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ギャラクシー猫信仰の軌跡  作者: クロード・ニャンコスキー
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2、黎明期のギャラクシー猫信仰 ――ギャラクシー猫信仰と初期のマンチカン派――

 さて、今となっては驚かれるかもしれませんが、ギャラクシー猫信仰は、最初期の段階では偶像崇拝を認めていませんでした。


 宇宙全体が猫の形をしていることを各々が心の中に刻み、その概念としてのギャラクシー猫をカワイがることのみが重要とされるシンプルな教えだったのです。


 はじめに起こされた反論は、「宇宙の形がそもそも猫なのかどうか」ということです。


 ある者は言いました。

「宇宙は猫の形ではない。宇宙は(つづみ)の形をしており、叩くと良い音が鳴るのだ。その波動が、我々を支配しており、我々は支配されている事実に気付けていないのだ」


 なるほど否定はし切れません。しかし、宇宙の本当の形を特定するなど不可能でしたし、そもそも黎明期におけるギャラクシー猫信仰の本質は、宇宙の真の形状などを気にしないものです。


 根本的にそういう考え方ではないのだと突っぱねることはできたでしょう。ですが、私は初代教祖として、あくまで平和的な解決を望んだのです。


 そうです、鼓の形をしている宇宙を認めることにしたのです。ただし、「それはギャラクシー猫の鼻先の一部分だけの話で、さらに全体から見ることにより猫の姿が浮かび上がるのだ」と説きました。


 反論者は、「鼓が鳴り響くことで一時的に猫の形状に膨張し巨大化するだけだ」と言ってきました。こうしたある種の平和な平行線は、しばらく続きましたが、やがて宇宙を鼓だとする一派は廃れていきました。カワイくなかったからでしょう。


 さて、次に黎明期におけるマンチカン派についても触れておきましょう。


 先ほどマンチカン派の話が出ましたし、ここはマンチカンの研究が盛んなキャンパスだと聞いておりますので、黎明期のマンチカン信仰について、皆さんの中で興味がおありの方も多いと思います。


 そこでまずは、ギャラクシー猫信仰が、初めてマンチカン座流星群信仰と接触した際のエピソードをお話しておきます。


 かの有名なマンチカン派の創設者とされるミャーオ大師は、私に向かって言いました。

「ギャラクシー猫信仰などというものは、目に見えないものを信じ込ませているだけだ。何の救いにもなりやしない」


 ご存知の通り、ミャーオ大師は、空に浮かぶ星々を繋げて、さまざまな猫座を創作し、マンチカン座流星群信仰を発明した偉人です。


 ギャラクシー猫信仰にとって、大師の言葉は気に入らないものでした。目に見えるものばかりが大事なのかと私は憤りを隠せませんでした。正直に申し上げれば、彼に心酔する人々が、空を走り抜ける流星群の煌びやかさに誤魔化されていやしないか心配になりました。


 どうにかして、双方の思想が活きるよう、マンチカン座流星群を通して猫のカワイさを伝えることができないものかと道を模索しましたが、相手がなかなか許容してくれませんでした。


 ギャラクシー猫信仰の側にとっても、マンチカン座流星群信仰とは相容れないと考える者も多く、難航を極めたと言っても過言ではありません。


 一年半にわたる根気強い交渉と議論の果てに、教団内の意見をねじ伏せ、マンチカン座流星群信仰をギャラクシー猫信仰の一部として受け入れることを宣言しました。


 ただし、これはよくよく考えてみると、ギャラクシー猫信仰側が一方的に「彼らは自分たちの信仰の一部だ」と意見したわけで、ギャラクシー猫信仰の優位性を主張するものに他なりませんでした。


 そうした姿勢は、当然批判を招きます。


 さらに年単位の時間を費やし、相互理解を深めていった結果、互いの歩み寄りがようやく実現しました。ギャラクシー猫の猫種がマンチカンである一方で、流星群はギャラクシー猫の毛が降り注いだ神聖なものだということで決着しました。それが素晴らしいことであるのは間違いないでしょう。


 ところが、ここで問題が起きました。何だと思いますか?


 ……いいえ、マンチカン座流星群信仰との軋轢は不可逆的に解決しましたので、彼らによるテロ行為のような暴力的な事件ではありません。でもご回答ありがとうございます。あ、次は、手を挙げているそちらの女性の方、どうですか。


 ……おお、そうです、よくご存じでしたね。第一次宗派乱立期については、ご存知の方も多いと思いますが、ノルウェージャンフォレストキャット派という単語は、余程勉強していないと出てきませんね。


 そうなのです。ギャラクシー猫の猫種をマンチカンに指定してしまったことで、その反論として、さまざまな猫派がギャラクシー猫の正体として主張するようになりました。そのはじめが、ノルウェージャンフォレストキャット派なのです。


 正直に申し上げますと、もはや収拾がつかなくなる事態だと考え、私は絶望に近い感情を抱きました。というのも、正体を主張したのは、ノルウェージャンフォレストキャット派だけではなかったのです。


 ある者は、「猫種の最大はメインクーンだからギャラクシー猫はメインクーンだ」と言い始め、またある者は、「猫の本来の姿は野生のなかにある」として、イリオモテヤマネコ派が勃興し、またある者は「そら虎やろ」と猛烈に虎を推し、ならばと別の者がサーベルタイガーを提案し、さらに別の者が、「百獣の王はライオンなのだから、当然ライオン」と断言しました。それ以外にも、枚挙に暇ないほどに主張が飛び交いました。


 宇宙そのものであり、カワイイの権化でもあるギャラクシー猫の正体をめぐって、百者百様の論争が起きてしまったのです。早い話が、内輪もめというやつです。


 やがて「猫種ばかりに(こだわ)るべきではない。猫科も問題ない。種別を問わず、ギャラクシー猫はそれぞれの心の中にある。それぞれの理想の猫のすがたをとって実在する。その理想のギャラクシー猫を個人がそれぞれ信仰するべきだ」と主張する宗派が多数を占めるようになりました。これは己の内なるギャラクシー猫を大切にするという原点に近い考え方です。これが主流になったことで、一応の落ち着きをみましたが、それぞれの猫種を推す原理主義者たちの過激化が心配される時代が続きました。


 恥ずべき混乱の思想史が繰り広げられたというわけです。


 平和主義のギャラクシー猫信者は、過激派をギャラクシー猫信仰のお荷物であると蔑み、過激なギャラクシー猫信者は、穏健派を偽物のギャラクシー猫信仰であると吐き捨てます。かれらはともに教義をわかっていませんでした。本質は宇宙はカワイイだったはずです。


 混迷に終止符を打ったのは、偉大なミャーオ大師の遺志を継いだ一派でした。彼らは、ギャラクシー猫のさらに外側の世界に言及することで、事態を収拾することにしたのです。


 それが、ユニヴァース猫信仰です。


 ユニヴァース猫とは、概念上の存在を主張するもので、宇宙全体をこえたレベルの、あらゆる時間・空間の形状がマンチカンの姿をしており、ギャラクシー猫はその一部分でしかないというものです。


 こうした主張を許容せざるを得なかったことでギャラクシー猫信仰はエネルギーを失わざるを得ず、私は半ば責任を取るような形にて、ギャラクシー猫信仰の教皇を降りる決意を固めたのでした。




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