七月八日(土) 午後十時 図書館
「あのー、山本先輩? 先輩ってこんなことをする人でしたっけ?」
なにから話を聞こうかと考えていると花梨が手をあげ、おずおずと質問を放った。
「ああ君は数日前にオカ研の部室に来ていた子か。俺だって…本来はこんなことする人間じゃないさ」
その顔はまるで苦虫をかみつぶしたかのように歪んでいた。…なにか嫌なことでもあったんだろうな。
「確かに。先輩って『趣味がジジ臭い』とか『服装が残念』とか『学校の椅子よりも縁側で座ってる方が似合う』とか言われることはあっても、こんな、不良みたいに夜の図書館に忍び込むことなんてしそうにないしな」
「……おまえ、結構俺が気にしていることをずけずけと言い放ったな」
「まぁまぁ…、駿英も悪気はないんですよ。それでいったいどうしてここに?」
「あぁ、そうだったな……目的は、とある猟奇的サツジンキの捜索さ」
先輩の口から出てきた言葉を理解するのに少し時間がかかる。サツジンキ……って殺人鬼のこと!?
「「「――――ええぇっ!!??」」」
とんでもない事実に気付いたとき、ぼくたちは声を重ねて驚いた。慌てて山本先輩が声のボリュームを下げろってジェスチャーをしてくる。周りに住宅街が少ない場所とはいえ、夜の図書館に人影を見つけたら誰だって怪しむだろう。
「まぁ…といっても実際どうなのかは俺は知らない。そんな大したことじゃないはずだ。どうやら最近この図書館で、夜になると怪しげな人物が歩いているっていう目撃情報があるんだ。お前たちもニュースで見たんじゃないか? すぐ近くの橋を渡った先の自然公園。そこで身元不明の死体が見つかったってヤツ。俺とあいつはここで目撃されている人影がなにかを知っているんじゃないかと考えたんだ。それで今日二人で探索をするはずだったんだが、どこぞの名家のお嬢さんが午後三時から四時間、図書館で調べものをしたいと言ってきてな。条件を付けて、そいつに交渉して特別に夜の図書館に潜入させてもらったんだ」
図書館に潜入ってなんだかアクション映画みたいだけど実際にそんなことが起こるなんて。でも潜入するなら、もっと遅い時間の方がよかったんじゃ?
「今日はあくまでも下見の予定だったんだ。対策もなしにいきなり出会ったら間違いなくやられるからな。まあ、そういうときに限って出てくるもんだ。あいつは俺にここでキミたちの荷物を守るように言ってどっか行ったよ。だから、本当は周囲に人がいて明るい時間に調査したかったんだけどな」
なるほどそういうことだったのか。でもなんだか先輩の顔色が悪いような……?
「先輩、なんか歯切れが悪い言い方ですね」
花梨が言う。すると先輩は困った顔をしてこう言った。
「そりゃあ、俺はやりたくなかったからな。こんなこと」
「電話で話してた人に付き合ってるんですか?」
「あー、そんなに嫌なのにやってるってことは電話の話し相手は先輩の彼女か」
駿英が先輩を茶化すように言う。その言葉に先輩は「ハッ!」とため息をつき首を横に振る。数学の先生に、いきなり指されて黒板の問題を解いているときの駿英くらい嫌そうな顔をしている。
「……あの化け物が彼女だと? そんなの俺の命が何個あっても足りねーよ」
「でもたしかに、電話してるときの先輩の顔なんか変だったもんな」
「そんなにか? まあ、あいつに付き合わされてからここ数日は寝不足なんだ。……でもな、それはお前たちのせいでもあるんだぜ?」
「えー!? オレたちかよ!」
「…どういうことですか?」
「いや、まあ…あの文章を解いたらわかる…かな?」
どうやらあまり深く話しちゃいけないことだったらしい。先輩はしどろもどろにそう答えた。なおもぼくたちは先輩にどういう意味なのかしつこく聞いた。
「しゃーねーなー。口を滑らせた俺が悪いし、ここで大事なことを一つ教えてやるよ。さっき俺と電話をしていた奴はな、今回の怪文書について全部知っているぜ。なんなら今回のこの騒動の首謀者だ」
「え!? その人この建物にいるんですよね」
急いで図書館のなかを探し回ればみつかるんじゃないかな。怪文書を作った人がすぐ近くにいる。こんなことを聞いてテンションが上がらないはずがない。
気が付けば、ここにさっきまで流れていた張り詰めた空気はとっくのとうに消え去っていて、先輩と話をする平和な時間を過ごしていた。
「いや、さっきも言ったがアイツはお前たちがここにいることを知っていた。そして電話で話したとき直接会うことはしないとも言っていた。どうしてかはわからねーけど、俺はアイツの言うことに従うだけだ。これについて言うことはない。ただ、俺から言えることは、その暗号文には制限時間があると言うことだけだ」
「制限時間?」
「やっぱり、あの部分か――」
駿英が「そんなのあったか?」って顔でこっちを見てくる。だけどぼくには心当たりがある。
『たった一つの非対称な日』、その部分を思い出す。さっきは日本語で解こうとした。これで解けないとしたら……英語?
「あっ!? そういうことかっ!!」
ひらめいた瞬間嬉しくなって思わず大きな声が出てしまった。図書館の周りを歩いている人が誰もいなくてほんと良かった……。
「金曜日になにかあるんですよね? 山本先輩」
彼に向かってそう言うと、山本先輩が少しだけ柔らかな笑みを浮かべた。
「一体どういうことなの?」
花梨が教えて欲しそうにしている。
「暗号文で時間を表している可能性があるのは『たった一つの非対称な日』、この部分になる。それで、一週間の曜日を英語に変換して頭文字を考えるんだ」
「えーっと、月曜日から、M・T・W・T・F・S・S…ね」
「うん。そのうち、TとSは二つずつ存在するから『たった一つ』っていう条件から外れる。そして、残された三つのアルファベットのうち線対称でも点対称でもない『非対称』な日はF、つまり金曜日を指しているんだ」
「なるほど! 確かにそれだったら辻褄が合うわ。すごいね椿くん!」
「ああそうだ、見事だぜ…あとはその日に裏山に行ってみれば何か得られるものがあるんじゃないか? 昨日こなかったときはハラハラしたぜ」
やっとの思いで、怪文のうち一か所の謎を解くことが出来た。答えを知っているかんじがする先輩からヒントをもらったけど…それでも自分の力で解けたことに胸からこみあげてくるものがある。
ぼくたちがはしゃいでいる横で駿英だけは静かだった。いや、静かというよりは…まさか。
「なあ、駿英。もしかして、お前……」
「その通りだぜつばき。…線対称と点対称ってなんだっけ?」
ぼくは駿英の肩をポンと叩き、明日も明後日も絶っ対に勉強しろよという笑顔を向けた。