表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

虫嫌いな少年。(最後に世界観ぐっと広がります)

作者: 37Gii

*ご都合主義の狭い世界観を

 いかに広げられるか限界に挑戦。


*知人の熱弁と圧に負けて初投稿。

「最後鳥肌やべぇ」「いいからのせろ」

「絶対伝わる」「自信もて」

 

*虫嫌いにも全力配慮。


※最後に化ける作品です。




少年は実は、虫が好きだった。

ここでいう少年は、まだ小学生にも満たない

名前も明かされぬ少年だ。

少年は今日も、昆虫を見て気持ちをたかぶらせる。

こんなに小さいのに、なんで動けるの。なんで空を飛べるの。

そんな空想(わくわく)が止まらない。


今日は初めて、友だちの家で昆虫図鑑というものを見た。

少年は同年代の子に比べて、賢かった。

友だちがトイレで離れている間に、こっそりと図鑑を手に取って

見た少年は、抜かりがない。


少年はまだ見ぬ世界と、少年の知っている世界が、世界のほんの

一部に過ぎないということを、このときに知ったのだった。


「―――…」

気を抜くと、すぐに好奇心の声が漏れそうになる。

少年は気を引きしめて、ページをめくる。

知らない世界の、名前も知らない昆虫たちは、どれも少年にとっては

魅力的に見えた。

だが同時に、残念でもあった。

少年はなんとなく悟ってしまったのだ。

少年が普通に暮らしていたら、この図鑑に載っている大半の昆虫たち

と出会うことはなく、自分の一生は終わるのだろうと、なんとなく

少年は、そんな風に思ってしまった。


「自分の目で見てみたいなぁ。っと」

最後に少年心を呟いて、そっとページを閉じた。

そろそろ友だちが戻ってくるだろう。

一瞬だけ名残おしそうに手を止めて、けれど思い直した

少年は、カバーに図鑑を収めると、友だちの本棚の中にその図鑑を

隠蔽いんぺいする。


「ボクは、虫が好きでいいのかな」

ふと少年は、自分の母親、ママの顔を思い浮かべて呟く。

虫と昆虫の区別もつかない少年のママは、少年にとって、

最も身近な虫嫌いの1人だった。

普段は穏やかで優しいのに、虫を見ると豹変ひょうへん

してしまうのだ。


あの顔つきとあの声は、一生忘れられそうにない。

初めて見たときは、ホラー映画を見たときのようだと思った。


「大きな声を出して、その、ごめんなさい」

「でも、私、本当に虫だけはダメなの。なんで虫っているのかしら。

ほんと、絶滅すればいいのに」

虫を追っ払った少年に、ママは感情のこもった声でそう言った。

涙ながらのママ。

優しい少年はこのとき、自分が昆虫が好きであることは言い出せず、

そしてママの前では、虫の話はしないようにしようと決めたのだ。


図鑑を見た翌日、少年はもう1人の、身近な虫嫌いを発見する。

それは同じ幼稚園に通う、少年の1番の友だちだった。

ついでに言うなら、あの昆虫図鑑の持ち主だった。

「何してるの?」

「あ? なんだおまえか。ムカつくから処刑してた」

背後から話しかけた少年に、友だちは笑顔でそう言った。

それは少年にとって、なかなかにショッキングな場面だった。

友だちは虫を捕まえた後に、足を1本ずつぎ取っていた

のだと教えてくれた。

「ざまぁ見ろ」

 口には出さなかったが、少年には友だちがそう言ってるように

見えた。

そして最後に、足で虫を踏みつけていたのだ。

(ああ、昆虫図鑑を持っていたから、もしかしてボクと同じで、

虫が好きなのかもしれないと思ったけど、違ったみたいだ)

少年はそれを確かめようと思って、探ろうと思って、友だちを

探していたのだ。


「ぼくは悪い物を、好きになってしまったのかもしれない」

少年は家のソファの上で、そんなことを思った。

幼稚園ではなんとか平然を装っていたから、誰にも気づかれる

ことはないだろう。

けれど少年は、家に帰ってきてから、底知れぬ見えない圧力に

押し潰されそうだった。

このままではマズイ。何とかしないと。

あの友だちは明日も幼稚園に来るし、絶対に話しかけてくる。

そんなときに、友だちのあのときの顔がよぎるのだ。

変な感じになったら、ボクが虫好きだということが

バレてしまうかもしれない。


ボクはきっとまだ、虫も昆虫も嫌いにはなれない。

けど、ママの前で演じたり虫の話題を遠ざけているみたいに、

あの友だちの前でも、やらなきゃ。

でも、どうしたらいいの。

もしあの友だちが、明日も虫を処刑していたら?


「かわいそうだからやめなよ」

真っ先に思い浮かんだのはそんな言葉だったが、少年は

その言葉から、自分の虫好きがバレるかもしれないと思った。

もしかしたら怪しんだ友だちが、処刑した虫たちを並べて

ぼくに見せてくるかもしれない。

そしたら、ぼくは……。


「どうしたんだ。アイツは」

台所にいるママの隣にパパはさり気なく寄り、少年には

聞こえないように耳打ちした。

ママも少年には気づかれないように溜め息を吐く。

「明らかに元気がないよなぁ」

パパはママの溜め息を見て、理由はわからないのだと悟る。


「仕事帰りにあの店でプディング3つ買って来て。そんなメールが

来てたから、アイツに何かあったんだろうとは思っていたが」

パパは少年を見ながら呟いた。

「今日、幼稚園から帰ってからずっと、あんな調子なの」

「だから夕飯をあの子の好きなハンバーグにしてみたり、

あなたにメールしてみたりしたんだけど」

ママはちょうど、少年の残したハンバーグを片付けるところ

だった。いつもはお代わりを要求するハンバーグを、今日の少年

は半分くらいしか食べていない。これではプディングでも同じ結果に

なりそうだ。


「幼稚園でケンカしたとか――は、ないのか?」

パパもパパなりに考えてみた。

少年が自分からケンカを吹っかけるとは思えないが、仲良くして

いる友だちがやんちゃな感じだったから、吹っかけられたり

いじめられる可能性は、なくはないと思った。


「たとえば、ほら、名前なんだっけ。アイツが仲良くしてる」

「アンソルくん」

ママの答えに、パパは「そう、その子」と応じた。

けれどママは首を振る。


「私たちが帰るときに、アンソルくん笑顔で手を振ってたし、あの子も

返していたわ。だから絶対ではないけど、違うと思う。さすがに

ケンカしてたら、職員さんが気づきそうなもんじゃない?」


ママに言われて、パパも頷いた。

そしてパパが、少し真剣な顔つきになった。

「なぁ。アイツの場合、お前みたいに心配してるってのを隠すより、

心配してるぞって言ってやった方が、事情を話してくれるような

気がするんだが、どう思う?」

「そうね、そうなのかもしれないわね。私もちょっと聞いてみた

けど、私には話してはくれなそうだった」


ママは少し悔しそうに言った。そして、

「あの子ももう年頃の男の子だし、今回のことは、あなたの方が

話しやすいことなのかもしれない。私はお風呂入れてくるから、

その間にお願いしていいかしら」

「おう、わかった。悪化してても怒るなよ?」

「もう」

「そんなに落ち込むな。お前は自分が思っている以上に、

アイツの為に良くやってるよ。だからたまには、俺にも見せ場をくれ」

こうしてパパとママは、少年が気づかぬ台所で、1度だけ優しい

口づけを交わした。


「どうした? 元気ないじゃないか」

パパは少年の隣に座り少年の頭を撫でながら、優しい声色で

言った。久々に撫でた少年の髪は、ママに似たクセのない

ストレートの髪質だ。

「あ、パパ」

「幼稚園でケンカでもしたのか。ほら、アンソルくんだっけ?」

パパから見た少年は、少しだけ表情が曇った気がした。

けれどすぐに持ち直す。そして、

「違うよ」

「俺もそうだけど、ママが心配してたぞ。1番な。幼稚園帰って

きてから元気ないって。お前が元気ないから、ママまで元気が

なくなってきちゃってるぞ」

「え、あ、ママ?」

少年の視線がママを探す。

「風呂入れに行ってる」

「まぁ、パパとママは、お前が話したがらないことを

聞き出そうとは思ってないし、そんなことはしたくもない」

「もちろん、お前が話したいなら、どんな下らない話でも、

喜んで聞くけどな」

「うん」


パパは少年にデコピンをかます。

「いたっ」

「お前知ってるか。ハンバーグ作るのって、結構面倒くさいん

だぞ。パパだったら、外で食おうかなって思うくらいにな」

「えっ…?」

少年はパパの意図が読めずにいる。


「ママはお前の元気がないから、たぶんわざわざ買い出しに行き

直して、ちょっとでも元気が出るようにって、手間暇かけて

お前の好物を作ってくれた。それをお前は残した」

「それはちょっと違うんじゃないか? 少なくともパパはそう思うぞ」

少年の表情が少し変わる。


「お前が話したくないことを、パパとママは聞かない」

「でも話さないんだったら、最悪、おかずとかは残していいから、

メインだけは意地でも食べろ」

「それがママへの誠意であり、男だったら意地でも通すべき筋だ」

言い終えたパパは、いつもの優しい表情に戻っていた。


「パパ、その、ごめんなさい」


「謝るのはパパにじゃないだろう? あとでちゃんと、

ママに謝っておけよ」

「……うん」

「次やったら許さないからな。約束できるか?」

パパはそっと右手を差し出した。


「うん、約束するよ」


少年はパパの手を取り、力強く握手する。

「パパが食べたかったってていで、ちょっと奮発したプディング

も冷蔵庫で冷やしてある。風呂上りに食べられそうか?」

「うん、食べたい。ありがとう、パパ」

「まぁ、さっきのこと含めて、パパにも謝りたいって言うな

ら、久々に風呂で背中でも流して貰うとするかな」

「うん、パパ、背中流したい。あと両手でやる水鉄砲の

やり方教えて」


「ああ――うん。あれな。わかった」

パパは少年の頭を撫でながら、そっと耳打ちすることにする。


「お前に何かあったのは、パパでもわかる」

「でもその年で、自分でなんとかしようとするのは凄いことだ。

誇っていい。パパがお前の年くらいのときには、絶対に

できなかったことだ」

「でもな。世の中には誰かに頼ったり相談した方が、

上手くいくこともある。お前はまだまだ甘えていい年だ。

ママなんかは甘えて欲しい。頼って欲しいと思ってるはずだ」

「だから今回はいいけど、早めに甘えたり頼ったりするのにも

慣れておけよ。パパぐらいの年でそれができないと、

苦労するぞ。仕事とかでな!」


「パパ、くすぐったいよ」


「じゃあ最後、甘えたり頼ったりする相手は自分で選べ。

パパでもいいしママでもいい。友だちでもいいけど、パパとママは、

お前がいくつになっても、たとえ世界が敵になったとしても、

お前の味方だ。覚えとけよ」


少年は、パパを振りほどいてお風呂場の方へと走って行った。

「ママに謝ってくるー」

少年の背中を見ながら、パパは呟く。

「まだちょっと、早かったかな」

その後パパと少年は、一緒にお風呂に入った。


そして身体を洗い終えて浴槽に入っているときに、

パパは少年に聞いた。

「そういやお前、虫って好きだっけ?」

少年はお湯で顔を洗いながらごまかして、

「え? なんで?」

なんとか平然を装うことに成功した。

「なんか、週末から例の動物園で昆虫コーナーが

できるらしいって会社で聞いたんだよ」

「え、でも、ママは虫が嫌いだし」

「あぁ、そうだったな。じゃあ興味あるなら、たまに

は2人で行くか? たまには男同士のデートもいいだろう」

少年は少しばかり悩む。そして、

「でもぼくも、虫はちょっと苦手かな。触れられるから、

幼稚園で何かあったら呼ばれてヒーロー扱いされるけど、

正直ちょっと苦手かも」

少年はパパに嘘を吐いた。


「そっかー。じゃあ、無理に行かなくてもいいな」

「でもお前それ、好きな子とかいたらいいとこ見せる

チャンスだから、強がれよ? もし嫌いだったとしても」

そう言って、パパは笑う。

「うん、そうする。あ、パパ、水族館とかは? 

イルカのショーとか見たい」

「ああ、なるほど。それもありだな。

出たらママに聞いてみよう」


1週間後。

少年は1人で公園にいた。

先ほどまでは友だちと一緒に遊んでいたが、

その友だちアンソルくんが親に呼ばれて帰ってしまったのだ。

少年もそろそろ帰ろうかと思っていた。

あまり遅くなると、ママが心配して迎えにくるのだ。

立ち上がったとき、少年は砂場の近くのベンチの上に、7色に

輝く虫がいるのを発見した。

見たことがないし名前もわからない。

「突然変異とかっ?」

少年のテンションはウナギ上りだった。

遠目から観察する少年。

足が6本、羽根も見えないが4枚ありそう。

これはおそらく、昆虫だ。

7色に輝いて見えるのは、夕陽のせいだろうか。

そろそろ帰らないとマズイかもしれない。

そんな時間帯にさしかかったが、少年は目が離せない。

帽子でもあれば、とりあえずの捕獲を考えたことだろう。

ママが虫嫌いだから、家に持って帰ってどうするのかという

問題はあるが、とりあえず一度、手に入れたいという願望が

勝っていたのである。

「ちぇ、なんで今日に限って」

少年は舌打ちした。

生まれて初めていつものキャップをかぶっていないことを後悔した。

これ以上近づくと、飛んで逃げられてしまうかもしれない。

「あれ、動いてない…? もしかして」

足を1本ずつ観察してみるも、動いている様子はない。

触覚も動いてないみたいだから、もしかしてすでに死んでる?


「あっ」

少年は油断から、不用意に近づいてしまった。

羽根を広げた昆虫が、飛び立つ。

少年は慌てて咄嗟に両手を広げるが間に合わない。

そのまま高く飛び立ち、少年は夕陽の眩しさで昆虫を見失っ

てしまった。

すぐに羽音も聞こえなくなった。


「ぷっ」

少年の声ではない。小さな吹き出した声が、少年の耳にも

聞こえてきた。昆虫に夢中で気づかなかったが、知らない男性

が少年の後ろに立っていた。

パパより少し年上に見える男性は、シルクハットを取ると、

少年に会釈した。

「失礼。あまりに微笑ましくて、つい――」

少年は知らない人とは話さないように、決してついて行かない

ようにと教えられていた。

けれどこの男性は、もしかして虫が好きなのではないか。

そんな淡い期待が、少年の心に芽吹いていた。


「君は虫が好きなのでしょう?」

男性は優しい声色でそう言った。

「知らない人とは、話しちゃダメって言われてるから」

少年は条件反射でそう答えて、ハッと我に返った。

「そうですか、残念です」

男性はシルクハットをかぶり直す。

「ではここからは私の一人言です。聞くも聞かぬも君の自由」

男性は勿体ぶった後に、話し始める。

「もし君が、虫に興味があるというなら、それはとても素晴ら

しいことです。誰にでも褒められる分野ではないし、もし君が

隠しているなら、それはそれで正解なのかもしれませんけどね」

少年は驚いた。

なぜこの人は、ボクが虫に興味があるのを隠しているのが

わかったのだろうか。

「けれど、個人的には、少し寂しい気持ちですかね」

男性はふと気づいたようだ。

自分の身分を明かしていないということに。

「あ、私はこう見えて、近くの小学校で先生をしています」

少年にとってそれは、どうでもいい情報だった。それよりも、

「ぼくが虫が好きで、それを隠しているように、見えたの?」

男性は優しく微笑んだ。

種明かしをしてくれるようだ。


「君は虫を見つけたとき、何度か周囲を確認していました。

公園の入口にいた私は、君からは死角になっていて見えなかった

かもしれませんが、私からは見えていましたよ」

「隠しているかはともかく、周りの目を気にしているように

見えたのです。だからもしかしたらと思った、と」

男性はこれで伝わりますかと微笑んでいた。


「ああ、なるほど」

少年は納得した。次からは、そういう所にも

気をつけないとと思った。

男性は少年と会話できたのが嬉しかったのか、突然、少年に

わけのわからない話を語り始める。

「君くらいの年の子が、道化師ぴえろになる必要はないし、

そうならない世界を作るのが、私の昔からの夢なのです」

男性は悦に浸っているのか、少年の表情が曇ったのに

気づかず語り続けるのだった。

「好きなものを好きでいられる世界。好きと言える世界。

好きなものを追い求められる世界。素敵だとは思いませんか?」

少年は男性のその問いには応えずに、気になった所でを聞き返した。

道化師ぴえろ? サーカス団とかの道化師ぴえろ?」

「そうです。少し、わかりづらかったですかね」

男性はどう伝えたものだか、しばし考える。

道化師ぴえろはプロがドジを演じているのです。たとえばサーカス団で、

すごい技もをできる人が100人いたとしても、見せるのは

数人でいいんです」

「そうしないと、観客は飽きてしまうでしょう?」

そういうものなのだろうか。

で、なぜぼくは道化師ぴえろと言われたのだろうか。

もしかして、虫を捕まえられなかったところが、

間抜けに見えたのだろうか。

男性は少年の表情を見て話し始める。


「成功させるより、安全に失敗して笑わせる方が難しいんですよ」

「実は道化師ぴえろを演じているのは、サーカス団で一番の実力者だったりします。

先ほどの様子が道化師ぴえろに見えたわけではなく、虫嫌いを演じているように

見えたのです。わかりづらくて申し訳ない。これでは先生失格ですね」

男性は苦笑した。


「さて、そろそろ行きますね」

「君との時間は、私にとっては有意義のものでした。私は先ほども

言いました通り、小学校の先生をしています。もし、また出会えた

なら、そのときにゆっくりとお話しさせて下さい」

「そのときは、お互いの名前を明かすとしましょう」


「もちろん二度と会わない可能性もありますので、

私としては少々名残惜しいですけどね。虫嫌いな道化師ぴえろさん。

君の未来が明るく照らされることを、私は陰ながら祈っています」

男性は背中を見せて立ち去ろうとした。

名残惜しそうに手を振りながら。


『虫嫌いを演じなくてもいい』


その言葉は少年の小さな胸に、何度も響いては消えた。

少年の中に、最後に小さな光が灯された気がした。

言った方がいいのではないだろうか。

もしも二度と、会わない可能性の方が高いのなら。


「ぼくが好きなのは、虫じゃなくて昆虫だよ」

少年はぽつりと告げた。

少年は同年代の子に比べて、賢かった。

その声は小さく、聞こえるか聞こえないかのギリギリを攻めた

声色だった。

男性は背中のまま、そっと足を止める。

「そうですか。虫嫌いな道化師ぴえろではなくて、

ファーブル少年の方が良さそうですね」

男性は背中のまま、嬉しそうにそう言った。

「ファーブル少年?」

「ジャン・アンリ・ファーブル。通称ファーブル昆虫記」

「ファーブルさんが書かれた昆虫記がありまして。少々難解ではありますが、

それはそれは素敵な本なのです。昆虫などの生態について観察したり。おそらく君が

通う小学校にもあると思うので、興味があったらぜひ手に取ってみて下さい」

『ファーブル』

少年はその名前を、声にならない声で呟いた。

その響きはなぜか、すっと少年の胸に落ちた。


「そうだ。いいことを教えて頂けたお礼に、こちらからも1つ」

男性はゆっくりと公園の出口に向けて歩き始めていた。


けれど少年に確かに届く声で、他に誰もいない公園で告げる。

「ファーブル少年は、虫嫌いな人が多いと思われているようですが、

地球で最も人に嫌われている生き物が何か知っていますか?」

少年はふと考えてみた。

けれど少年が答えを出す前に、男性は告げる。


「人が最も嫌うのは、それもまた人なのです。自分だったり

他者だったり。けれど自分とは一生付き合っていかなければ

ならないから、嫌いにはなりきれない。他者も縁が切れなかったり、

他の人の目もあるから、言えなかったりする。嫌いの度合いも

人それぞれ。けれど数だけで言うなら、それは揺らぎません」


「ぼくは、パパもママも、友だちも大好きだよ」

少年の無邪気な声が聞こえてきた。

男性はふと振り返って、少年を見た。

それは真っすぐで、純粋で、年相応の瞳だった。

「それはとても、素敵なことです。そうだ。ファーブル少年、

もしよろしければ私にも、何かニックネームをつけて頂けませんか?」

男性はふと興味を持った。

この少年なら自分に、どんな名を授けるのだろうと。


少年はしばし考える。それは真剣な表情で。

「そんなに真剣に――」

男性がそう言おうとしたときだ。少年は一際大きな声で、

「シルクハット探偵」

そう言った。


「こら、何してるの。暗くなるまでには帰ってきなさいって

言ってるでしょ!」

公園の入口から、少年のママの声が聞こえてくる。


「あ、ママ。ごめんなさい」

少年はママの方に駆けていく。

心配したじゃないの。全く。ん? あの人は?」

ママが男性の方をちらりと見る。


「小学校の先生なんだって。色んなことを知ってるんだよ」

「あなたは先に行ってなさい。すぐに追いつくから」

「はーい」

ママは男性の方に近づき、

「すみません。うちの子が――。あの、構って頂いたようで」

男性はシルクハットを取って微笑む。

「いえいえ、遊んで頂いたのは、私の方かもしれません」

「あの、小学校の先生をされてるんですか?」

「ええ、隣町の小学校で、社会などを教えています」

「あの、1つお伺いしても宜しいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。何でしょう?」

「うちの子が先日、何かに悩んでいるようでして、まぁ、今は

落ち着いたようなんですけど。聞いても話したがらない感じ

で、その、どうするのが良かったのかなぁって」


「もちろん、無理に聞き出したりはしなかったんですけど」

「なるほど、なるほど」

小学校の先生だという男性は、ハッキリと告げた。

「大人と同じだと思いますよ」

「大人と、同じ……ですか?」

「ええ、大人だって、自分の大切な人だから理解して欲しいこと、

伝えたいこともあれば、大切な人だからこそ、言えないこと、

知られたくないこともあるでしょう?」

「それはまぁ、そうですけど」

「子どもっていうのは感覚的に、大人よりそういうところに敏感で、

無意識に選んでいたりするものなんですよ」

「あの少年が何で悩んでいたのかは私にはわかりませんが、きっと

あなたのことを大切に思っているからこそ、話したくなかったことなのでは

ないでしょうか」

「私が大切だからこそ、言いたくなかったこと……?」


「ええ、お力になれずすみません」

「けれど、先ほどあの少年とお話しさせて頂いたときも、しっかりと

されているように感じました。きっと、親御さんの影響なんだろうなぁと

思っていたので、こうしてお会いできて、嬉しく思っています」

「いえいえ、私なんて、そんな――」

「ほら、早く行ってあげて下さい。少年が待ってますよ」

公園の入口で、少年は壁に寄りかかっていた。

「あ、はい。ありがとうございました。何かその、

少しすっきりしました」

「そうですか。それは何よりです」


お互いに軽く会釈して、2人は分かれた。

男性は2人の後ろ姿を見送りながら、先ほど少年に授けられた

名前について、思いを巡らす。

「シルクハット探偵か」

全く、どこで見抜かれたのか。

本当に子どもというのは、面白い。


男性が少年の年の頃になりたかった職業は探偵だった。

そしてこのシルクハットも、男性のお気に入りだったのだ。

家に数々のコレクションがあるこの男性は、ことあるごとに、

妻にそのことを叱られていた。

「好きなものが2つ合わさると、年甲斐もなく少しワクワク

するものですね」

さて、と。

誰もいなくなった公園から、

男性も歩き出す。

妻に今日のことを、話してみよう。


「あなたねぇ」

男性の妻は、呆れた顔でそう言った。

「本当にあなたは、小学校の教師なの?」

予想もしなかった罵倒ばとうである。

「ふむ? とりあえず話を聞くとしましょう」

男性は落ち着いた様子で、食後のコーヒーを一口含み

ながら話の先を促した。

「あなたがそのシルクハットを貸していたら、その子はその

虫を捕まえられたかもしれないじゃない」

確かに失念していた。けれど、

「馬鹿なことを言わないで下さい。今日のシルクハットは、

私の一番のお気に入りなんですよ」

「確かに私がシルクハットを貸していたら、昆虫を捕まえると

いう成功体験はできたかもしれません。けれどあなたは、

見ず知らずの子どもに、物を貸すというリスクを知らないから

そんなことが言えるのです」


確かにあの少年なら、大事に扱ってくれたかもしれない。

けれどそれは、一般的ではない。

「砂だらけになって返ってきたら、私は三日間寝込んで

しまうかもしれません」

「あなたのシルクハットより、未来明るい少年の成功体験の

方が世界の為になるわよ」

「確かに成功体験は子どもにとって大切なものではありますが、

等しく、失敗体験からも得られることもたくさんあるのです」

「はぁ――」

男性の妻は、それはそれは深い溜め息を吐いた。


「そうだ。明日、図書館に寄って頂けないでしょうか?」

男性は1枚のメモを妻に差し出した。


「何? 借りて来いっての? 別にいいけど、何の本?」

「少し前に流行ったミステリー小説です。図書館だと新しい本は

順番待ちですが、これくらいなら行けることでしょう」

「箇条書きで何冊か並んでいますが、どれか1冊で大丈夫です」

「わかったわよ。できるだけ上のヤツにしてあげるわよ」

「ありがとう。助かります」

男性はふと思いついた。

妻からメモを返して貰うと、サラサラとボールペンで

書き足した。

「何? 追加?」

「もしも、あの少年と再会できたときのことも考えておくことにしましょう」

「もしそうなったときに、あの少年が有意義な時間を過ごせるように、

少し私も昆虫への見聞を広げておこうかと思いまして。これも追加でお願いします」

「何? 聞いたことないんだけど」

「これもマイナーだが素晴らしい本ですよ。あ、あなたも昆虫は苦手でしたね」

「大嫌いよ。あんなもの」



後に彼らは、再会を果たす。


けれどそれらは語られることなく、

あなたの空想の中でだけ、語るとしよう。



[ぐぐぐっと世界観を広げる考察]


*「彼らは、再会を果たす」とは誰のことでしょうか。「♂キャラ」は4人です。

「少年」「アンソルくん」「パパ」「シルクハット探偵」

 多数の組み合わせや「展開」の可能性がありますね。


 2(ペア)の可能性に縛られていませんか。「彼ら」ですよ。

 3人も4人も彼らです。そして「後に」今日明日とは限りません。


 文学における世界観では、雰囲気や状況設定も含まれます。

「再会を果たす」の表現で外したかった「少年」と「パパ」の組み合わせも

「後に」でもう外せません。


*名前が出ない本作、「アンソルくん1人」名前が登場します。

意味があるのか、引っ掛けなのか、意味があるとするなら、どんな可能性があるのでしょう。


*アンソルくんは、少年の幼稚園の一番の友達で昆虫図鑑を持っています。

*「ムカつくから処刑してた」アンソルくん。

ムカついた理由は果たして虫なのでしょうか。

*何かがあって八つ当たりしていた可能性はないですか。

*そもそもどんな声量だったのでしょうか。虫と処刑という過激な言葉に、

少年やみなさんが過敏になってオーバーに受け取っている可能性を

見落としてはいませんか。


「あ? なんだおまえか」も、少し伸ばして ゆっくりおっとりさせたら、

変わってきますよ。アンソルくんの他の台詞がないので、

虫の足をぐ行動だけで、他の描写が一切ありません。


* 少年は賢い。そしてそんな少年が幼稚園で「一番」仲のよいのがアンソルくん。

*賢い子が乱暴な子と仲良くなる。たとえばいじめっ子から守られたとか。

*逆に少年だったら上手く距離を取れる可能性もありますよね。


*先程の再会とは、少年とアンソルくんの再会で、心情的に距離を取ろうとして

いた少年が、アンソルくんを誤解していたと気づいて戻ってくる。

そういう展開の可能性も捨てきれない。


*ママの証言では帰り際にアンソルくんは笑顔で手を振っていたとあります。

ここでパパの発言を思い出しましょう。

パパもパパなりに考えてみた。

少年が自分からケンカを吹っかけるとは思えないが、仲良くして

いる友だちがやんちゃな感じだったから。

「たとえば、ほら、名前なんだっけ。アイツが仲良くしてる」

「アンソルくん」


*「俺もそうだけど、ママが心配してたぞ。1番な」

ここではパパは1番と言っています。全く使わないわけではないようです。

なぜここは「ママの方が心配してたぞ」じゃないんでしょうか。

何かが理由があるかもしれないし、ないかもしれない。


*タイトルの虫嫌いな少年は(少年、アンソルくん)どちらを指すのでしょうか。

虫嫌いを演じた少年、虫嫌いを演じているアンソルくん。


*第3の虫嫌いな少年が実は隠れていた。

*パパがアンソルくんを他の誰かと勘違いしている説を見落としていますよね。

*ママは当然、少年とアンソルくんが一番仲が良いのを知っています。


*けれどパパは違うかもしれません。

*たまたま別の友達が少年の家に遊びにきていたときに、

パパは遠目にその友達を目撃しました。

*パパも忙しかったところで、家に呼ぶくらいだから仲がいいんだろう。

仲がいいならまた来るだろうと挨拶を省略してしまいました。

*その後パパは発熱のある風邪を引き、少年やママに移らないように

1人で過ごします。引いていなければ誤解することもなかったのですが、

そのとき名前を聞けない状況にあったから気づいたら忘れていた。

*そして、その後少年やママの口からアンソルくんの話題が挙がる。

「ああ、あの子ね。やんちゃっぽい子だったけど一番仲がいいんだなぁ」

「一番の仲良しのアンソルくんにもちゃんと挨拶したいなぁ」

*そしてタイトル回収。その友達が虫嫌いだったら?

最後に持ってくるあたり、正解の可能性もあれば、誘導の可能性も

あります。


「あなたは集団の虫を見落としていましたか?」


あんなに、最後に何かあると「こんなにハードル上げたら鳥肌なんか

立たないだろう」と、思う人もいるくらいに挙げられていたというのに。


*狭い世界観を限界まで広げるのがコンセプト。


*説明することで広がる世界観もあれば、書かないことや隠すことで

広がる世界観があることを楽しんで頂けたと思います。


*皆さんの目が節穴で、その穴の中には、たくさんの虫(無視)が潜んでいた

のかもしれません。


*もしくは最後に何かあるらしいと誘導されて、難しい表現がないから

油断を誘われた。意識をずらされたと思っている方もいるかも

しれません。


*これから何か情報を出すことはしません。

*続きが描かれることはありません。


*なぜならそれが、最後の最後で限界まで広がった世界観と可能性を、

この世界を狭める最も醜い、無粋な行為だからです。


*ちなみに「ヒューマンドラマ」になっているのは、

作品内のことだけではありません。


*今、最後まで辿り着いたそこのあなたも、

この世界観の1つとして取り込まれしまったのです。


あなたのおかげで、また世界観が1つ広まってしまいましたね。

この作品は狭いご都合主義の狭い世界観から限界まで世界観を広げるのが

コンセプトです。


お付き合い頂きありがとうございました。


[ヒューマンドラマ]

*人間味、人間らしさを主題として描いたドラマを意味する語。

*映画やテレビのドキュメンタリーなどでジャンルの一つとして扱われる。



*いかがだったでしょうか。


*今後もゆっくりと創作活動を楽しんで行きたいと思うので、

良かったら応援などよろしくお願いします。


*知り合い少ないので、良かったら仲良くして下さい。


37Gii(さなぎー)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ