満月に落ちる
月闇に響く蹄の音は、ゆっくりとしたリズムを耳に届けていた。夜空を見上げれば、満月だった。
――綺麗だ。
遠くの森でオオカミの声が月夜に響くと、秋の夜空はさらに広がり、澄み渡った。
「ダルトン王弟殿下」
とても静かなマリオの声に振り向くと、不安そうな表情を浮かべる若い方、デュムラが見えた。
「月が綺麗だとか、思っていませんか?」
幼馴染みの騎士マリオは、なぜか私の心を正確に読む。
「案ずるな、私は正気だ」
そんな風に答えたが、私の道を照らしていた月光は、その答えを翳らすようにして、不安を呼び起こした。
月の光を吸い込んで、その色を深くする草むら、その静寂を広げていくような虫の声。そして、月闇に鎮まった家の影は、闇の色を濃くする。
月夜に輝くあのお方をもう一度。そして、この溢れんばかりの気持ちを伝える。できるのならば、共に暮らしたいと告げたい。たとえ、お返事がなくても、この景観を壊さないような小さな離れを建て、そこに住みたいこともお伝えせねばなるまい。
「それに、兄上に迷惑を掛けるつもりもない」
そう、建築のイロハも知っているし、小さな小屋くらいなら、自分でこしらえられる。
なんと言っても、あの方はここを動くことの出来ないお方なのだから……。
それが宿命だとしても、なんと切ないことだろう。
あの美しい佇まい。あの独特な肌触り、清らかな白い素肌。
ひんやりとしたその肌に吸い込まれていく青白い月の光。
そして、あの日私は人生で初めて『恋』というものを知ったのだ。
あぁ、恋とはこれほどにも胸が熱く切なく締め付けられるものなのだ、と知った。
彼女に出会って、今まで夢中になっていたもの全てがつまらなくなってしまった。あれだけ、毎日通っていた教会も屋敷も、出張度に会いに行った辺境の廃墟も、全てが彼女に会うための布石だったとしか思えない。
陽光を浴びるお姿。
薄曇りにも輝きを無くさぬお姿。
雨に淑やかなお姿。
そして、あの夜。
あの夜も月が綺麗な夜だった。彼女への、いや、我が女神へ対する溢れんばかりの胸の高鳴りと痛みが抑えきれなかったあの月夜に、奇跡は起きたのだ。
私の愛の言葉を受けた女神が、私にそのお声をくださったのだ。
「お祈りでしょうか?」
と。
その凜とした佇まいに反する愛らしいお声に、私の心は完全に打ち抜かれていた。
しかし、それ以来、いくら言葉を尽くしても、いくら通い詰めても、彼女は私に声を掛けてくださらない。
きっと、私の想いが足りなかったのだ。