敬礼をする生き物
軍人とは何か? 軍人とは、敬礼をする生き物のことだ。
なぜ敬礼をするかといえば、軍人には上下関係があるからだ。
敬礼とは何か? 敬意を表現する姿勢と動作のことだ。
もとより、軍人の言行に嘘があるべきではないのだから、その敬意は衷心に発するものであるべきだ。
すなわち、心に浮かんだ敬意が身体に表れた表情が敬礼なのだ。
敬意とは、何に対するものか? もちろん、権威に対するものだ。
では、権威とは何か?
すなわち、吾人は、何に向かって敬礼をするのか? それこそが男子の人生の最大の論点だ。
個体としての私利私欲を超えた、愛するものの幸せを守らんとする意志。
古来、人格の権威と謳われたものはそれであって、それ以外ではない。
つまり、愛こそが権威であって、愛でなければ権威ではない。
それが、軍人を軍人たらしめた軍人の信念だ。
自分の心を見なさい。自分の心の弱さを見なさい。
自分が何に怯えているのか、怯えてどんな嘘にすがろうとしているのか。
そうすれば、他者の心の弱さはすべて見える。
誰がなぜ、何をどのように認知したがっているのか。世界のすべての嘘がわかる。
そして、自分の弱さに一歩ずつ勝ちなさい。
継続された努力は常に勝利を約束する。
古来からの優れた軍人は一人残らず皆、その同じ道を歩んだのだ。
誠実に生きたことによって、経済的に損をする分岐点を見すえなさい。
そしてその深い恐怖を味わいなさい。
ほとんどの人が敗北して逃げたそこに、あなただけは立ち向かって勝利しなさい。
正義を愛したことによって、殺される分岐点を見すえなさい。
公正世界仮説の願望を取り除いた先にある、世界の現実をどんなに孤独であっても見すえなさい。
世界は理不尽であって、義に報いはない。命は奪われ、名誉もまた奪われる。
何も残らない。そこに価値を信じるべきことを知りなさい。
世の中には、お金によって動かされる人々がいる。
世の中には、自分や家族を殺すと脅されれば動くような人々がいる。
本当の軍人が集まった時には、そんな人々は一人として含まれない。
超一流の男達と女達だけが、平穏の地平で宴を楽しむ。
愚かであるがゆえに邪悪な人々がいない空間で、深い信頼と深い愛情とを楽しむ。
武力は道具であり、それ自体に権威は伴わない。
武力で勝利して大義で敗北すれば、その勝利に意味はありえない。
ただそれだけのことを理解できるのは、人類の中のわずか数粒だけだ。
武力で敗北するとしても義において勝利しなさい。
義においてさえ勝利すれば、武力で勝とうが負けようが、真の勝敗に影響はない。
尊敬したいと思う人間だけを尊敬しなさい。
仕えるに値すると思う人間だけに仕えなさい。
愛せる人間だけを愛しなさい。
自分の頭で考えて自分の中に価値観を持っていなさい。
そして、他者を敬うことを知るべきだ。人は、敬礼をする生き物であるべきだ。
そして、敬礼されるに値する人間にもなりなさい。
平和な時代には、軍人は不用だろうか?
敬礼が不用な平和とは、いかなるものだろうか?
世には聖人君子があふれ、共感と人情による慈悲は世俗の末端まで潤しているだろうか?
そうではない。金銭と法律という武力こそ信仰されて、人情は世に枯れ果てている。
誇り高い、超然とした人物など、失われて久しい。
平和など来ない。世界は常に戦争をしつづけている。
そして戦況は、より過酷になりつづけている。
悪魔に魂を売った悪魔達だけが、その戦場を平和と呼び、軍人を順に殺していくのだ。
これからの世の中に生まれて生きていくことは、だから大変だ。
良い魂に生まれついた者は、納得のいく生き方をまっとうすべきだ。
だから、嘘ばかりの時代でもあえて、真実を呟くべきだろう。
偽らざる言葉によって、次代の指導者達に衷心からの敬礼をするのだ。