9、教祖時代の終わり ――無意識下の猫――
宇宙の形が猫なのかどうか。
そうした黎明期から続く論争はしばしば蒸し返されましたが、たいていの場合はギャラクシー猫信仰かユニヴァース猫信仰が、持ち前の包容力で解決してきました。
ところが、とある一派があらわれます。
彼女ら彼らは言います。
「この宇宙が猫の形をしていたのだとしても、宇宙全てはウサギ型の女性神の胎内だ」
今にして思えば、長年にわたって続く猫信仰を破壊するために生み出されたものだったのだと思います。
無視するか、正面から主張をぶつけるか、対応に迷っているうちに、身内の中から迷惑な者たちがあらわれます。
ギャラクシー猫信仰の中に生まれていた、猫耳娘信仰戦線というグループです。
彼らは、ウサギ型女性神の胎内思想を批判したのですが、その際に放った言葉が、これです。
「じゃあ、そのウサギ型女性神も実は猫耳娘の胎内にいる」
漠然とした何かの一部というわけではなく、何者かの……しかも人間の形態をとった猫耳娘の胎内にあるという具体的イメージが形成されてしまうことは、ギャラクシー猫信仰が最も避けたいことの一つです。
要するに、この主張というのは、ギャラクシー猫、またはユニヴァース猫がなにものかの胎内にあることを認める発言であり、物議をかもすものだということです。しかも、どういうわけか、本来であれば、あまり取り上げられないような、この小さな一派から発せられた話題は、非常に大きく報じられ、多くの人にユニヴァース猫信仰の斜陽を感じさせました。
一つ、褒めるべき点があるとするならば、ウサギ型女性神はカワイイものと認識されており、カワイイ存在の胎内にいる存在はカワイイことになるので、猫信仰の肝心要のところである「宇宙カワイイ」を全く否定していないことになるのです。大変興味深いことではあります。
後になって、このウサギ型女神の胎内思想と猫耳娘信仰戦線の登場といった一連は、ひとことで言えば仕込みというやつで、ユニヴァース猫信仰やギャラクシー猫信仰信仰に反対する過激な一派の仕掛けたネガティブキャンペーンだったという話です。
しかし、この胎内思想というのは面白いものです。考えようによっては、マトリョーシカのように、無限にも近い種・数の生き物の胎内の胎内の胎内の胎内の……といったところにこの世界があるのだとしたら……。そう言う解釈も有り得ますし、一つの奧深い解釈ではないでしょうか。
そういった視点の中で、私が個人的に何か知見を届けられるとしたら、「猫は変幻自在である。固体であり液体でもあり気体でもあり、世界全ては猫である。あらゆる生き物は広義の猫である」これに尽きます。
さて、その後、事態はさらに変化してゆきます。
無限入れ子式の世界解釈の登場により、ギャラクシー猫信仰の一部になっていたはずの大勢力、三千世界の犬信仰が復活してきました。彼らだけではありません。多くの宗教が宇宙の形について言及し、その最も大きな外側の起点に、自分たちの推す生き物等を置くことで、教団は細かく分裂しました。
しかしながら、宇宙カワイイ、私たちカワイイという教義に何ら逆らうことではありませんので、これにて本当に猫信仰という思想・宗教が浸透したということになるのではないでしょうか。
意識せずとも、人は宇宙カワイイを無意識化で感覚的にとらえながら日々を暮らして行く。これは、一つの理想的な終着点なのではないかと思います。
猫信仰や猫教団は安らかな眠りにつき、社会の基盤となる一種の美徳や教養といったところに、さまざまな猫信仰が織り込まれていきました。人々の深層意識下に刻み込まれていったことで、ギャラクシー猫信仰や、ユニヴァース猫信仰は、歴史になったと言っても過言ではありません。
ギャラクシー猫信仰が少しでも人々の中に残ることで、豊かな多元性が保たれ、相互の豊かな交流や学びが生まれ続けることが、これからも期待されています。
私から皆さんに告げなければならないのは、ただ一言。
「――汝の猫を愛せよ」
大切なのは、宇宙カワイイなのです。
以上で、講演を終わります。ご清聴ありがとうございました。
★
クロードニャンコスキー先生、貴重なお話をどうもありがとうございました。