虚満時間
ここでは全てのモノが手に入る。俺があんなに欲しがっていた車が今、自宅の車庫に眠っている。妻があんなに欲しがっていた指輪やイヤリングも寝室の化粧台の上に置いてきた。食いたいものはコンビニやスーパーに行けば全て手に入る。勿論、金なんて払わない。そんなものはこの世界には必要ない。この世界は腐る程の食べ物がある。しかし、腐ることはない。だから、腹が減れば好きなものを食べる。たまに面白半分で他人の家に上がり込み、盗み喰いすることもある。調理中のアレが旨かったとか、この家の味付けはしょっぱいとか甘いとか、こんなの毎日食い続けたら糖尿病になるぞとか文句を言いながら食べたりしたな。ここでは、仕事もしない。毎日が夏休みのような気分だ。だが、子供の頃と少し違うのは電化製品が使えないことだ。この世界は電気を使用できない。あと、俺以外は誰も喋らない。もう最後に誰と何を喋ったか忘れてしまった。だから、毎日暇で仕方がない。やることは読書か散歩かな。車が走らないので遠出はできない。だから、あの車を自宅まで運ぶのには苦労したな。火が使えないから料理もできない。だから、調理済みの惣菜などを食べるだけ。ある人間からしたらここは天国だし、ある人間からしたらここやは地獄だろう。そんな妄想をしながら、六月十四日十七時四十五分、俺は自宅のダイニングチェアに腰掛けて妻に今日一日の内容を語り始めた。
朝、七時五分に目覚ましの嫌な電子音に目が覚めた。今日は、何曜日だっけか。そんなことを考えながら布団から出た。リビングのドアを開けると妻は先に朝食を食べていた。
「おはよう。」俺は頭を掻きながらダイニングチェアに腰掛ける。
「おはよう。昨日何時に寝たの?今日は早番だから先にご飯食べてた。これ、あなたの分よ。」
指を指した先にトーストとマグカップに入った熱々のコーヒーが入っていた。熱いコーヒーが好きな自分にはありがたい配慮だ。彼女との出会いは約十年前に遡る。バイト先が同じでフロアが一緒だった時からの一目惚れだった。正直、自分が彼女と付き合えるなんて夢にも思わなかった。バイト先の先輩、後輩誰もが認める高嶺の華の彼女と付き合い、結婚できた自分は一生分の運を使い果たしたのかもしれない。正直、今の自分は情けない。大学の時に先輩に誘われてウェブニュースのバイトを始めたのをきっかけにこの仕事にの夢中になったのは今でも後悔はしていない。自分でも天職だと信じている。しかし、収入面では不安定。この先、子供ができることを考えると不安は過る。今の生活が続けられるのも彼女が看護師として働いてくれているお陰なのだ。俺は少しでも彼女のためにと料理や掃除を行い、協力しているつもりだ。そんな自分に彼女は愛想尽かすこともなく、今の仕事に協力してくれることは感謝と申し訳なさが同時にあり、なんともむず痒い心境だ。
「そういえば、ライン来てたよ。見てみれば?」
彼女はそう言って、俺に携帯を差し出した。誰だ?携帯を見ると幼地味のAだった。
「久しぶり
会って話したい」
そっけない内容に昔を思い出す。そうそう、こういう奴だったな。Aは昔から賢い奴だった。家が近いし親のママ友繋がりでよく会っていたAは勉強がよくできた。彼が勉強していたとこを見たことがない。それでもテストは常に満点。俺は徹夜しても逆立ちしても彼の成績には敵わなかった。勉強ができたから運動はできなかったかと思えばそうではない。彼は運動神経もよく体育祭ではクラスの陸上競技で選出される一人だった。性格もよく誰からも愛されていたAを俺は嫉妬していた。世の中はなぜこんなにも不平等なのかと。あいつにできてなぜ、自分にはできないのかと。今思えば、AもAなりに苦労していたのかと思えるようになったのは、自分が大人になったからだろう。あいつは確か、小・中と同じで高校は地元の進学校に入ったはずだ。俺とあいつの共通の話題は、SFだった。サイエンス・フィクション。ベルヌの「タイムマシン」から始まり、宇宙や深海、地底世界や科学技術など小学校の図書館で二人で一冊の本を読み、どうやったら現実に可能か話し合ったけな。あの頃の俺は物理学の基礎など全く理解していなかったがAだけはなんとなく知っていた。というか、俺の理解力が低くAの説明を理解できていなかっただけなのかもしれないと今では思う。あいつ、高校で理数系の学科を選択して、国立大学に進学したなんて話しを親から聞いたな。あの時の母親の羨ましそうな顔に今でも胸がちくりと痛む。高校時代は勉強よりも楽しいことが多すぎた。今になって後悔しても虚しいだけなのに。
そんなことを思い出して、俺はラインを入力し始めた。
「久しぶりだな!
いいよ
何時にどこで集まる?」
送信してから、何秒かで返信の音が鳴った。
「場所は、○○大学の○○キャンパスの理学部物理学科の研究室へ来てくれ
時間は十八時で頼む
見せたいものがある」
あいつ、あんな有名大学の研究室に所属してたのか。いいな。俺も○○大学出身です。なんて、合コンで言ってみたかった。
そんな下らない妄想をしてから、返答文を入力した。
「いいよ
近くなったらまた連絡する」
近くは場所と時間が近づいたらという意味だ。なんとも横着な内容である。俺は携帯をテーブルに置いて、温かいコーヒーが冷めないうちにすすり始めた。
十七時四十五分に○○大学の○○キャンパスへやって来た。広々とした校舎に俺より一回り年齢が下の学生たちが忙しそうに歩いていた。さすが、エリート学校。歩いている学生はみんな賢そうだ。俺も学生に間違われてナンパなんてされないかなとまたも下らない妄想して、構内案内図を頼りに理学部物理学科の研究室前に来た。あいつは俺に対しては気を付かうことなく、時間にもルーズなところがあった。だから、少し待てば来るだろうと研究室ドアの前に立つ。十分、十五分と待っても物音一つしない。そうか、ノックして入ってみよう。なぜ、早く気づかなかったのか。研究室のドアを押してみる。予想外に扉の鍵は空いていた。
「すいません。」
暗い理科室のような部屋に一言声を掛けた。右手にある照明を付けた。そこには誰も居なかった。おかしいな。辺りを歩き始めるた。ふと、足元の赤い水溜に足を入れてしまった。え、何これ慣れない刺激臭。目の前を視線を移すと、そこにはうつ伏せで横たわるAの姿がそこにあった。
警察に電話したのはAを見つけてからしばらく経ってからだった。そういえば、警察に通報するのがこれが初めてだ。状況を報告して、生まれて初めて事情聴取と取り調べが行われた。びっくりしたのは警察官を含めて刑事など捜査官の数だ。何十人いるかわからないほどの人数が狭い空間に忙しく動いている。果たして、俺は生まれて初めて第一発見者兼第一容疑者となった。大学に行く前にファミレスやコンビニのレシートを見せると深夜、警察署から帰る許可を貰った。携帯を見ると、妻のライン通知と共に留守番電話の表示を見た。それは、Aからだった。
俺は、Aが嫌いだった。学生の頃から、あいつは俺に対して冷たい態度や意地悪することはない。ただ、ただ周りの人間に慕われ、尊敬され、畏敬すら思われる才能と人格を俺は、嫉妬していたのだ。今まで俺は常に群衆のトップを走ってきた。そこへ、大学に入りおまえが現れた。なんだ、おまえは。俺の前を走るな。目障りだ。俺の前から消え失せろ。俺は必死だった。だが、俺は奴には敵わないと思うのはそんなに時間が掛からなかった。だが、俺はあいつの正体を知っている。おまえ、人の中心にいるように他人からは見えるが、本当誰よりも孤独だろ。俺は、知っている。ぉえが作るものも。なんで、そんな馬鹿げたものを作りたいのかも理解している。それは、俺だけだ。俺ならお前よりも賢くコイツを使える。だから、俺の為に死んでくれ。俺は常にAが一人になる時間を探していた。あいつの周りには常に人がいる。だから、苦労した。奴が研究室に一人で入った時、用意していた包丁で後ろからあいつの左脇腹を刺した。あの、感触は忘れられない。言葉に表せない達成感があった。それから、何度か背中を刺して、目的のモノを探した。おかしい。どこにあるのかわからない。大切なモノだ。Aが肌身離さず持ち歩いているはず。まずい、誰か来た。俺は急いで裏口から研究室を出た。そして、反対校舎から訪問者を観察する。あいつは、誰だ。くそ、警察を呼ばれた。だが、このタイミングで知らない奴がくる事はAの性格上ありえない。あいつ、関係者か。あいつを尾行しよう。そうすれば、目的のモノに近づく筈だ。
Aは小さい頃は地元の公園にある紅葉の木の下に大切なものを隠していた。両親や友達に見せたくないものをそっと隠すのに利用していたらしい。何故、俺がそれを知っているのか。それは、小学四年生の頃、二人で秘密の場所として宝物を隠したものだ。そんな、高価なものはない。ビー玉や綺麗な丸い石やチョークといった安いオモチャだが二人で共有して秘密を守るというのは強い友情の証のように感じた。
まさかな。肌寒いなか、真っ赤に色づいた紅葉はこの公園に一つしかない。その中をスコップで掘り始めた。いい年こいて何やってるのかわからない。ただ、あの生真面目なAが、冗談でこんな事をするとは思えない。それに、あいつは死んだ。留守電で怯えた様子を考えると、物凄い秘密があるのでは想像してしまう。半信半疑でスコップを掘り、硬い物を感じた。ここだ。アルニミニウム製のアタッシュケースを掘り出し、中を開けるとそこには携帯のような電子装置が真ん中にあった。なんだコレ。あいつ、コレを必死で隠してたのか。その下には、クリアファイルに入った十数枚の英論文があった。中身を見たが何が書いているのかさっぱりわからん。その時だった。背後から男が現れた。
コイツ、誰だ。俺は、不審に思いAの託したモノを急いで拾い上げた。
「どちら様ですか?」
俺は目の前の人間にとても警戒していた。
「申し遅れました。私は、Aさんと同じ大学で共同研究チームにおりましまた。Bと申します。今回、Aの代わりに頼まれたものを取りに来たんです。もしかして、あなたもですか?」
そういえば、この男は警察の取り調べの時にいたな。信用できるのか。いや、あの疑い深いAの事だ。部外者の自分に頼み事をする程だ。同僚にわざわざ、持ってこさせるような真似はしないだろう。
「そうでしたか。それで、何をお探しなんですか。私は素人で何がなんだかさっぱりわからないんです。彼は何か言ってましたか。」
俺はわざと何も知らないフリをしてBが何を考えているのか探ろうと考えた。
「Aさんは懐中電灯程度の大きさの機械がありませんでしたか。それか、書類やUSBメモリーなど記録を残せるものがあればすべて受け取ります。」
怪しい。普通同僚なら目的ものを抽象的に聞いたりしない。こいつ、知らないんだ。自分が何を探しているのか。
「なんのことだか、検討もつきません。」
俺は持ち物を素早く隠した。機械や書類を発見した場面を見ていないことを祈るしかない。
「僕はA君の幼馴染みなんです。小さい頃にここでよく遊んだんです。懐かしくて。つい、この場所にきて昔のことを思い出していたんです。」
「そうだったんですか。なんとも残念です。あんな優秀な同僚が、まさか背中を刺されて殺されたなんて。世の中はあまりにも理不尽だと思います。」
目の前の男はそう言って視線を下に下ろした。
ん?
なんだ。何かおかしいぞ。
「どうして。」
「どうして、Aが背中を刺されて殺されたことを知っているんですか。僕は警察の方以外に誰にも話していませんよ。」
その時である。目の前の男は無表情でこちらに迫り、俺を押し倒してきたのだ。最初、何が起きたのかわからなった。横になった私の上半身に乗り上げるように私を見下ろす男。俺のポッケや背中を物色して、とうとう機械を探り当てた。もの珍しそうにそれを眺めていた男が隙を見せた瞬間、俺は奴の手を掴み機械をつかんだ。
その瞬間、甲高い機械音と共に突然の閃光で視界は真っ白になった。
光に段々目が慣れてくると自分が横になっていることに気づいた。先程まで俺を押さえつけていた男はそこにいない。
ここどこだ?
そうだ、公園だ。
数秒までそこにいた公園はまるで見知らぬ土地のようにしずかであった。
先程まで響いていた子供たちの笑い声や車の走行音、カラスの囀りまで何一つ聴こえてこない。
起き上がり、自分の手や足を確認してお尻に雑草のゴミがついていた以外は何も変化はなかった。
少し歩くと公園内の歩道に出た。目の前に止まっている年配の女性に近づいた。
驚いた。止まっているのだ。文字通りである。
しかもなんとも奇妙な止まり方だ。その女性は今にも歩き出しそうな姿勢で固まっているのである。一瞬、パントマイムか何かの大道芸かと思ったが違うのである。少し歩いた芝生エリアでも多くの子供たちが止まっていた。いや、これは固まっていたと表現すべきか。まるで動画を停止したのごとく止まっている。こんな場所で集団パントマイムショーがあるとは考えられないが一つだけ決定的に非現実的だと思ったのは、縄跳びで遊んでいる女の子が縄跳びを飛んだ瞬間、空中で浮いているのである。しかも、ロングヘアが逆立ちしたのごとくまるで時間が止まったかのような光景が自分の目の前に広がっている。
これは夢の中なのかと思った。だが、自分の創造力でここまで完成度が高い夢を作れるとは思えなかった。一つの不安が胸を刺した。
早く帰らなけば。
俺は家の方向へ走り出した。
無我夢中で家まで走り、息が切れて足がふらつき歩いてた頃に自宅のドア前に立った。
生まれて初めてこのドアを開けたくないと思えた。
それから、どれだけの月日が経つのか検討もつかない。後から調べた結果、この世界はは1秒が1ヶ月の世界だと知った。つまり、時間は止まっていなかった。ただ、自分が誰よりも速く生きているだけなのだと知った。この世界は気楽だが誰にも話せない。愛する妻と永遠とも呼べる時間、隣りにいるのに彼女の声が聞けない日々は最初は辛かった。だが、徐々にこの生活に慣れてしまった。俺はこれから先にどれくらい生きれるかわからない。しかし、彼女の声が聞けるその日まで俺はそばで待ち続けるつもりだ。いつか、また話せたらこの数奇な人生も笑い話しになると信じて。
私はなんで椅子に座っているのか。夜勤が明けて料理をしていたような気がするが、いつのまにか椅子に座っていたようだ。疲れているのかな。少し寝るか。
私は、寝室のドアを開けた。
そこには見知らぬ老人が横たわっていた。
完