『報告書③ ダルトンについて』
今夜は満月。ここは衛兵の詰め所。後輩のデュムラは仮眠中であり、マリオは控えている、という状態だった。
ことの成り行きを知ったカーマイン陛下が夜の出歩きを許した唯一の日。
「おそらく月が、女神を宿すのです」と、夜の邂逅を願うダルトンに、カーマイン国王陛下はこう言ったそうだ。
「では、同じ条件であろう次の満月で諦めるが良い」
ダルトンのことを思えば、マリオの胸も痛まなくはない。
マリオはダルトンと幼馴染みと言われている男だ。しかし、実際、幼馴染みと言われるほどの幼い頃からの知り合いかと言われると、返事を曖昧にせざるを得ない。
十三歳になるまで、ダルトンは城の外れにある塔の中で、ほぼ幽閉生活を送っていた。当時流行っていた病が、その塔の番人には罹らなかったという理由ではあったが、王族が暮らす場所とは到底思えない場所だった。
しかし、流行病がご兄弟たちを儚くする中、彼は長子であるカーマインに万が一があった場合の御子として、その中で過保護とも言えるほどに、匿われて育っていたのだ。彼が特定のごく少数の人間としか関わらず、毎日同じ場所、同じ庭でその幼少期を過ごしたことを考えれば、彼の偏った性格にも肯ける。
そして、彼が十三になったことで、そのごく少数の中にマリオも含まれただけなのだ。当時騎士団長をしていた父伝いの王命で「親しくするように」と任命されたから。
城勤めの父を持つマリオでさえ、その時初めてダルトンという末の弟の存在を知ったのだ。
彼は流行病が完全に収束するまで、ずっと世間との関わりを持たずに成長していた。
だから、マリオのダルトンへ対する第一印象は、かなり変な奴、だった。
「知っているか? この壁の石とこの壁のこの石は微妙に手触りが違う。色も違い、内容物も違うそうだ。書物によれば、こちらは花崗岩といい、こちらは大理石というものらしい」
「知っているか? 今は石だけではなく、レンガ壁も多く存在するが、さらに大昔は洞穴と言うところに住んでいたらしい」
「知っているか? この塔にはない『柱』で屋根を支えるという建物を」
本の挿絵を見ながら、興奮気味にマリオに話す。マリオも失礼のないように「はい」だの「いいえ」だの言いながら、彼に合わして過ごしていた。
「知っているか? 木で出来た家もあるそうだ」
そして、ダルトンの「知っているか?」が「見てみたい」だということに気付いたのは、彼と話すようになって半年もしてからだった。
それは洞穴の話をマリオが蒸し返した時にようやく分かったのだ。
ここから少し行った場所に、洞穴を見つけました。王様のお許しがあれば、お連れできますよ。
その時も純粋に目を輝かせていた。
「父上に申しておく」
もちろん、子どもの約束だ。ダルトンの父親である国王が許せば、すぐに行けるものだと思っていたのだ。
だが、ことはそう容易く進まなかった。
きっと、これがダルトンの欲求不満を募らせるきっかけになったのだろう。待てど暮らせど許しはでない。今なら、分かる。王族の外出である。マリオと違い、「ちょっと行ってきます」で叶うはずがないのだ。
そして、残念なことに、ダルトンのさらなる不幸は続いた。
もう大きな病気もしないだろうと、少しずつ人との関わりを広げ始めたダルトンは、よく熱を出し、寝込みはじめた。あの流行病に罹らずに過ごした健康な御子は、病気がちなひ弱な王子となったのだ。
外に出ても熱に魘されず、安心して一年を過ごせるようになったのは、現国王のカーマインが国王に即位し、ある程度、国も落ち着いてきた頃。彼が二十を数えた時だった。
やっと自由に使っても壊れない体を手に入れたダルトンは、与えられた公務を終わらせると、こっそりと城を抜け出し、様々な建物を見て回るようになったのだ。それをカーマインは咎めず、ダルトンのことをよく知るマリオに護衛を任せた。
表情にはあまり現れないが、ダルトンはいつも楽しそうに「なるほど」「ほぅ、こんな風になるのか」「素晴らしい」と感心しながら、建物を眺めていた。
そして、あの柱を見つけたのだ。屋根を支えるでもなく、ただ存在する柱。
もしかしたら、その『柱』を自分と重ねたのかもしれない。
加えて、あの半幽閉生活でも大きなストレスを溜めずに過ごせていたダルトンは、恐ろしく素直な性格をしている。
朝の光の中にある柱と昼の光の中にある柱。夕刻の朱色の柱。その光源の違いに現れる色に深い興味を持っていたダルトンにとって、その柱が喋るだなんて、何物にも代えがたい未知の存在になったのだろう。
「マリオ……あの柱には女神様がいらっしゃるようだ」
月の光にある柱を見たがったダルトンは、教会の扉の外を警戒していたマリオの両腕を掴んで、息を呑むようにして、声を出した。彼をよく知らぬ者からすれば全く落ち着いているようにしか見えないダルトンが慌てている、その瞳はあの時のように輝いている、そう思えてならなかった。それなのに、マリオは彼を、多分、馬鹿にしていたのだ。
「また、お話になることはあるだろうか……」
そう呟いた彼が教会に通い詰めるようになることもまた、目に見えていた。
今思えば、あの夜にダルトンの言葉を真実として聞き入れておけば良かったのかもしれない。
また世迷い言を、なんて一笑に付さなければ良かったのかもしれない。
そもそも、生活時間がずれていたはずの二人を引き寄せたのだから、本当に女神様が存在したのかもしれない。
そして、ダルトンが『柱』に求婚すると言った次の満月の日は、今夜にまで迫ってきていた。
「マリオ、カーマイン陛下がお呼びだ」
騎士団長に呼ばれ、やはり、ダルトンは『柱』の女神に求婚するのだな、とマリオはデュムラを揺り起こした後、立ち上がった。