしているだけのお針子、にございます……本来はこうしてお話すらできる身分ではありません。女神などでは、絶対に、ありません。ごめんなさい。騙したつもりは、全くなくて……ございません。わたしは、……申し訳ありませんでした」


 不安でいっぱいなリリは思っていることを真正直にダルトンに伝え、深々と頭を下げ続けた。どうすれば良いのか分からない。これ以上、声を出しても良いのか、謝った方が良いのか。それとも、このままひれ伏すべきなのか。

 王様の弟、ということは、とても偉い方なのだ。リリには対応がよく分からなかった。だから、リリは黙って俯いてしまった。ダルトンもその娘のつむじをじっと見て、黙っていた。


 その沈黙を良しとしなかったマリオの「ダルトン様」という声をきっかけに、ダルトンはふと肩の力が抜けたような気がした。『今』を理解したのだ。

 彼女はダルトンが信じた女神と同じ声の持ち主である。彼女は嘘を言っていないのだ。それに、彼女は『お祈りでしょうか?』と言っただけ。『できれば、これ以上近寄ることなく、その場所でお祈り願います』と言っただけ。一方的に話しかけたのは、間違いなくダルトンだった。


「……リリ殿が悪いわけではない。どうか、頭を上げてください。勝手に勘違いしたのは私の方だったのだから」

ダルトンは丁寧にリリに伝える。失望の中とはいえ、ダルトンはその目の前の民を蔑ろにできるほど、人間を捨ててはいない。だから、恐る恐る顔を上げるリリに尋ねた。

「一つ尋ねてもよろしいか? リリ殿はどうしてこの柱を寝床にしていらっしゃるのか? リリ殿は、身分卑しいと言え、お若いご婦人であろう。ここは、あまりにも危険な場所ではありませんか? 良ければ、住む場所を……用意させても構いませんが……」


 教会とは言え、扉は誰にでも開かれる。安穏とした村だと言っても、善人ばかりが住んでいる訳ではないし、森の奥には獣もいる。ダルトンの意見は、正しい。実際に、仕立屋のおばさんに住み込みの話も何度ももらっているのだ。しかし、リリは何物にも代えがたく、この場所に在りたかった。

「……安心するのです」

大きく頭を振ったリリはそう言って、この扉を自分が開いた日を思い出す。


 幼かったせいで詳しいことは全く覚えていない。

 ただ、何か怖いことがあった。そして、お父さんとお母さんがいなくなった。お母さんが上着のあわせをしっかり閉めてくれて、名前を尋ねられたら「リリ」と答えなさい、と言った。そして、真っ暗な道を走り続けた。そんなことしか覚えていない。ただ、とても不安で、とても怖くて、真っ暗で。やっと開いた扉の先に、この柱が見えたのだ。月明かりに温かく輝き、リリに「おいで」と言ってくれた気がしたのだ。何があっても守ってくれるような気がしたのだ。


 そして、この柱の傍にいると、この村の人達が優しくしてくれた。ここにいれば、何かが失われることはないと思えた。

 きっと、そんなことを伝えても、分かってくれない。ずっと一緒にいる村のみんなも、本当は分かっていないのだから、なおさら。

 俯いたままのリリに、ダルトンが再び声を掛けた。


「安心……そうですか……そうですね……リリ殿の安心を私が奪ってはいけませんね」

 ダルトンの表情は、月明かりに寂しく、その言葉がリリの胸を締め付けた。別に悪い人じゃない……。これまでずっと暗示に掛けてきた言葉が、そんな人を悲しませてはいけないという気持ちに変わっていた。


「お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

リリのお伺いをダルトンは快く受け止める。

「ダルトン様は、どうしてこちらの柱にお声を掛けられたのですか」

「あぁ、姉柱ではなくという意味で言えば」

ダルトンがほんの少し考えるような素振りをする。


「この扉を開いた時に、こちらの柱が温かく輝いているように思えたからでしょうか。おそらく月光の差し込みで、日によって変わってくるのだとは思いますが、私が開いた時にそうだったのでしょう。そして、お声を聞いた。それはリリ殿でしたけれどね」

いつもなら、設計について熱く語りそうなダルトンの説明は柔らかかった。


 完膚なきまでに失恋してしまった。女神さまなどいなかった。皆の言うとおりだ。しかし、別にリリが憎いわけではない。リリは、ダルトンの大切な柱を『大切』だと感じる希有な存在である。

 いろいろな矛盾が生まれては消える。そんな感情をどう表わせば良いのかが、分からなかったのだ。

 ダルトンにとって、この『分からない』は初めての感情だった。


 相手がダルトンのことを理解しないということは多々あった。

 リリはダルトンと『同じ柱』が好きな『人間』である。

 その考えが大きくなる。


 設計の理屈はお針子のリリには分からないだろう。だから、突き放すような言葉は使いたくない。だけど、安心するという言葉は、ダルトンにもちゃんと届く言葉だった。これは単なる表現の違いなだけで、それなのに、ダルトンは、次に自分がどうすれば良いのか、今は分からなかった。


 相手を思えば、次手が分からない。これも初めてのことだった。


「私も、温かいと……思います」

リリの声がはっきりとダルトンの耳に響いた。あまりにもはっきりと響き、その声にリリ自身が目を見開き、すぐに頭を下げる。だけど、遠慮がちに続けた。


「だから、きっと、みんなにあったかいのだと……だから、その、ダルトン様が柱を諦めるという理由にはならなくて……ここは教会ですし……その」

 リリは勇気を出して、顔を上げた。


 やっぱりどこか悲しげなダルトンがリリの目に映る。言わなくちゃ後悔すると思った。


「いつでもお祈りに来てください。ダルトン様がいらっしゃる時は、わたしはいないように致しますので」

リリはそんなダルトンに一生懸命に伝えようとし、ダルトンはそのリリの言葉を受け止めて良いのかどうかに悩んだ。


「リリ殿が、それで良いのであれば……日程を調整して……」

ダルトンは正解が分からないままそこまで続け、「いいえ」とリリの言葉に小さな反論をした。


「リリ殿がいないのは、違うように思います。ここはリリ殿にとっても大切な場所なのですから」


 温かな黄金を纏っていた月はどんどん天空高くになり、白き光を増すばかり。ただ、そんな夜だった。



後1話で完結します

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