15、猫の生まれ変わり ――フェリニティ再誕説――
帰り道、クロードニャンコスキー先生は学生から声を掛けられた。
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「クロード・ニャンコスキー先生、この宇宙の本質が猫なのであれば、私も猫ということになります。本当でしょうか」
素晴らしいですね。それに気付くことこそ、まさにギャラクシー猫信仰の正しい玄関口なのです。
「これは、一種の悟りめいたものということになるかと思います。これに関連して、一つ気付きを得たのですが、質問してもよろしいでしょうか」
もちろんです。歩きながらでよければ、なんなりと。
「私は、すでに自分が猫であることに気付きましたが、そこからさらに深く考えてみて、猫の生まれ変わりなのではないかと思えたのです」
なるほど。
「でも、自分でその結論に至ったのに、なんだか納得できないのです。だって、真理そのものである猫は、生まれ変わることなんてしないはずなのに」
あなたの言う『猫の生まれ変わり』という発想は、ずいぶん昔に流行したことがあります。その時の、彼ら彼女らの言い分では、この宇宙を形成しているカワイイ猫は、生まれる前から悟っているというのです。そして、この宇宙にあるすべての物事は、すべてが猫の生まれ変わりだと主張していました。
「おお、そんな一派がいたんですね」
彼らは、とても生命を大事にし、飛んでいる蚊などをついつい叩き潰してしまった時にも、『すまない、猫の生まれ変わりよ……』などと、しみじみ呟くような信仰をもっていました。
「そうなんですね。……ギャラクシー猫信仰が、漠然としたイメージを抱くのに対して、猫の生まれ変わり思想は、より具体的な猫の姿が思い浮かべられると思うのですが、違いはそれだけでしょうか」
重要なのは、アプローチの順番が違うということです。ギャラクシー猫信仰が宇宙の形についてまず猫を措定するのに対し、猫の生まれ変わり思想は自己の魂のありかたが猫の生まれ変わりだったと気付くことを前提とします。
「それは、ギャラクシー猫信仰が外から内への思想であるのに対し、猫の生まれ変わり思想は内から外への思想であると言い換えられるということでしょうか」
そういう見方もできなくはないですね。決めつけを行うべきではなく、こだわり過ぎてもいけませんが。
「その一派は、今は残っていませんよね。どうして滅びてしまったのですか?」
彼ら彼女らは、猫が生まれる前から悟っていることに拘り続け、紆余曲折を経て、何がどうなってそうなるのか、逆に、『猫はそもそも最初からいなかったのではないか』と言い出しました。猫の存在を信じられなくなった途端に、猫信仰と呼べないものとなり、その考え方は廃れていきました。
「そうです。私が気になっている点も、まさにそのことなのです。実を言えば、私の考える『猫の生まれ変わり思想』でも、猫はすでに悟ってこの世界からいなくなっているはずなのです」
どうして悟るといなくなるのですか?
「猫は、なにものにも縛られないのであれば、宇宙を形成するということにも縛られないからです」
そういう見方もできなくはないですね。
「ええ。この考え方はおかしいでしょうか? 間違っているのでしょうか? 何にも縛られない猫の和楽のイメージは、宇宙にとらわれた状態を一瞬たりとも許さないのです。だからこそ、解脱したはずの猫が生まれ変わって、また私のような人間になるなんて、おかしいじゃないですか」
猫が悟っているというのは正しいと思います。縛られないというのも正しく、この世界からいなくなっているというのも十分考えられます。それを『おかしい』と感じるのは、宇宙をも俯瞰する視点で見ていないからです。
「どういうことですか」
あなたの疑問の一端を、あえて簡単にまとめると、『猫がすでに悟りをひらき、この世界からいなくなっているのに、自分が猫の生まれ変わりであるというのは矛盾している』ということですよね。
「そうです。おかしい」
おかしくありません。矛盾しません。時間を超越し、未来から過去への生まれ変わりが存在するならば、猫が生まれ変わってあなたになることは十分に可能です。
「……何を言っておられるのですか」
あなたが現在進行形で猫の生まれ変わりである可能性は大いに有りえます。あなただけではありません。この世界のカワイイ全存在が、猫の生まれ変わりたりえるのです。
「ええと」
そもそも、猫が死なないと生まれ変われないとでも?
「うう、頭が……。もしかして今、新しい信仰が生まれようとしている感じですか?」
そうです。この生まれたての新しい猫信仰は、そうですね……再誕……『フェリニティ再誕説』と名付けましょう。
「フェリニティ……再誕……。フェリニティとは?」
フェリニティはネコ科をあらわすフェリネスという語と、永遠性を示すインフィニティという語が組み合わさった造語です。ギャラクシー猫信仰でありながら、ギャラクシー猫信仰とも異なる新たな信仰として、まさに再誕を果たしたわけです。
「すごいです。歴史的瞬間に立ち会えたこと、嬉しい気持ちでいっぱいです」
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学生は走り出した。とても足がはやかった。猫のように、風のように、その場を去っていった。
喜びを全身で表現したかったのかもしれない。