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ギャラクシー猫信仰の軌跡  作者: クロード・ニャンコスキー
8/19

8、四代目教祖時代5 ――世界宗教への階梯4、科学的解釈との対立と解決――

 えー、事前にアンケートを記入していただいていたかと思います。それを見てみたところ、今、われわれが生きる当代の猫信仰がどのようなものか知りたいという意見が多くありました。


 そこで、この講演の最後にですね、現代から当代の信仰についても言及していき、今の信仰とこれからの信仰というものを考える有益な資源としていただきたいと思います。


 現代では、さまざまな学問が未曾有(みぞう)の変化してきております。


 なかでも科学、つまりサイエンスが急激に進歩し、隆盛を極めております。そんな中で、いわゆるビッグバン説に基いて、ギャラクシー猫信仰およびユニヴァース猫信仰を批判し、作り物の偽物であるから異端とすべきだという論争が起こされました。


 私は次のように反論しました。


「しかしビッグバン説というものも、未だに明確になっているわけではありません。勘違いの可能性があります。この宇宙が猫の形をしているかどうかを肯定することもできなければ否定することもできないはずです。それがギャラクシー猫信仰における『シュレディンガーの猫』なのです」


 こう言っても彼ら彼女らは決して納得しませんでした。


 言うまでもないことですが、昨今の猫信仰は自由を愛し、精神を充実させることに主眼を置いたものです。それに対して、いちいち証拠や理論をもとに世界観を創作するのが科学です。そもそも焦点が根本からズレているのです。


 科学者にとっては、「カワイイ」など二の次であり、我々との間には深い溝が横たわっているように思えました。


 それでも私は、歩み寄りの姿勢が見られない科学勢との話し合いを繰り返します。異端扱いをするのは簡単です。ですが、そんなのは、信仰の自由に反する行為です。ギャラクシー猫信仰は、その歴史は、異端に見える者たちを信仰の一部にし続けてきたものでした。科学者からの批判はギャラクシー猫信仰にとって新たな視野を獲得するチャンスなのかもしれないと考えました。


 科学者は言います。


「宇宙はカワイイものだとは限らない、おそろしいものである可能性もある。たとえば宇宙から来る隕石などの激しい災害についても、カワイイと言えるのか?」


 そうした指摘は、議論の必要があるかもしれません。


 隕石が落ちてきて破壊をもたらし、人的な被害をもたらしたとして、たとえば人間も猫も自分の体内で起きていることを、全て把握できるわけではありません。また我々は猫の気まぐれさや底の知れなさを知っています。仮にギャラクシー猫が意志を以て落としたと解釈したとしても、宇宙はカワイイし気まぐれなのだという結論になります。


 信じる者が例外なく救われるなどという思想ではありません。


 猫がカワイイ、猫の形をしている宇宙はカワイイ、宇宙の一部である私もカワイイ。それを悟るものなのです。


 しばらく科学者との議論は平和でない平行線をたどりましたが、やがてユニヴァース猫信仰の一部が、科学的な視点で宇宙カワイイを表現するための策を講じます。


 そう、かつてスペース猫デブリ信仰を生み出した過激だったグループが、今や穏健になり、しかも宇宙デブリの処理にノウハウを持っていたわけです。


 彼らは地球に近づく隕石をいち早く察知し、完膚なきまでに破砕する大規模なシステムを構築しました。これにより、宇宙のおそろしさをユニヴァース猫の加護によって無効化し、宇宙カワイイに拍車をかけることができるとして、科学者に対抗したわけです。


 科学者たちは、「それは安全性の確保であって、宇宙カワイイの証明ではない。まやかしだ」と言います。


 まあその通りですがね。


 私としては、彼らの指摘によって、再びスペース猫デブリ信仰が過激化しないか肝を冷やしたものです。


 そうこうしているうちに、スペース猫デブリ信仰一派のもつ科学力は相当なものであったために、科学者側も一目置くようになって、批判的なトーンがかなり弱まりました。


 ただし、それで終わらないのが、スペース猫デブリ信仰です。


 スペース猫デブリ信仰一派は、教祖である私に黙って科学者たちと結託し、新たな宇宙を創造することを計画していました。このグループは本当に考えることのスケールが一歩先を行っていると思います。


 つまり、「今この場所でユニヴァース猫が証明できないのなら、証明できるように猫型の宇宙を作ってみれば良い」ということです。


 これは明らかに危険であり、人類全体との合意も必要な大計画であり、倫理的にも許されにくい行為でした。


 ところが、どれだけ問題があっても名の通った科学者と一大宗教であるユニヴァース猫信仰が絡んでいるので、無理にでも計画を実行する流れになっておりました。


 一部のギャラクシー猫信仰者はあまりに非常識だと計画の実行に反対しており、私も反対派でした。そこで私は、「それであれば、タイムマシンを作り、宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)の瞬間を観測しに行くことで、宇宙の形を確認すべきだ!」と主張しました。


 一見、論点がずれているように思われるかもしれません。しかし、私の発言には意図があります。


 タイムマシンの運用には解決が困難な問題が山積みなのは明らかなことです。これは、宇宙を創り出すという危険極まりない発想に対し、同レベルに危険なものの議論をぶつけることで、自制を促す効果を狙ったものです。


 これに政治的な働きかけも加わり、猫型宇宙創世計画は、ひとまず延期となりました。


 スペース猫デブリ信仰一派の当時の考え方は、ユニヴァース猫信仰の一部ではあっても、原理主義的なギャラクシー猫信仰の教義からは外れるのは当然のこと、一般的な猫信仰にとっても危険極まりないものであったと言えます。


 しかし、スペース猫デブリ信仰一派は今となっては異端ではありませんし、その科学力は信仰を守る意識があって振るわれているものです。悪いことをしていて悪気がないところは、すこし猫っぽくすらあると思います。


 さて、時間も押していることですし、ここで話題を変えまして、一つ、問いかけておきたいことがあります。


 ギャラクシー猫信仰、もしくはユニヴァース猫信仰において、宇宙の形が猫であることは明白なのですが、世の中いろいろな考え方があるもので、この「宇宙の形が猫である」ということの解釈についても、主に二つの主張があるのです。


 それは、常に猫であり続けているのか、それとも一時的に猫になることがあるのかという点です。


 これは、先ほどから何度も出てきておりますが、我々の言葉遣いでいう「シュレディンガーの猫」というやつで、どちらの状態も有り得るものです。


 未来ある信徒たちに、はっきりと私の考えを伝えておきますと、これは前者です。すなわち、「常に宇宙の形は猫」です。なぜなら猫は変幻自在であるからです。有形でありながら、無形ですらあります。


 どのような形であっても、すべて広義の猫なのです。


 話題が現代の猫信仰についてですので、やや科学的な視点に寄っており、無理矢理だというご意見はあるかもしれませんし、そもそも猫の形を考えるという行為そのものが、どれだけ真剣であっても、本来の教義から外れる行為です。


 ですが、もう教祖ではないとはいえ猫信仰全体を守る責任が、私にはあります。


 大衆化を果たした信仰のなかで、一定の見解を打ち出す必要は常にあるのです。こうしたことのバランスをとらねばならないというのは、本当に難しさを感じるところです。




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