心の穴
リーリアちゃんの匂いが、ない。残り香はあるけど、リーリアちゃん本体の匂いを感じないのだ。あんなに美味しそうな匂いを私が嗅ぎ分けられないはずがないのに。
とりあえず、匂いで無理なら歩いて探してみよう。リーリアちゃんの部屋を訪れてみたけど、やっぱりどこにもいない。よく剣の練習をしている中庭にもいない。兵舎の方でも練習している事があるけど、そっちは先ほど見た。食堂にもいない。トイレにもいない。どこにいない。匂いもしない。
「……」
まぁきっと、どこかに出かけているだけだろう。
そういえば、レヴもどこにいないな。2人で話があるとか言ってたから、もしかしたら2人でデートに出掛けているのかもしれない。
ちくしょうっ。人の嫁……いや、旦那……いやいや、娘と勝手にデートとか、あるまじき行為だ。
「……アリス様」
「カトレア?」
お城の廊下で、2人のデートを想像してもんもんとしていた所に、カトレアがやってきた。
先ほどは私のプレゼントに歓喜していた彼女だけど、またその前のちょっと元気のないカトレアに戻ってしまっている。
「実は先ほど歓喜のあまり渡しそびれてしまったのですが……魔王様からお手紙を預かっています」
「手紙?」
なんだろう。直接言えば済むのに、わざわざ手紙という形にしたのには違和感がある。
それをカトレアから受け取ると、早速封をきって中身を拝見させてもらう。
『リーリアには、才能がある。しかしお主のやり方では真に強い者に育てる事ができん。であるから、我がリーリアを鍛える事にした。我は神に対抗するための戦力を育てるため、多くの魔族を鍛えて来た。鍛え方は知っている。リーリアに素質も見出している。だから安心して我に預けるがよい。ちなみにコレは、強制ではない。リーリアも我に同意し、我と行動すると決めた。お主はどうせ反対するであろうから、お主がおらぬ間に決めさせてもらった。神に関しては、現状維持じゃ。他の神仰国に攻め込んでもよいが、そこに至るまでの道中で神に支配されていない人間の国々と争う事になってしまうだろうからな。交渉はしているが、難航している。しかし神も自由に動けなくなってきておる。我等やデサリット、ギギルスの者達のおかげで、神という存在を人々が認識しつつあり、警戒しているからじゃ。しばらくは自由に過ごせ。我はリーリアを鍛えながら、神仰国を潰すための交渉と、神本体がこの世界のどこに潜んでいるのか引き続き探る。では、次会う時まで元気でな』
そんな内容の手紙だった。
そっか。リーリアちゃん、レヴと行っちゃったのか……。他の内容何て全く頭に入ってこない。私の頭はリーリアちゃんの事でいっぱいになる。
「……」
私は音もなく手紙を下げて、呆然とした。
リーリアちゃんが行ってしまったと言うのに、不思議と悲しくはない。ただ、なんだか物凄い喪失感に襲われた。心や身体に、ポッカリと穴があいてしまった気分。それが悲しいって言うのか……。
確かに私がその場にいたら、反対する。リーリアちゃんは私が面倒を見なくてはいけないのだから、当然だ。どこにも行かせたりはしない。反対する私を見れば、リーリアちゃんの判断も鈍ってしまうだろう。だからレヴは私がいない時を狙ったのだ。
笑っちゃうよ。ずっと傍にいてと、リーリアちゃんがお願いしたんだよ。私もその願いに応えるつもりだったのに、裏切られてしまった。いやホント……辛い。
「……カトレアは、知ってたの?」
カトレアは、私がお城に戻って来たその時から様子がおかしかった。
何か知っていたと考えるのが普通だ。もしかしたら、先にこの手紙を読んだのかな。封はされていたけど、読んでからまた封をする事も可能だろうし。
「はい。私もお二人の話し合いを聞いていましたから」
「なんで、止めてくれなかったの?リーリアを、どうしてレヴと行かせちゃったの。こんなの、絶対におかしい。だってリーリアは、私の事が好きだって言ってくれたんだよ。ずっとずっと、心苦しくて、でもこれからは我慢しなくてよくなって、ようやく素直にリーリアちゃんと接する事が出来るようになったのに……おかしいよ」
私、まるで子供みたいだ。カトレアを責める意味が分からない。頭では理解できている。でも理性がおいつてこない。本能がリーリアちゃんがいなくなってしまったこの穴の責任を、誰かにとらせようとしている。
「ごめんなさい、アリス様。アリス様のお気持ちを考えれば、止めるべきだったのでしょう。でも私は、行くべきだとリーリアさんに言いました」
「なんで……!」
「分かりませんか?リーリアさんは、アリス様に守られる存在になりたいのではありません。どんな強敵が前に立ち塞がっても、その時貴女の隣にいられる存在になりたいとお考えなのです。そうなるためには今のままではいけないと魔王様に助言され、そして魔王様についていく決意をしたのです」
「……」
「全ては、アリス様を想うが故ですよ。あの方の判断を、どうか尊重してあげてください。あの方は、どうしようもなくアリス様の事を愛しているのです。勿論、私もそれに負けないくらいアリス様に惹かれています。それこそ、食べられてもいいと考えるくらいに」
「……食べない」
「はい」
リーリアちゃんがそんな風に想っていてくれたのは嬉しい。確かに今の私と彼女のレベル差は開くばかりで、そのレベル差のせいで先日は彼女を置いて戦う事になってしまった。
一緒にいたいのなら、同じレベルにいなくてはいけない。それはどんな形であれ、全ての物に共通して言える事なのかもしれないと思った。学校も、仕事も、会社も、ゲームも、きっと全部そう。
私、また一つ社会の勉強をしてしまったよ。社会から逃げ続けていた私が、この世界に来て社会を学んでいる。笑える。でも笑えない。状況が状況だけに。
まぁでも、カトレアのおかげで少しだけ元気が出たよ。
カトレアがそう言ってくれなければ、私は今すぐお城を飛び出してリーリアちゃんを追いかけていたかもしれない。レヴが関与していると言う事は、転移魔法でどこかへ一緒に飛んでしまったはずだ。匂いの痕跡を辿るのは難しい。だったら魔族の領地に押しかけて居場所を知っている人を探し出し、連れ戻すしかない。そこまで考えた。
「リーリアさんがいない間は、私がアリス様を好きにしていい許可を得ています。なので、とりあえずお風呂にいきましょうか。二人でお風呂につかりながら、私が傷心のアリス様の身も心も癒してさしあげますよ。はぁはぁ」
「……嘘。リーリアはそんな事言わない」
「バレましたか」
普通にすぐ分かる嘘だ。もしかしてカトレア、リーリアちゃんがいない間に私の身体を狙ってる?カトレアの普段の言動や行動を考えれば、あり得る。
……気を付けよう。
「な、なんですか、アリス様。なんだか私とちょっと距離を感じるのですが?冗談、冗談ですからね。ですからもっとお近づきになってください。じゃないと私、死んじゃいますわ!」
さすがに死なねるのは困る。仕方がないので元の距離に戻ると、腕に抱き着いて来た。
「……正直にいえば、チャンスだと思わなくもないですわ。アリス様とリーリアさんが恋仲になったと聞き、私これでもショックだったんですよ。リーリアさんの代わりにだなんて言いません。でも、この機会にアリス様ともっと仲良くなる事が出来ればいいなと、私そんな邪な事を考えています」
それを邪と言うのには抵抗がある。それほどカトレアも私の事を想っていてくれるという事であり、それは素直に嬉しく想う。
でもこれまではいつも間にリーリアちゃんがいた手前、カトレアの重くてちょっぴり怖い愛をどう受け止めたらいいか戸惑っていた。それをいつもリーリアちゃんがカバーしてくれたのだ。しかしこれからは自分ひとりで対処しなくてはいけなくなってしまった。
「カトレアは、美味しそう。それでいい」
「では、お食べになりますか?指一本だけでもどうでしょう」
「いらない」
「そうですか……残念です。私の血肉の一部だけでもアリス様と共にあると思うと、それだけ私パン十枚は食べられますのに」
本気で言っているっぽいのが、本当に怖いんだよね。
私今、リーリアちゃんがいなくなってしまった喪失感に本気で凹んでるんだよ。そこにこの怖さは本当に怖い。
「……程々にして」
「はい。程々にしますね」
お願いをすると、素直に答えてくれる。でも不安しかない。
カトレアの事もだけど、これからのリーリアちゃんがいない生活の事もだ。