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ギャラクシー猫信仰の軌跡  作者: クロード・ニャンコスキー
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11、懇親会2:可愛いとカワイイ

 席替えがあり、ユニヴァース猫大学の博士前期課程の学生がクロード・ニャンコスキー先生の隣席になった。


 遠慮がちな学生は、おずおずと、先生に話を切り出す。


「あのー、申し上げにくいのですが、先生のお話を聞いて、良質な洗脳に過ぎないのではないかと思ってしまいました」


「洗脳されるかどうかは、本人次第ですが、私としては、むしろ洗脳から解放してくれるものでもあると確信しています。あなたたちが考えなくてはならないのは、ただ一つ。自由とは何かということです」


「自由……。どうすれば、それがわかると思いますか?」


「まずは心の中のお猫さまに、問いかけてみてください」


「わかりました! やってみます!」


 目を輝かせていた。


 続いて、反対側の隣に座っていたユニヴァース猫大学教授、ヤマネ・コリビアという女性が質問を投げかけてきた。


「クロード・ニャンコスキー先生、『心を猫にして遊ぶ』という言葉がありますよね。その意味について教えていただけますか?」


「これはまた、ずいぶん試すような質問ですが、いいでしょう。お答えします」


「お願いします」


「心というのはコントロールし切れないものです。そのような領域を穏やかでカワイく、人懐こく、変幻自在の猫にするということは、悟りのひとつの理想型を説いたものと言えます」


「そうですね。一般的にはそう言われていますね」


「一方で、『心が猫になって遊ぶ』という表現の方が明らかに適しているとする者たちもいます。要するに『する』と『なる』の違いです。作為的に行うことなく、おのずとそう『なる』ようでないと、真の悟りとは言えないという立場のようです」


「ありますね。たしかにそうです」


「しかしこれにも批判者がいて、心を対象にする視点そのものが誤りという者たちもいます。とらえきれないものについて、あれこれ名前をつけるのでなく、自分自身が猫のように行動し、少しでも猫らしくなりたがる。そういったグループにこの傾向が強いようです」


「先生は、どういった立場なのですか?」


「どの立場も、ギャラクシー猫やユニヴァース猫を理論的に支える上で重要なものです。異質な考え方、反発が予想される信仰。これから先も、解決の難しい信仰の問題が数多く発生すると思います。あきらめるわけではありませんが、人間が生きている限りは、少し間違えば破滅的な対立が起り得るのです。


バランスを欠きやすい現実を前に、いかにして折り合いをつけていくのか。そうした視点からギャラクシー猫信仰やユニヴァース猫信仰の歩みを冷静に観ていくことができたなら、このカワイイ信仰の歴史は、人類の大いなる遺産となり、人々を生かし切る資源となっていくことでしょう」


「先生のお話、きけて良かったです」


 差し出された手を握り、二人は握手を交わした。


 続いて、ユニヴァース猫大学付属高校から聞きに来ていた男子生徒が、ジュースを片手に勇気を出して質問をしに来た。がちがちに緊張していた。引率の先生に背中を押されたようで、遠くに、こぶしを握ってみせる女性教師の姿が見える。


「せ、先生」


「何でしょうか。何でも自由にきいてください」


「っと、あの、その、先生からいただいたご資料や、ご著書を読むと、『カワイイ』という表記にこだわりのようなものが感じられます。なぜ漢字をお使いになられないんでしょう?」


「これは素晴らしい質問ですね。私のこだわりに気付いてくれる方がいるとは、いま私は、大きな幸せを感じています。ありがとう」


「あ、はい」


「つまり、日本にあるユニヴァース猫大学での講演でも、日本語で書かれた書籍であっても、『可愛い』と漢字で書かないのは何故なのか、という質問ですね」


「そそそ、そう。そうです」


「この世界には、さまざまなカワイイがあります。時には特定の好ましい要素や特徴を強調して表現するために使われることもあります。例えば、カワイらしい外見やカワイらしい仕草などに注目させるために使われることがあります。


一方で、ギャラクシー猫信仰や類似の信仰体系において、『カワイイ』は単なる見た目や表面的な要素に留まらず、広い視点や共感、生命や存在の根源的な魅力を含んでいます。つまり、カワイイは時に包括的な存在や全体性を表すためにも使用されます。宇宙や生命の多様性、調和などをカワイイと表現することがあるのです」


「えっと?」


「すみません。今はわからなくてもいいです。少し遠回しな言い方をしてしまいましたね。単刀直入に言えば、漢字を使う時点で、その言葉には太古から積み重ねられてきた意味が(いや)(おう)でも込められてしまうことが問題なのです」


「その、『可愛い』の漢字? には、どんな意味があるんですか」


「そうですね。一説によれば、『愛』という字には、「おしむ」という意味があります。ゆえに、「可愛い」と表記すると、これは「おしむべき」という意味にとらえられる、一種の強い執着、手放したくないという儚い願いを表す語にもなりえます。そこには、ある種の美しさはあるようです。


ただ、私はこうした解釈をしたくないため、カタカナで「カワイイ」と表現することが多いのです。失う悲しみを考えて生きるのではなく、よろこびをもって人生を生きていくためにギャラクシー猫信仰は生まれたのですから」


「あっ、ありがとうございます」


 素早くお辞儀をすると、急いで自分の先生のいるテーブルに戻っていき、先生と手を叩き合っていた。




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