7、四代目教祖時代4 ――世界宗教への階梯3、猫ユニヴァース運動――
大衆化したおかげで、ギャラクシー猫信仰は、また新たに様々な問題を抱えることになりました。
ここ日本においても、日本独自の特殊な信仰の動きが生まれましたね。
どういったものだったか、皆さんの中にご存知の方はいらっしゃいますか?
……ええ、そう、その通り。俗にいう、「日本本島猫信仰」です。
彼ら彼女らの行き過ぎた主張のうち、主なものは次の二点です。
一つは、ギャラクシー猫信仰という表現は思い浮かべる範囲が広すぎるというもの。それにより真実の信仰を見失ってしまっており、もっと狭い範囲の、日本列島のみを猫と見なす日本本島猫信仰が必要なのではないかという主張です。
もう一つは、現在の世界地図は誤りで、実は日本の国土の形は三毛猫の姿をしているといったものです。
これは、独自の宗教として、世界的宗教から離脱しようという動きでした。それはそれで一つの信仰ではあると思いますし、ギャラクシー猫信仰が価値を失うわけでは当然ありません。
しかしこれは、日本独自の日本人に好かれるための教えを説いているだけに見えますし、さらに大きな問題点としては、これを各国が模倣し、それぞれ自分たちの国土を猫の形だと言い始めることによって、多数の反発を招くことがありました。
世界的な規模で領土問題に発展する可能性さえあったというわけです。
これは本当に、大いに懸念されました。
いや、懸念どころではなくてですね、たとえば、猫の形に見えるように領土を拡大しようとする国があらわれたり、猫の形に見える領域に含まれないと考えられる地域が他国に権利を主張されたりといった動きは、実際にあったと聞いております。
さらに、これはとりわけ信仰の浅い人々にとっては非常に重要な問題だったようなのですが、地図上で見た時に猫の形になるとして、自分が猫のどの部位にあたる土地に住んでいるのかということにより、差別を招くこともあったそうです。
たとえば猫の排泄物にあたる島だった、などと言われて蔑まれるなど、本来のギャラクシー猫信仰が目指したものとは真逆の、やさしくない世界にさせてしまう信仰だったのです。
日本本島猫信仰は言い換えれば、「日本の形をした猫かわいいから日本かわいい」を主張するものです。当時の私は、今一度、ギャラクシー猫信仰の根本教義である「猫かわいいから宇宙カワイイ」という紛れもない事実に気付かせ、広く啓かれた瞳を持たせることが重要だと考えました。
ですが、四代目教祖である私の力不足により、彼ら彼女らの活動はとどまることを知りませんでした。
彼ら彼女らは、各都道府県にカワイイ三毛猫娘のキャラクターを配当し、信仰を広めようとしました。四十七人の猫娘たちは、グッズ化もされ大人気でしたね。のめりこむ三毛猫族と呼ばれる者たちのおかげで経済活動が活発になり、日本は戦後最高の好景気に湧きました。私は複雑な思いでそれを見ているしか有りませんでしたね。
日本本島猫信仰は、その後も、いくらかの変遷を重ねます。
はじめは、日本国内でこそ人気を博した日本本島猫信仰でしたが、独自の変化を遂げ過ぎたことによって、世界中に広がった各種猫信仰の信徒や指導者から「日本には本当の猫信仰が無い」などと言われることにもなりました。
少し時が経つと、やはり危惧していた事態がおとずれました。各国が、日本本島猫信仰の模倣をはじめ、それぞれの国や地域で、さまざまな猫信仰が乱立することになりました。
さまざまな猫信仰が乱立することも多様性のひとつの形ではあります。しかし、この時の流れは、経済的な視点や、政治的な視点から猫信仰を悪用することを目指した非建設的なものでした。
そこで、われわれギャラクシー猫教団は、この歪な信仰に対して深い憂慮を表明し、以前に盛り上がった「ユニヴァース猫」信仰を復活させ、一つの宇宙的な猫のイメージを強く打ち出すことにしました。
そのプロジェクトの名を、「猫ユニヴァース運動」といいます。
復興および信仰の新天地への突入を目標に掲げたこの運動は、いわばギャラクシー猫信仰界隈でのルネサンスを目指したものでした。
猫たちを宇宙的なイメージでとらえることを再確認するためのさまざまな運動が展開されました。信仰の軌道修正は、順調に進んでいきました。
そんな折、一つのニュースが報道されました。
ギャラクシー猫信仰における初代教祖として活躍し、当時に四代目教祖として活躍していたクロード・ニャンコスキー、つまり私が、「実は猫を飼ったことがない」という事実が発覚したのです。
この報道により、一部の信者からの信仰が大きく揺らぐことになってしまいました。
ですがね、本来、ギャラクシー猫信仰というものは、偶像や特定の猫に肩入れするようなものではなく、宇宙全体を愛する媒体としての概念上の猫を胸に抱くことだったはずです。先ほども話しましたように、「猫を飼う」ということは後の時代に生まれた信仰の一形態に過ぎず、初代が猫を飼っていなかったからといって信仰が揺らぐようではいけないのではないかと思います。
さらに間の悪いことに、教祖への愛ゆえに、「実は猫を飼っていたことにする」などという事実の捻じ曲げを行おうとする過激な一派の動きも活発化し、このままでは教団が瓦解しかねない事態に発展しました。
この報道があってからというもの、本来の信仰のことなど考えもしない一部のライトな信者たちをコントロールし切ることが困難になりました。
そんな中、ある一派は、いっそのこと公式にギャラクシー猫の象徴となる、ギャラクシー猫耳娘を作ったらどうかという考えのもと、一流の画家に制作を依頼しました。
本来そのように押し付けるような教えこそ、忌むべきものだと告げても聞きません。
それどころか、その一派だけではなく、多くの猫信徒たちが、それぞれの理想のギャラクシー猫の擬人化をはじめました。
一応、ギャラクシー猫娘の創作には、倫理的なガイドラインを急ぎ設定しましたが、ほとんど誰にも遵守されず、ことごとく破られまくりました。
全世界でギャラクシー猫が擬人化された画像を描き出され、その画像を飾ったり愛でたり嫁扱いする者まで登場しました。そこまでなら許せる範囲かと思いますが、あろうことか明らかに問題のあるような性的な画像まで出回るようになってしまいました。
彼ら彼女らも悪気があってそうしているわけではなく、それを一つの愛の形態だと勘違いして行っていたようです。どうも大衆化とともに、宇宙カワイイという本来の教義が忘れられ、猫耳娘カワイイが前面に出てしまっているように思います。
こうした流れは、かつて多様化を進めるあまりに瓦解した三千世界の犬信仰が辿ったのと同じ流れのように見えましたね。
背に腹は代えられません。我々は、いっそのこと、公式からギャラクシー猫娘のデザインを募り、「君だけのギャラクシー猫娘コンテスト(※編者注:当時の記録では「君だけのユニヴァース猫娘コンテスト」と表記される)」を開くことで、存分に自分たちのギャラクシー猫娘を披露し合ってもらうことにしました。
全市区町村、全日本、全世界、全惑星、全銀河、全宇宙、全時空。すべてを包括的にとらえた一つの形、ひとりの猫耳娘、「真のギャラクシー猫娘」を皆で生み出して行く運動がはじまりました。
人類を挙げての創作活動および猫耳娘総選挙によって、数人のカワイイ猫耳娘が人々からの信仰を一手に集めることになりました。
こうして混乱はなんとか治まり、時が経つと、猫ユニヴァース運動も安定化してゆきます。
ギャラクシー猫を包括するユニヴァース猫信仰が再び注目を集めました。大衆化した解釈はそのままでありながら、一人ひとりのもつ猫や猫娘のイメージは、全てカワイイユニヴァース猫の一部であると明確に打ち出すことによって、ギャラクシー猫信仰の本質は守られました。
今日に至りますと、皆さんご存知の通り、数多の猫信仰が様々な流派を保ったまま、古今の儀式やイベントなどを介して社会貢献を果たしています。
こうして考えていくと、思想は生き物なのだな、と深く感心させられます。