雨上がり
王様はあの日の会議以来、私に絡んでくる事はなかった。お姫様曰くいつも通りに過ごし、いつも通りに仕事をこなしている。
あんなに私がこの国にいる事に反対していたのにね。しかもお姫様の宣言通り、この国はザイール諸王国とか言うのを抜けるための準備にかかっている。それに反対もしなくなった。
それなのにいきなり怒鳴りつけられ、付いて来いと言われて連れられて行く私。アルメラちゃんが心配そうにしてくれていたけど、頭を撫でて勉強室を後にしてきた。
皆は勉強の続き。私は中年男性に連れられて教室を後にする。
やがて連れられてきたのは、お城の中で一番高い塔の上だった。随分と長い階段をぜぇぜぇと息を乱しながらも、自分の足で登りきった王様は偉いと思う。でも何故こんな場所に。
そりゃ眺めは良いよ。眼下には町が広がり、全体を一望できる。でもこの光景を君に見せたかったんだとかっていう雰囲気ではない。天気も悪くて視界が悪いからね。相変わらず雨が降り続いており、ロマンもへったくれもない訳で。
「この町は、わしが父から受け継いだわしの宝だ。五代続いたこの国は、今でこそそこそこ栄えて見えるが最初はただの荒れ果てた大地で、ここまで来るのに長い年月を要したのだ。まずは、礼を言っておく。この町をアスラの軍勢から守ってくれたことを、感謝する」
「……」
私は唖然とした。てっきりまたこの国から出て行けと怒鳴られるのかと思っていたんだけど、その真逆だったから。
「お前がいなければこの町は今頃、荒廃していたのだろう。カトレアは城を守り切る自信はあったようだが……しかし全てが無事とはいかない。籠城するためには食料がいる。とてもではないが、全ての民を籠城で長期間匿う事は出来ない。そのため周辺の村々の住人は見捨て、あの姉妹が住んでいた村も例外なく見捨てた。あまりにも大勢が殺され、後に残るのは大きな絶望だ。わしとて、この国を見捨てた諸王国に対して強い怒りを覚えておる。だが、だからと言って……諸王国を抜けるなどバカげている事だ。この国はあまりにも小さい。一国ではアスラに太刀打ちもできんくらいに、弱いのだ」
「……私には難しい話がよく分からない。政治の話も分からない。だから回りくどい言い方はやめて、簡潔に要点だけを言ってほしい」
「……そうだな。魔物に人の想いなど理解できんだろう」
元人間だから、よく分かる。人間の美しさも醜さも、理解している。でも今の私はただの魔物であり、人を食べ物として見るような化け物だ。理解はできても、共感は難しい。
「単刀直入に言えば、わしはカトレアの提案を理解し受け入れた。裏切り者のザイール諸王国を抜け、貴様の傘下に入ってやる。だが条件があるっ!この国を……わしの宝を守ると約束するのだ!でなければこの国は貴様の傘下に入らんし、この場でわしが斬り殺す!」
そんな事、出来る訳がない。私と王様ではレベルが違すぎて、次元が違う。
しかも頼んでいる立場だというのに、何故こんなに偉そうなのだろうか。さすが王様だとは思うけど、そこが素直じゃないんだよなぁ。
でも王様の気持ちは分かった。彼は本当にこの国のこれからを案じていて、それがお姫様の案に反対する動力源になった。でもよくよく考えれば諸王国に残るよりも抜ける方がこの国が生き残る可能性が高く、そのためには私の力が必要だと今頃になって理解したのだ。
これが腹を割って話をするという奴なのだろう。彼のこの町を想う気持ちは、私に喧嘩を売れるほど大きな想いであり、覚悟を感じる。剣に手をかけるその手が震えているからね。怖ければ喧嘩を売らなきゃいいのに、でもその姿はこの町の王様に相応しいと思う。
カッコイイよ、おじさん。初めて会った時は食べようと思ったけど、食べなくてよかった。そう思える人だ。
「……リーリアと一緒に、この町を見て回った。町では人が笑っていて、大勢の人が死んでしまって悲しいはずなのに皆前を見ていた。悪い人はいる。でもそれが全てじゃなくて……たくさんのフェイメラやアルメラがいた。良い宝物だと思う。だから……守ってあげる。出来る限りの力を行使して」
「……本当か?裏切ったりはせんと、約束するか?」
「しない。この町は嫌いじゃないから」
「ふっ、ははは!気に入ったぞ、魔物!いや、アリス!ではこれからこの国の護衛を任せる!わしも自分に出来る事を全力でする!共にこの国を発展させていこうぞ!」
突然笑い出した王様に手を掴まれ、無理矢理握手をさせられた。振りほどこうと思えば振りほどけるけど、でも嫌ではない。だから好きにさせておく。
でも私に抱き着こうとして来たので触手で振り払うと、王様が塔から落ちそうになってしまった。慌てて支えたけど、それでも王様は笑う。心底嬉しそうに。緊張が解れて、理性のタガが外れてしまったんだと思う。
気づけば雨はやんでおり、雲の間から差し込んだ日の光が王様の笑顔を照らし、いやに眩しく見えたのが印象的だ。
こうして、私はこの国の王様に受け入れられた。この国がザイール諸王国とやらを正式に抜けたのは、この少し後である。
それからしばらくは、平和な時間が続いた。このお城での生活は、私にとってこの世界に来て初めての休息となりえた。
敵はいないし、いても雑魚。寝込みを襲う獣もいない。喧嘩を売る人も……たまにしかいない。極楽で、楽園だ。
でも、そんな安息の時間がいつまでも続く事はなかった。
「アリス様、もう一回!もう一回して!」
「……仕方ない」
場所はお城の中庭。そこでアルメラちゃんが私にねだってきて、私はわざとらしくやれやれと言った感じで彼女を触手で抱き上げる。そしてちょっとだけ高く浮かび上がらせ、空中をぐるぐると回してあげた。
秘儀、空中ブランコの術である。
「あははははは!」
アルメラちゃんは飛びながら笑っている。
私は乗ったことないけど、空中ブランコって楽しいのだろうか。いや、アルメラちゃんを見ていれば分かる。楽しいのだろう。
「あ、アルメラ……」
手加減はしているけど、傍らで見守るフェイメラちゃんが大分心配そうな顔をしている。だから回すのは程々にして、頃合いを見てフェイメラちゃんの前にアルメラちゃんを下ろしてあげた。
「これすっごく面白い!お姉ちゃんもしてもらいなよ!ね、アリスお姉ちゃん、いいよね!?ね!」
アルメラちゃんはよっぽどハマったらしく、目を輝かせながらフェイメラちゃんにオススメし、私の方をこれまた輝いた目で見て来る。
でも、アルメラちゃんはこんな感じで私にすっかり懐いてくれたんだけど、フェイメラちゃんはそうでもないんだよね。未だに怖がられていて、自分から私に近づいてきたり、話しかけたりしてくる事はまずない。
「私はいいの!それより、アリス様にあんまり迷惑をかけちゃダメ!アリス様とリーリア様は、お稽古で忙しいんだから!」
稽古を理由にして断るフェイメラちゃんだけど、そんなに忙しくはない。
実は2人が来る前は、お城の兵士達に頼まれて戦ってあげていたのだ。私が相手をしていた10人はお城の中ではそれなりの実力者だったんだけど、息をつく間もなく攻撃を繰り出していたらすぐにへばってしまった。それで暇になり、たまたま通りかかった姉妹と遊んでいたという訳。
リーリアちゃんの方はまだ戦っているからね。リーリアちゃんは勉強よりも身体を動かす方が好きだから、相手をおちょくるような動きでこれまた10人の兵士を同時に相手にし、せわしない攻防を繰り広げている。
戦っているリーリアちゃんは、なんていうかイキイキとしている。兵士達もリーリアちゃんの動きから学べることは多いだろう。こちらも楽しそうだ。
一方で私が相手をしてあげた兵士達はどうだろう。楽しかっただろうか。なんか怯えているようにしか見えないけど、まぁ攻撃を受ける練習くらいにはなったと思うよ。何発か攻撃がかすってしまったけど、鎧が凹んだだけで済んだはずだし、HPもそんなに減ってないから大丈夫。ダメージ通ってるやん。まぁ大丈夫。
「アリス様!リーリア様!」
とそこへ、大慌てで兵士が駆けつけて来た。
「……何」
「あっ、そ、その……カトレア様が、大至急謁見の間に来て欲しいとの事で、お呼びに参りました」
お姫様が、私を?珍しくはない。このお城の暮らしの中で、けっこうくだらない用事で呼びつけられる事が多々あったから。そしてやたらとくっついてくる。まるで私を誘惑するかのように。
でも大至急という形で呼ばれたのは初めてだ。おまけにリーリアちゃんも一緒にというのが気になる。
「分かった。リーリア。カトレアが私達を謁見の間に呼んでいるらしい。五秒で終わらせて」
「……仕方ないわね」
リーリアちゃんはまだ遊び足りなそうだけど、そう呟くと本気になった。そして3秒後には全員の兵士がリーリアちゃんが手にした模擬刀によって叩かれ、痛みで地面に倒れこんでいた。
「お見事。リーリア、凄く強い」
「ふふっ。中々楽しかったわ。でもあんたよりは弱いから、嫌味にしか聞こえない」
「あ、ありがとうございましたっ……!」
相手をしてあげた兵士達から、私とリーリアちゃんに向かってお礼の言葉が飛んで来た。痛みに悶えている兵士からもね。
勉強のおかげで、それくらいの言葉はリーリアちゃんも理解できる。リーリアちゃんはお礼に応えるように軽く手をあげると、兵士達に背を向けて歩き出した。
姉妹2人ともその場でお別れだ。私は2人の頭を触手で撫でると、リーリアちゃんの後を追う。
向かうのはお姫様が待っていると思われる、謁見の間だ。




