どうしても欲しい物
何者かが歩いて私達の方へとやってきた。同時にパチパチと渇いた音が響く。
「──お見事です。まさか、崩れた山からこの町を守ってしまうとは……思いもしませんでしたが、しかしおかげで助かりました」
拍手をしながら私達へと近づいて来たのは、アンヘルさんだった。
褒めてくれている。拍手もしてくれている。でも何か、嫌な予感がした。私はカトレアを背にかばいつつ、彼を警戒する。
「アンヘル!聞いてくれ、山が崩れたのは神に操られた──」
「知っている。神は消滅魔法で、デサリット最大の邪魔ものであるアリスを消し去ろうとしたんだよ。町の半分がそのために犠牲になるはずだった」
「な、なんでお前がそれを知っているんだ……?」
「ボクが聞いていたのは、半分の犠牲だ。けど神は約束を破った。両方の山を破壊し、この町を消し去ろうとしやがった。カトレア様を巻き込んで消滅魔法を発動させた時点で、奴らがボクとの約束を守るつもりがない事を悟ってはいた訳だが……ボクもまた、所詮神の掌の上で踊る人形だったと言う訳だ」
「……」
何の説明もせず、自嘲気味に笑う糸目のアンヘルさん。やや自暴自棄になっており、その姿はとても痛々しいように見える。
でもその発言から察するに、この人はもしかしたら敵なのかもしれない。彼に近づこうとしたシェリアさんも、様子のおかしい彼に対して不信感を抱き始めている。彼に近づくのをやめ、代わりに距離をとって剣に手をかけた。
「カラカス王様が脅されていると推測してから、ずっと、何かがおかしいと思っていました。王の近くにいる聡明なアンヘル様が、気付かない訳がない、と。それに、いくら町に殉教者が潜んでいるとはいえ、王の近くにいないのであれば王ももう少し上手く立ち回れたはず。そうできなかったのは、王の一番近くで王を監視する者がいたからです。その監視役が、アンヘル様だった。違いますか?」
「ご名答です。そうですよ。ボクは神に従い、神に味方してカラカス王をずっと監視していました」
「何を言っているの、アンヘル……?」
「信じられない?そうだよね、シェリア。お前はよくボクに懐いていた。でもボクはずっと、お前のことが嫌いだったんだ。だってお前、頭が良くないし。それになにより、その顔の傷。女でありながら顔に傷を作るような野蛮な人間が、ボクは一番嫌いなんだ」
「冗談はやめて!アンヘル、お前……そうだ、神に脅されているんだ!お前も、そうなんだろう!?」
「冗談じゃないよ。本気さ」
「っ!」
仲が良いと思っていた友達に、実は嫌いだったと言われた時の気持ちってどんなだろうか。例えば自分に当てはめると……ネルルちゃんに、実は私の事が嫌いだったと言われたとする。
……。
ヤバイ。泣いちゃう。妄想で嫌いと言われるだけで、かなり来る。
シェリアさんはアンヘルさんの言葉がよほどショックだったのか、その目から涙を流し、膝をついてしまった。
「何故、カラカス王様を裏切ったのですか?」
「それはあまりにも単純な事です。王が、ボクの望む物をくれなかったからですよ」
「貴方が、望む物とは?」
「……」
アンヘルさんは、静かに私の方へと向かって手を伸ばした。いや、私じゃないね。私の後ろにいる、カトレアにその手と目は向けられている。
「貴女ですよ。カトレア様。ボクは、貴女が欲しかったのです」
カトレアとアンヘルさんの年は、そこそこ離れているように見える。アンヘルさんはまだ若いとはいえ、カトレアからしてみれば少し年の離れたお兄ちゃんくらいの差があるだろう。そのアンヘルさんがカトレアを強く求める姿は、変態性を帯びている。
相思相愛なら別にいいとは思うんだけどね。愛に年の差なんて関係ないし。でも無理に手に入れようとするのは、それとは全く別の話だ。
「……いつからですか?」
「貴女と初めて出会った、その日から。ボクは頭が良く美しい貴女を、何がなんでもこの手に収めようと、そう思いました。そして今の地位にまで這い上がり、時期を見計らって王にデサリットの姫との政略結婚を提案したのです。が、あっさりと却下されてしまいました。まずは自分の手で姫の心を射てみよと。そう言われたのです。しかしカトレア様はボクを恋愛対象として見ていないのは明らかでしたからね。普通の方法では無理だと悟ったのですよ。そこに手を差し伸べたのが、神です。ある日クルグージョアに勇者を名乗る一行が訪れたのですが、そのメンバーの一人が神の使いだったのです」
勇者の一行……神の使い……。
記憶にある。確か弓を使っていた子が、神の使いだった。私はその子に、消滅魔法で殺されかけたのだ。
「神の使いは、ボクにデサリットを攻める計画がある事を教えてくれました。協力すれば、その戦いで勝利した暁にはボクにカトレア様をくださると言ったのです。ボクは当然、その話に乗りました。山に消滅魔法の大規模な魔法陣をしかけ、力を証明するために近くの村を消し去り、カラカス王を脅して諸王国がデサリットに援軍を送らないように仕向けました。全ては上手く行っていたのに……デサリットが勝利してしまいました。その上、諸王国を脱退したデサリットとの距離はむしろ開く事になってしまい……ボクは絶望しましたよ。しかし諦めるのはまだ早い。魔族とデサリットが手を組んだと聞き、諸王国がデサリットに攻める口実になると判断しました。神もまた、アリスを消したがっていたので策を練ったのです。まずカトレア様を会議に呼びつければ、カトレア様は戦争を止めるためにやって来てくれると思いました。そしてこれから敵になろうとしている国に赴く訳ですから、当然強い護衛が必要になる。その護衛に相応しいのは、アリスだ。アリスなら何もせずとも、山の仕掛けに気づくと神は言った。だから山にアリスをおびき寄せた上で、消滅魔法を発動させて殺すつもりだった。予想外だったのは、シェリアとカトレア様が付いていった事です。シェリアはどうでもいいが、カトレア様がついていったのはちょっと困ったよ。だが神は躊躇なく魔法を発動させた。そしてこれまた予想外で、アリスもカトレア様もシェリアも、生きていた」
要するにこの人は、カトレア欲しさに国を裏切り、神様と通じていたという事だ。そして策まで駆使して私を殺そうとした。でも途中まではよかったけど、結果何も上手くはいかなかった。
確かにこの人は頭が良いのかもしれない。私もカトレアも、この人の思惑通りに動いてしまったのは事実だから。でも決定的に詰めが甘い気がする。だから最後にボロが出るし、しかも神様に騙される。
「国を半分捧げてまで、アリス様を殺そうとした。でも神はもう一方の山まで破壊し、クルグージョアを壊滅させようとした。貴方が王を裏切ったように、神もまた貴方を裏切ったのですね」
「……ええ、お恥ずかしながら。神は町ごと、ボクを消そうとしました。カトレア様も、殺そうとしました。ボクはただ、アリスを消滅魔法で消すための道具にされていたに過ぎません」
「神は人々を、玩具としか見ていません。玩具と約束を守るはずがないのです」
「分かってはいましたよ。でも分かっていても、縋ってしまうのが人間です。ボクは貴女を手に入れるためなら、何でもしたかった。それだけなのです」
「……神のせいでデサリットはアスラの侵攻を受け、大勢が死にました」
「どうでもいいですよ、そんなのは。ボクにとって、カトレア様が全てですから」
「貴方は昔から、どこか重要な所で冷たいお方でしたね。でも賢く頭が切れるお方で、そこは評価していたのですが……。まさか、神に騙されるほど愚かな方だとは思いもしませんでした。私は自分の人の見る目を、改めなければいけません」
「例え騙されていたとしても、一瞬だけでも、ボクは貴女が欲しかった。他の全てを犠牲にしてもいい。貴女さえボクに振り向いてくれていれば……違う道があったのかもしれません」
アンヘルさんはそう言い終わると、懐から短剣を取り出した。そしてなんの躊躇もなく、その短剣を自らの首に突き刺した。
「アンヘル!」
すぐに駆けだしたのは、シェリアさんだ。シェリアさんは嫌いだと言われたのに、彼の行動に一番に反応して駆け寄った。そして倒れこんだ彼を抱きかかえて起こすけど、首から大量の出血があってその勢いは止まらない。
「……思ったより、楽には死ねないものだ。凄く痛い……誰か、トドメをさしてくれ……」
「何で……こんな事に……!」
「誰だ……?カトレア、様か?いや、彼女が駆け寄ってくれる訳がない……ああ……でも温かいな……」
「っ……!」
シェリアさんは、アンヘルさんを抱いたまま声を押さえてすすり泣く。意識を失いかけているアンヘルさんに、自分がカトレアではないと悟られないためだ。
本物のカトレアは、私の後ろにいる。呆然としながら私の服を掴み、顔を伏せたまま動かない。
私は……空気が読めない女だ。そっと触手を伸ばすと、シェリアさんが抱きしめているアンヘルさんへと襲い掛かり、彼を食べてあげた。たぶん、何の苦痛もなく食べてあげられたはずだ。
「ああ……うっ、あああぁぁぁぁぁ!」
アンヘルさんがいなくなると、シェリアさんは声をあげて泣き出した。人目も憚らず、彼の死を悼んで泣く。
こうして、カラカス王国は救われた。デサリットと諸王国の戦争も、なくなるはずだ。全てがめでたしのはずなんだけど、スッキリはしない。
アンヘルさんが目の前で自殺してしまった事や、以後カトレアの様子がおかしくなってしまった事に起因する。