16、時を創造する無意識猫 ――キャッツクロック信仰――
私の時計ですと、そろそろ講義時間も終わりですね。
今回は講義を終える前に、ひとつご紹介しておきたい話があります。
皆さんは、「猫時計」説というものを御存じでしょうか。
猫の瞳が、一日の中でさまざまに変化することによって生じた概念です。
猫に限らず、多くの動物が明るさによって瞳孔の大きさを変化させます。
そのなかで猫は身近であり、神秘的であり、人に強い印象を与える大きな瞳をもっていたことから、猫時計が語られるに至ったのだと思われます。
猫と時を結びつけた考え方は、洋の東西を問わず実在します。エジプトあたりまで遡れるそうですが、とりわけ東洋で発展を見せました。
古代、東洋の文人たちは、この猫の瞳の特性を利用して、時刻を知る手段として猫時計の概念を生み出しました。やがて猫時計は易の世界観や干支と結びつき、図式化されることで広まりました。
そして近ごろ、この忘れ去られつつあった猫時計概念を基盤とした、新たな信仰が広まりをみせております。
そうです。キャッツクロック信仰です。
ここだけの話、キャッツクロックの信者には一定の悪評があります。しかし、彼らなりの芯の強さをもって、世界に挑んでいることを私は知っています。それが、今回、この信仰をご紹介しようと思い至った理由です。
キャッツクロック信仰を行う団体は、国内に暮らす猫の瞳をリアルタイムで映し出すディスプレイをびっしりと壁一面にかけ、時計がわりにしています。大量の瞳に囲まれた狂気の生活ぶりのため、来客に逃げられることもしばしばです。
彼ら彼女らは、猫の瞳が線のように細ければ細いほど正午に近く、太く円に近ければ夜であると判断します。
多くの猫の瞳から統計的に判断するため、案外正確な時もありますが、天候の変化に弱く、結果、時間を守れないことも非常に多い一派となっています。
一般的で常識的な時間に反抗し、迷信を軸に据えているとして批判も多くあります。
それでも彼らは信仰を捨てません。
時間が守れないことよりも、猫の瞳に囲まれた時空を意識して時を見つめているのです。
それが宇宙の理であると信じているのです。
そして、つい最近、電子機器の進化によって、腕時計型のキャットクロックが開発されました。これを持つことで壁一面の猫の瞳は必要なくなっていくかもしれません。最も広大で緻密な猫時計壁をもつ運営者の統計によって、猫の片目のみで時刻を表示する仕組みへと変化しつつあります。
天候に左右されるという致命的な弱点は変わりませんが、「むしろそれが良い」と彼ら彼女らは言います。
彼ら彼女らにとって、無機質に時を刻む一般的な時計は実際の時間の流れを示したものではないのです。猫の瞳のような、時に気まぐれな変化をするものこそ、真の時間であり、それを司る猫たちの存在が時間を――言い換えれば運命を支配していると考えています。
そのため、たとえば時間を守れず解雇されてしまったり、人間関係に亀裂が入ってしまったりしても、その結果を受け入れ、一瞬で次の道をさがすことができるのです。その変わり身のはやさは、まるで動物――つまり、そう、猫のようであると言われるのです。
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さて、少し話は変わりますが、このキャッツクロック信仰は、猫信仰のなかでは、どういった傾向をもつのでしょうか。発展途上の信仰ですので、あくまで現時点の位置付けとなりますが、整理してみたいと思います。
おなじみの、ギャラクシー猫信仰やユニヴァース猫信仰が、どちらかといえば空間的なイメージをもつのに対し、キャッツクロック信仰は、時間的なイメージを有しています。
ただし、キャッツクロック信仰は形而上的な議論というよりは、実際の人間生活のなかでの処世術的な側面が強いと言われることがあります。なぜなら、時計という人間生活に欠かせないものと切り離せないからです。
それゆえ、猫信仰の体系には、大きな影響を及ぼすものではないと考えられています。猫信仰の勢力図では、依然として宇宙カワイイへの覚醒を軸とする勢力が最強です。猫の瞳を観察することで得られる情報を信仰しているようでは、真の猫信仰ではないと面罵されることでしょう。
しかし、ここで想像されるのは、たとえばユニヴァース猫信仰などと融合を果たす可能性です。
キャッツクロック信仰とユニヴァース猫信仰が融合すると、時間と宇宙の両面を兼ね備えた新たな猫信仰が興るかもしれません。この新たな信仰では、猫の姿をした宇宙の支配者が、時間の流れを司りながら宇宙を創造し、人々の運命を導いてゆくと信じられるでしょう。
たとえば、猫を宇宙の創造主として崇拝し、同時に時間の流れや運命の変化を指し示すキャッツクロックを用いて、人々が生活する日常と宇宙の間に結びつきを見出すこともあるでしょう。
また、猫の姿をした神聖な存在が、人々の時間や運命に関わるさまざまな出来事に気まぐれに介入し、導いていくと信じられる展開も予想されます。
このような結びつきが強まると、ユニヴァース猫概念があまりにも偉大な上位存在的なものとして捉えられてしまう恐れがあります。人々が猫を超越した存在として神聖視し、絶対的な信頼を置いてしまうことがあるかもしれません。
その結果、猫信仰が日常の生活に深く根付く一方で、あまりにも神格化された猫イメージが幅をきかし、信仰のバランスが崩れ去る可能性も考えられます。
では、キャッツクロック信仰は、不必要で無意味で有害でさえあるだけのものなのでしょうか?
いいえ、そうではないと私は思います。
というのも、ここまで話してきた通り、彼ら彼女らは、世界標準時を基準とした時の流れの他に、「猫時間」という共通の時間をもっています。これが非常に重要なのです。
かりに、現在の時間イメージが崩壊を果たした時、キャッツクロックが時空存続の鍵を握るかもしれないということです。
大戦争や大侵略や大災害など、何らかの要因で世界の時間が崩れかかった、まさにその時、キャッツクロックが新たな時空の基準となりかわり、よりカワイイ世界を再建するシナリオだって、無いとは言えないのです。
おっと、そろそろ時間ですね。今日はここまでにしましょう。皆さま、ありがとうございました。
え? まだまだ早い……ですか?
そうは言いましても、もうすっかり夜ですよ。私の腕にある時計ではね。