七月八日(土) 午後八時 図書館
目を開けるとまず…いや目を開けたのかな。周りを見回しても何の変化もない。闇が一面に広がっている。電気をつけるために、壁や本棚に手を付けて、部屋の中を歩き回ることにした。寝起きのぼんやりとした頭でどうしてこんな状況で寝ていたのかを思い出す。そうだ、あのとき、民俗風習の部屋に入ったとき急に眠気が襲ってきて……そうだ駿英! あいつは無事だろうか。駿英が倒れていたことを思い出すのと同時に、壁を触っていた右手に何かのスイッチが当たる。カチリと押すと部屋の中が明るくなった。
「うっ」
視界が一気に明るくなったから思わず目をつむった。両目が明かりに順応してからもう一度まぶたを開ける。
部屋の中を見渡す。するとそこには駿英がさっきみたときと同じ姿勢で横たわっていた。よかった、呼吸はしているようだ。そしてもう一人、奥の本棚に背中を預けるようにもたれかかっている可憐な少女はすやすやと寝息を立てていた。花梨だ。
……できればこの場には居てほしくなかったけど。ひとまずみんなの安全を確認できたところで、部屋をじっくりと見渡す。クルクルとまかれた大きめのコピー用紙、貸出のシールが貼られていない本たち。部屋の真ん中にはガラス張りの台座に入れられた史料品が、そして、扉がある壁を除いて、所狭しと本が並べられている本棚。どうやらここは先ほど入った部屋の中で間違えがない。
あの睡魔は何だったんだろう。それに、どうして誰も発見してくれなかったんだ?
疑問が次々と浮かんでくる。
とりあえず、駿英を起こしてみるか。そう思い声をかけようとしたそのとき、先に花梨が目を覚ました。
「んっ、うーん。あれ、ここは? つばき君。わたしたちどうしてこんなところにいるの?」
「ごめん、ぼくにもわからない。でもどうやら、図書館の一室に閉じ込められたみたいなんだ」
その言葉を聞いて彼女は自分の置かれた状況をやっと理解したらしい。顔から血の気が引いていくのがよくわかった。
「ど、どうしよう。ここから出られないの!? そんなの困るよっ! 早く帰らないと……」
彼女の言う通りだ。ぼくたちはこの図書館の小さな空間に閉じ込められてしまったのだ。窓もなく扉の隙間から見える外は薄暗くなにもわからない。唯一の出口である、この木製の扉はドアノブを回そうとしてもわずかに動くだけだ。これはもうお手上げ状態といってもいいだろう。
「ひとまず、駿英を起こそうか」
「そ、そうだね」
提案に対して少しだけ安心したような表情を見せる花梨。ぼくももちろん怖いが、この場で怖がるわけにはいかない。
「駿英起きろ!」
肩を揺さぶると彼はゆっくりと目を開いた。そして、現状を理解しようと辺りを見渡す。
「ここは……おれ、地図を取りにきたんだけど…あれ、思い出せねぇ」
「お前、郷土コーナーで寝てたんだよ。そのときの記憶はないか?」
「ああ……ないな。それじゃあお前たちはどうしてここに?」
「いつまでも帰ってこないおまえを探しに来たんだ。トイレにもいなくて最後にここを調べに来たら横たわってるところを見つけて、ぼくも睡魔に……」
「わたしも、そんな感じかな」
「そんなこといったい誰がやったんだ?」
「それは……わからない。とりあえず、今はここから出る方法を考えよう」
「ああ、そうだな」
三人の意見が一致したところで、次はここを出る方法を考えてみる。
この部屋は外開きの木製の扉で外と区切られている。内側からは鍵がかけられていて開くことができないようになっている。試しにドアノブを捻ったり押したりしてみたがびくともしない。扉の上下にはそれぞれ三十センチメートルほどの隙間があるけど、腕を伸ばしてもさすがに外側のドアノブには届きそうもない。下の隙間から外側を覗いてみたが、非常口があることを示す緑色の看板が不気味に光っているだけだ。首が疲れる。あまり長く見ていられない。どうやってここから出よう。外にいる人に連絡を取ってみる、いや、そもそも外に人はいるのか、誰が閉じ込めたのか。何が目的なのか、それがわからないからむやみに動けない。
ふと花梨の方を見てみると本棚の本を抜き出して重ねていた。
「これで外がどういう状況になってるのかよくわかると思うの。高いところから覗いた方がなにか見つけられるかもしれないよ」
なるほど、良いアイデアだ。これなら、外を安全に確認することもできるかもしれない。花梨と同じように適当な本を本棚から抜き出し積み上げていく。するとあっという間にひざの高さまで積み上げられた二つの足場が完成した。それを横で見ていた駿英はちょっとおもしろそうだなという顔を浮かべていた。
「それじゃあ、オレが登るけどいいよな?」
目をキラキラと輝かせながらぼくたちに聞いてくる。こいつのこういうポジティブなところを見習いたいな。靴を脱いだ駿英がふらつくこともなく本の上に立つ。花梨は足元の本の土台が倒れないように、両手でおさえてバランスをとっている。
「どうだ? 何か見えるか?」
本の上に立った駿英に声をかける。背伸びをしたり、首を振ったりして出来るだけ情報を集めようと必死だ。
しばらくして、首を左右に振りながら答えた。
「うーん……、何も見えない。ただの暗闇だ。もうすこしっ――」
そう言うやいなや駿英はあわてて本から飛び降りた。でも、猫が高いところから降りるように音を立てず。そしてぼくたちの横を通り抜けて、電気を消した。
「駿英……? どうしたの?」
ぼくと花梨は駿英の行動が理解できなくて少しの間、駿英がいる方向をみてkれからの言葉を待った。でも、駿英は何も言わなかった。花梨の言葉にしばらく沈黙していたけど、ようやく絞り出すような声が聞こえてきた。
「今、誰かが二階に上がっていった……」
「もしかしたら、それ、警備員さんじゃないの? だったら大きな声を上げて助けを……」
「確かに警備員の可能性もある。でもこの図書館を使っていたときに、警備員が使うような部屋、あったか?」
「!!」
ぼくはこの図書館を普段からよく使う。二人よりもきっとこの建物についても詳しいだろう。だけど……言うべきなのだろうか。それとも不安を与えないために言わないべきなのだろうか。この図書館は夜になると無人で管理されているということを。どうする…?
そのときぼくの頭は、考えられる中で最悪な答えをはじき出した。
(殺人鬼――――。…………なのか?)
家族との何気ない会話の中で聞いたその言葉は、閉じ込められた暗闇の空間でおこる悲劇をいやでも連想させる。