七月八日(土) 午後九時半 図書館
「二人とも、わたし、ここには…あんまりいたくないかも」
震える声で花梨が言う。彼女はこのうす暗い通路でなにを感じ取ったのだろう。
ぼくたちもできるならこんな異臭のする場所を歩きたくはないけど、上に出ると見つかってしまう危険性がある。しばらくはこの地下通路でおとなしくしていたほうがいいだろう。外に続く出口はないけど、通路は長く広い。何が起こっても対応する時間は、ある。
そうだ、先輩はどうしたのだろうか。友人を待っていると言い、ぼくたちの荷物を見守ってくれていたはずだけど。さすがに帰ったかな。でも、もしかしたら先輩もいるかもしれない。ぼくは、駿英を探しに行く際に先輩に荷物を見てもらうようお願いしたことを二人に話した。
「いやー、人がいい先輩だとしても、閉館までいてくれてるってことはないでしょ。それにつばきの話だと先輩は友達を待っていたんだろ。その友達の用事が終わったら、そっちを優先していなくなってても仕方ないんじゃないか?」
「むずかしいね……。わたしだったら、友達の方を優先しちゃうかも」
「まあ、荷物がなくなってても管理室か受付に忘れ物として移動されてるかな。職員が少ないといっても見回りをする人はいるだろうしね」
そうだ。人は少なかったが、誰もいなかったわけでもない。誰かしら荷物に気付いて職員に言うはずだ。まあ、持ち主であるぼくたちはそろいもそろってあの部屋で寝ていたわけなんだけど。……あれ? ぼくはあることに気づいた。
「どうして、ぼくたちがいた部屋には鍵がかかっていたんだ……」
「どうしてって…。そりゃあ、だれかが俺たちを閉じ込めて…あれ? なんのために|閉じ込めたんだ?」
「確かに……鍵を閉めるときって中を確認するものだよね? 仮にだよ…。私たちがいるのを確認してから鍵をかけたとしたら……」
「そしてこの建物内にいるヤツがカギを持っているとしたら……」
「ソイツはオレたちを閉じ込めたうえで図書館で何をしていたんだ」
しばらくの沈黙。もし仮に、職員の中に鍵をかけた人物がいるとしたら、きっとそいつが犯人だろう。ぼくたちを夜の図書館に閉じ込めて何がしたかったんだろう。そんなことをそれぞれが想像していたところで突然、後ろからガタンと音が聞こえてきた。それはぼくたちが下りてきた場所の扉が開いた音だった。……ってことはぼくらを閉じ込めた『誰か』はあの部屋にぼくたちがいないことを知って、探しに来たってことで……ヤバいっ!!
「あの扉から逃げよう!」
ぼくたちは人の気配がする扉とは反対にある扉に急ぐ。そのまま先頭の駿英がはしごを登り扉を開け、ぼくと花梨も上へと続く。登る瞬間に、むこうのはしごには、人のシルエットらしきものが見えたけど、二から三十メートル離れている暗闇の中だったから、はっきりとは確認できなかった。でもあとで思い出そうとしても、なんだか違和感がある。あの背丈だと、小柄で子どもだったんじゃないかな? そんな人がいるんだったら目立ちそうなんだけどなぁ……。
ぼくたちが扉から上がるとそこは図書館の出入口に近い場所だった。いますぐにでもこの建物を出たかったけど荷物が上に置いてあるかもしれない。他に人がいないことを確認して、音をださないように階段を登りきり、荷物が置いてあるはずのテラスに出た。一度立ち止まり、後ろからは何も来ないことを確認してふぅっと息をつく。
すると、今度はテラスからがさごそとなにかが動くような物音が聞こえてきた。
(他にも誰かいたのかっ……!?)
ぼくたちは音の下方向を見たまま固まって動けなかった。だけど、なにも近づいてこなかったから恐る恐る、音がした方向へ足を運ぶ。テラス南側には腰の高さまでの花壇が置かれている。マリーゴールドやペチュニアといった色とりどりの花が咲いているのだが、花壇と壁のすき間で何かがモゾモゾと動いているように見えた。上からのぞき込むと、そこには……。
「……何してるんですか、先輩?」
花梨が不思議そうに声をかけると、丸く抱え込んだ体はビクッと反応した。そしてゆっくりと顔を後ろに回してこちらを見てくる。ぼくたちが誰なのかわかったらようで安心したような表情を見せた後、
「びっくりさせないでくれよ……。心臓が縮みあがったぞマジで」
と言った。先輩はぼくがいなくなってからもずっと図書館にいたのだろうか。続けて彼はこう言った。
「お前らこそどうしてここにいるんだ。もう閉館時間は過ぎているはずだぞ」
「それがその―――。」
ぼくたちは図書館の一室に閉じ込められたこと、見回りをしている人物がいること、地下に通路が存在して異臭がすることを話した。山本先輩はその話を聞くと少し考えるような仕草をした。何を考えているんだろう……まさか?
「そういえば、先輩は友人と来たんですよね? もしかして今、歩いているのって……」
「いや、まぁ確かにそうなんだが……、足音が聞こえてきたなら違うだろうな。俺の友人じゃない。それに、あいつがお前らの言っている足音をたてて歩く奴だったら、俺がこんな情けない格好で隠れている意味ないじゃないか」
自分の格好が情けないことは自覚していたんだ。
言われてみると確かにそうだ。となると、やっぱりアレは……。
「……………。とにかく、お前たちはもう帰れ。そこの左端に非常口がある。図書館からでられるだろう。幸いまだ午後十時前だ。駅前や商店街は明るい場所が多いだろ。荷物は……お前たちがいたテーブルの上にまとめておいてる」
テラスには一階に続く階段の他に、非常用の外階段がある。たしかに先輩の言うここから帰ることは出来る。でも、このまま帰ってしまえばぼくたちは二度と自分たちの手で真実を知ることができない、そんな気がした。それに、荷物がある場所で隠れてくれてた先輩を一人残しておくのも気が引ける。
「先輩、ぼくたちに何かできることはありませんか?」
「このまま帰ることはできねーよな」
「……わたしからもお願いします」
ぼくらの言葉を聞くと、先輩は信じられないという気持ちと、そう言うことを期待していたという気持ちが交わり、表情が困ったり笑ったり複雑に変化した。そして考え込み、はぁ、と息を吐いてからこう言った。
「じゃあ、出来ることは二つだ。いいかしっかり守ってくれよ。……一つ目だが、俺たちがここにいることを誰にも話さないこと。ここで見たことや起こったことは一切誰にも言うなよ。これは絶対守ってくれ」
「わかりました」
「もちろんです」
「もう一つだが、何かしらの手がかりが欲しい。先月起こった事についてなんだが。……っと、ちょっと待ってくれ」
先輩の携帯電話に着信があった。先輩は周囲を確認した後、ぼくたちから少し距離を取って電話に出た。会話の内容から察するにどうやら一緒に来た友人からのようだけど…一体その人はどんな目的があるのだろうか。
「あー、もしもし。――なるほどな。別にそんな変なことは言ってないぜ。…ああ、わかった、そっちも気をつけろよ」
電話を切った後、こちらを向いてこういった。
「どうやら俺たちを脅かす存在は、この建物からいなくなったようだぜ。せっかく、カッコつけてそれっぽいこと言ったんだけどな。それに……あいつはお前たちがここに来ることもお見通しだったよ」
それだけ言うと、先輩は立ち上がりテラスに設置されている椅子へと腰かけた。お見通しって……ぼくたちのことをどこかで見てたのかな?
「さて、少し話をしようぜ。俺たちがここにいる理由や、あの足音の正体を教えてやるよ」
ぼくたちは先輩に促され、彼の向かいの席に着いた。