表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギャラクシー猫信仰の軌跡  作者: クロード・ニャンコスキー
4/19

4、昼食時懇談 ――ギャラクシー猫信仰における特別な言葉遣いについて――

 これより、昼食といたします。地下の学生食堂に、懇談できるスペースをご用意いたしました。どなたでもご参加ください。


 クロード・ニャンコスキー先生と懇談できる数少ない機会ですので、学生の皆様も積極的に参加してください。


  ★


「先生は、猫じゃらし定食にされたんですね?」


「そうです。入り口のところの頭上に祭壇があるのを目にしましてね、猫じゃらしを祭壇に飾るほど信仰が強い食堂ですので、きっとこの場所では、この定食が最も力の入っているものだと考えました」


「さすがです。一番人気なんですよ? でも、猫じゃらしを祭壇に祀らないところってあるのですか?」


「むしろ、猫じゃらしを飾ることは全く意味をなさないと考える者たちのほうが多いです。猫じゃらしは飾るものではなく、猫と遊ぶためのものなのです」


「なるほど?」


「ただし、これは『猫まんま』を経て生まれたものですので、悪習とは決して言えないでしょう。じゃらしを飾ろうが飾るまいが、どっちにしたって猫はカワイイということです」


「えっとぉ、すみません、『猫まんま』ってどういう意味でしたっけ?」


「一般的には、炊いた米などに汁物を流し込んで混ぜたものとされ、質素な食事の代表とされていますね。ここから転じて、ギャラクシー猫信仰においては、「混ざったもの」を意味します。他のギャラクシー猫宗派と混ざったり触発されたりして生まれた慣習や儀式を指すのです。たいていは前向きな意味で使われます」


「そうなんですね。考えてみると、ギャラクシー猫信仰には、他にもさまざまな言葉に独自の解釈がありますよね。あたしの知っているものだと、たしか……『シュレディンガーの猫』でしたっけ?」


「よく勉強されていますね。『シュレディンガーの猫』とは、一般的には量子力学の有名な思考実験を指します。密閉された箱の中に猫と放射性物質の粒子を入れ、その粒子の崩壊によって毒ガスが放出されるかもしれないという状況を設定します。そして観測者が箱を開けるまでは、猫がどうなっているのか、その状態は確定していない……というものです」


「先生、ギャラクシー猫信仰としては、どういう意味になるのですか?」


「二つの意味を持ちます。一つは、実際に猫を飼っている者たちの間で使われる用法です。ひとことで言えば、『愛猫自慢大会』という意味になりますね。自分たちの飼っている猫は比べてみないとどちらが優れているのかわからない、ということで、自慢し合う際に『シュレディンガーの猫をしましょう』といった形でバトルが始まります」


「わかります。ほとんどの場合は、『両方とも可愛いねえええって』なって終わるやつですよね?」


「そうです。もう一つの意味も似たようなものですが、あえていろいろ省略して言うならば、『宇宙の形がどのような猫の形をしているのか。種類はどうなのか、どんなカワイイ姿勢なのか、どんな感情なのか、それは、確かめようのないことですよね、まるでシュレディンガーの猫のように』といった感じでしょうか。


つまり、ギャラクシー猫信仰において、『シュレディンガーの猫』という語は、量子力学的なイメージを借りて、信徒たちが宇宙の真の形を議論する際に用いられるということです。最終的な結論はやはり、『どれでもカワイイ』となって握手を交わすことになります」


「それって、やっぱり『汝の猫を愛せよ』の精神ですね?」


「そうですね。その言葉も、実際の飼い猫や野良猫に向けてのものであったり、地域によっては挨拶の言葉であったり、同一の思想をもつ者たちの結束を強める合言葉であったりと、複数の使われ方をされるのですが、あなたは学生にしては大変よく悟られているので、次の言葉を伝えておきます」


「え、あ、はい」


「――心の中の猫を愛することで、宇宙すべてとの愛を実感できます」


「宇宙全てとの愛、ですか?」


「たとえばの話ですがね、各々が抱くイメージ上の猫が実は猫ではないという場合でも、まずは宇宙的視野によって見通されるのです。つまり、宇宙全体の形が猫である以上は、万物が猫であることになり、たとえば、『犬を愛しているんだ』と語る人がいるとします。しかし万物がギャラクシー猫の一部であるからには、犬も猫です」


「それは、どちらかといえばユニヴァース猫に近いといいますか、ギャラクシー猫信仰としては、かなり薄まった思想となってしまうのではありませんか?」


「まさしく以前、同じことが問題になったことがあります。時代が下り、大衆化してきたギャラクシー猫信仰の本質を守るため、秘儀を設ける必要があると考える一派があらわれたこともありました。彼らはさまざまな秘儀を生み出しましたが、彼らの影響を受けて大衆的なギャラクシー猫信仰の一派が生み出したのが、さきほどの祭壇に猫じゃらしを飾るというような決まりごとです」


「なるほどです。大衆化で儀式的なものが必要になったからこそ、色んな決まり事が生まれたんですね」


「そうです。秘儀や限られた儀式を生み出すことは、ギャラクシー猫教団の階層化を生むおそれもあり、差別的思考を生み出さないよう、可能な限り慎重に行われました」


「うまいこと『猫の額を撫でる』ことを目指して作られたものだったということですね?」


「おお、『猫の額を撫でる』なんて、よくご存じですね。『猫の額』は一般的には非常に狭い範囲や小さなスペースを指す表現として使われることがあるのですが、我々の信仰では全く違います。ギャラクシー猫信仰における『猫の額』は『撫でるべき場所』という意味ですので、そこを撫でるというのは、『必要な時に必要なことをする』という意味になります。あなたの受け答えの的確ぶりも、『猫の額を撫でる』ようで素晴らしいですよ」


 そこで彼女との会話は終わり、別の男子学生が隣に座った。


「先生、午前のお話、大変面白かったです」


「ありがとうございます。どういった話に興味をおぼえましたか?」


「やはり、スペース三毛猫デブリ信仰についてですかね。今も名前を変えて積極的に活動している一派ですけど、彼らにあのような過激な側面があったなんて驚きました」


「そうですね、対応に追われて、あの頃も本当に、猫の手こそお借りしたいような忙しさでした……。ときに、あなたも、ギャラクシー猫についての研究を?」


「はいそうです先生。『ギャラクシー猫と十二支の関係について』というテーマで卒業論文を書く予定です」


「面白いテーマですね。宗派によってバリエーションが大きく異なるので、調査は大変かもしれませんが」


「はい。けっこう難航してしまっています。なので、アドバイスをいただけたらなと思いまして」


「そうですか。現在、どのようなことで悩んでいますか?」


「ギャラクシー猫信仰において、猫を十二支に数えるのが多数派の意見です。猫は宇宙的な存在であり、キャラクター性も申し分ないので、十二支の中で最も尊ばれていてもいいはずです。にもかかわらず、ギャラクシー猫を信仰しているグループの中でも、なかなか猫年にはなりませんよね。少し腑に落ちないんです」


「私は、猫年になどならないのが一番良いと考えてますので、それで良いと思います」


「えっ、なぜですか?」


「猫は十二支の二番目を(うし)と分け合う存在であり、レア干支であるとされます。これはご存知ですね?」


「そうですね。理由までは調べ切れてないですけど」


「実は、(うし)年になる予定の年で、その前年が災難に見舞われた場合に、猫年となるのです。なぜだかわかりますか?」


「えっとぉ……」


「一説によると、と断っておきますが、これは、前年が(ねずみ)年であることによります。猫はネズミを除去する力を持っています。だからこそ前年のよくないネズミを去るために猫が出向いてくるわけです」


「あ、そっか」


「ええ、そうなのです。大災害や大災難なんて、起きないに越したことはないでしょう?」


 その後も、クロード・ニャンコスキー先生を囲んで、多くの学生を相手に、質問や雑談が繰り広げられた。


 先生は、午後の講演に備え、猫じゃらし定食をゆっくりと味わった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ