救世主
呆然とする前線の兵士たちに向かって掌をむけ、私は魔法を放った。
掌には土色の紋章が浮かび上がり、その紋章の巨大版が前線の兵士たちの足元に浮かび上がる。勘のいい者はその紋章から慌てて逃げ出し、それに倣って他の兵士たちも逃げ出そうとする。でも全ての兵士たちが逃れる前に魔法が発動してしまう。
「テラクェール」
突如として、紋章の浮かんでいる大地に亀裂が発生した。亀裂は地面が崩れる事で拡大。大きな地響きをたてながら、先ほどまでそこに立っていた兵士たちを大地が飲み込んでいく。
ある程度まで亀裂が拡大すると、地響きが止まった。亀裂の幅は、大体30メートルくらい。長さは数百メートルにもおよぶ。遠目でもかなり巨大な亀裂が紋章上にだけ出現していて、異様な光景だ。
先ほどの魔法よりも、大勢の兵士たちが大地に飲み込まれた。一瞬にして、数千の命が奪われたのだからタダごとではない。
彼らには運がなかった。ここに私が現れなかったら──リーリアちゃんが姉妹を助けなければ──リーリアちゃんに汚い手で触れようとしなければ──私に喧嘩を売らなければこんな事にはならなかったのに。
そして同時に、自分が恐ろしく思えて来た。化け物にはならないようにしようと思っていても、やはり相手は有象無象の雑魚。多少強く力を行使するだけで、こんなにもあっさりと死んでしまう。そんな雑魚を大量に殺すのに、罪悪感もない自分が恐ろしい。
ハスタリクによって瀕死状態だったリンク族を食べた時や、ラネアトさんを食べた時には罪悪感しかなかったのに……。
でも赤い鎧の集団は、明らかに悪だったと胸を張って言える。力に溺れて弱い者を弄ぶ姿はまさに愚かで、悪だった。それに神父はアリスエデンの神殺しの世界において悪だった神という存在に妄信していたし、普通ではない者まで混じっている。つまり、正義は私の方にあるという事で。はい、解決。
勝手に悩み、勝手に解決すると、私は開いて向けていた手を閉じて紋章を握った。
すると今度は大地が動き出し、開いた穴が閉じていく。拡大が止まった事で止んだ地響きが再びおき、地面が動いて穴が塞がれて行く。やがて穴は塞がれ全ては元通りとなった。
元通りにならなかったのは、穴の上にいた人間たちだ。彼らは暗い地面に飲み込まれて帰らぬ人となってしまった。
地面を覆っていた赤い集団は、こうしてその数を半分以下にまで減らし、戦意を喪失。目の前でおこった出来事が理解できずにその場に立ち尽くし、腰を抜かして動けなくなる者と、私の周囲にいた赤い兵士達のように逃げ出す者もいる。
たぶん、町の人たちは巻き込まなかったけどどうだろう。魔法が大規模過ぎて、もしかして巻き添えをくらった人もいるかもしれない。そこはまぁ、謝っておこう。ごめんなさい。
「……終わった」
リーリアちゃんにそう報告をすると、リーリアちゃんまでもが呆然としていた。
「……あんたやっぱり、化け物ね」
そして力なくそんな酷い事を呟かれる。
そこには私に対する畏怖が感じられる訳ではない。ただ、リーリアちゃんは呆れているのだ。
リーリアちゃんの前でここまで大規模な魔法を発動させたのは初めてで、力を隠していたみたいに思われたのかもしれない。それで、力を隠されていた事に対する怒りを飛び越えて呆れられたと。
「……」
リーリアちゃんが助けた人間の姉妹の方を見ると、彼女達は抱き合い、震えていた。
こちらは明らかに、私に対する畏怖を感じる。この反応が当たり前で、リーリアちゃんやラネアトさんが特別なだけ。分かってるけど、ちょっと寂しい。
「何しょげてるのよ」
「?」
「あんたはこの姉妹を……この町を救った。いわば救世主でしょうが。救世主がそんな暗い表情をしてたら、救われた側が不安になる。だから、胸を張りなさいよ」
「……私には表情がない」
「そうだけど、あんた分かりやすいのよ。だからせめて堂々としてて」
「どういう意味?」
「内緒」
毒が抜け始めたのか、リーリアちゃんが立ち上がろうとするけど、その足がふらつく。なので私は駆け寄って身体を支えてあげると、リーリアちゃんは素直に身体を預けて来た。
「あー、ホント、情けなっ。本当は私がやるはずだったのに。オマケに身体まで支えられて、何してるんだか……」
「リーリアはよくやったし、強くなってる。だから気にする事は何もない」
「……気にするわよ。でも今はダルいから、甘えとく」
リーリアちゃんは、とても素直な子だ。自分がまだ弱い事を認めて前を向けるし、辛いときは私に甘える事もできる。それはすごい事だと思う。
私には、出来なかった事だ。
「それで、どうする?」
「どうするって?」
「この後よ。赤い鎧の連中は尻尾巻いて逃げて行ってスッキリしたけど、私達かなり注目されてる」
周囲を見渡せば、先ほどまで私達を囲んでいた赤い鎧の兵士達姿はどこにもない。代わりに、赤い鎧の兵士たちに蹂躙されていた人々の視線が集まる。捕らえられて拷問されていた男の人や、女性や子供……人間の盾にされていたけど、置き去りにされた人々。
さすがに前線の方の人々は遠すぎて、誰が魔法を発動させたのかまでは分からないはずだ。でも私の周囲の人々は違う。私がした事を理解し、力を持つ得体のしれない魔物に恐怖している。
「……予定に変更はない。このまま町に行く」
「目立つわよ?」
「別に良い。私はあの町を救った救世主。だから、胸を張って行く」
先ほどリーリアちゃんに言われた事を実行しようとする私に、リーリアちゃんが笑った。そして町の方へ向かって歩き出す。
「あ、あの……!」
それを、リーリアちゃんが助けた姉妹が呼び止めた。
私が振り返ると、ビクリと身体を揺らして怖がっている事がよく分かる。
「た、助けていただいて……ありがとうございましたっ」
「ましたっ」
そして震える声でお礼を言って来た。姉の言葉に続き、妹ちゃんも短縮してお礼を述べて頭を下げて来る。
お礼を言えるのは良い事だ。礼儀正しい子には好感が持てるし、素直に嬉しく思う。
「……なんて言ってるの?」
彼女達の言葉を理解できていないリーリアちゃんが、私にそう尋ねて来た。
「ありがとう、だって」
「そ、そう。でも今回はたまたま運良く助かっただけだから。次からはこう上手く行かない。次もし同じシーンに遭遇しても、自分で乗り越えられるように強くなるべきね」
「……」
ごちゃごちゃ偉そうに言うリーリアちゃんだけど、毒で身体が上手く動かないので私に支えられている。
余計な事言わないで、どういたしましてで済ましておけばいいのに。そう言う所は不器用な子である。
そしてリーリアちゃんの言葉が分からない姉妹が、不思議そうに見ている。私が翻訳してあげる必要があるんだろうなぁ。
「……助かって良かったね、だって」
「は、はい!本当に、ありがとうございました!このご恩は忘れません!」
会話も終わり、再び歩き出そうとしたけどふと気になった。
姉妹の服装は、ぼろ雑巾のような布を身に纏っているだけで体中が汚れ、かなり憔悴している。姉妹だけではない。この周囲で赤い鎧の兵士たちに酷い目に合わされていた者は、皆同じような感じだ。転がっている死体には酷い拷問のあとが残っているし、自身が生き残れた事に対して喜ばず、死体を前にして泣き喚く者もいる。そもそも暴力を受けていた人は心に深く傷を負っていて、今の状況も理解できていなさそうな様子だ。
ここで私が皆に何かしてあげられる事はもう何もない。後の始末は誰かがなんとかするだろうし、私が手を出す事ではない。
「……一緒に、来る?」
もしもだけど、姉妹に頼るべき大人がいないと思うと放ってはおけなかった。いるならいるで、別に良い。私に付いてこずに頼れる大人を頼ればいいだけだ。
でも例え何もなくとも、私みたいな化け物に付いて来るかと尋ねられ、付いて来ると答える子なんているのだろうか。姉妹の私に対する反応を考えれば、私に付いて来る訳がない。自分が傷つくだけの質問をしてしまい、聞いてすぐに後悔した。
姉妹のお姉さんの方は驚き、困ったように妹ちゃんと目を合わせ、でもすぐに何かを決心したような目でこちらを見つめて来た。
「つ、付いて行きますっ」
そして震える声でそう言うと、妹ちゃんを引き連れて私に駆け寄って来た。