第1話 春風
とある魔法の王国。
秋。
ブロンドが美しい少女は王立魔法音楽院に入学しました。
王国一難しいといわれる試験を突破したのです。
魔法が生活に溶け込んだ不思議な世界。人々は音楽に想いをこめて、魔法を歌にします。
激しい輪舞曲を奏でれば炎が立ちのぼり、颯爽とした行進曲を歌えば風が流れます。
魔法音楽院は数多の楽譜が保存され、卒業したものは魔法師の国家資格を得ることができます。
入学早々、クラスの自己紹介で少女は言いました。
「私には夢があるの! 世界一の魔法師になって、光の円舞曲を探し出すの!
昔々、あるところに魔法の楽譜がありました。光の円舞曲と名付けられたそれは、摩訶不思議な音符が並ぶ奇想天外な譜面でした。弾いた者の前には祝福の天使が現れて、どんな願いごとでも一つだけ叶えてくれるというのです。
「私は太陽! 私の願いはね……」
『舞台 妖精と円舞曲 第一曲 妖精より』
1
春。
早朝の埼玉県狭山市。入間川の河川敷を歩く高崎恋音は聖愛学園高校二年生の男子。
気の抜けた顔に春の冷たい風を浴びる。
「ぐす……ん。あぁ、今日はカラフルだな」
土手の上の桜は、風に煽られて宙を舞っている。道行く人の声が、何層にも重なって音の粒になる。音は自由。空気中を漂って、世界を鮮やかに変えていく。
道端に咲く花の名前を、恋音は知らない。黄色。青色。赤色。雑草に混ざって生きている。
恋音はブレザーの制服を着用し、ハルタのローファーを履いている。スクールバッグには、友達と一緒に買った「妖精」の缶バッジをつけている。
「妖精と円舞曲」
劇団シリウスによる有名な歌劇。音楽魔法が隆盛する世界で、天才的歌唱力を持つ歌姫「妖精」と、王位継承権を持つ皇子が出会い、魔法音楽院を舞台に、弾けばどんな願いでも叶うという伝説の楽譜「光の円舞曲」を巡って出会いと冒険を繰り広げるファンタジー歌劇。
主人公「妖精」はキャラクターグッズになっており、可愛らしい金色の髪が特徴的。
「恋音~。なにしてんの~! ぼっさっとして」
「いや……、綺麗だなって思って」
「はぁ? なに言ってんの、あんた」
「いや……、うん。この子も生きてるんだなって思ってさ」
「……あんたね。感受性豊かも大概にしなさいよ! ――バシンッ」
「いッ……、蹴るな。蹴るな。痛いから」
登校の途中。通学路の河川敷。恋音は歩を止める。土の上に咲いた自然の花。花びらが何層にも重なった黄色い花をぼんやりと見つめる。
黒い髪。黒い眼鏡。長い前髪が瞳を少し隠す。憂いのある横顔に、隣を歩いてきた桃井有希乃はどきんとする。感情をぶつけるように、恋音を勢いよく蹴る。
「恋~音! 感受性を揺さぶるのもいいけど、学校遅れるよ?」
「あぁ……、うん」
「……ッ! あんた! 聞いてんの? 私の話し!」
「ん~、聞いてるぉ~」
「……ッ! ん~こっの~っ! ぼんやり男子~っ! これでもくらえ~!」
「あ……、おい――っ!」
――ドタァァ――。
同じ制服。違うのはリボンとスカート。丈は校則より少し短い。有希乃は勢いよく恋音を押し倒す。背後から襲われた恋音は反応できず、二人は重なりあって地面に倒れる。
有希乃は聖愛学園高校二年生。恋音の幼なじみ。小さいころから恋音の隣にずっといた。恋音は昔からこの調子。時々、ぼんやりと空を眺めて、「雲は自由でいいなぁ」と気の抜けた声で言ったり、河川敷のベンチに座って、ゆったりと川の流れに身を任せていたりする、のんびりした男子。
活発で男勝り。運動が得意でじっとしているのが苦手。そんな有希乃は自分と違う恋音の空気に戸惑いつつも、一緒にいるのが好きだった。
自分に足りない部分を埋めてくれる存在の尊さに、子供の無意識ながらに気づいていた。
「おら~っ、必殺ヒールホールド! ふっふっふ~! 恋音の足は私の支配下に落ちたのだ~!」
「あぐ……、お、おい! 離せ! バカ! 有希乃!」
「ふふふ~! やだもーん! 離さないも~ん! 逃げたかったら自分で逃げろ! バカ恋音!」
「ぐ……、こ、この……、うぅ……、くそ。この馬鹿力女め」
「えへへ~! 男なのにひ弱な恋音がいけないんだも~ん!」
「う、うるさい。……みんな見てるからやめろよ」
「いいじゃん。別に。見られたって。ただのプロレスごっこでしょ。昔からよくやったじゃん」
有希乃は馬乗りになり、恋音の右足を締めあげる。足首固めだ。恋音は苦悶の顔をする。有希乃は楽しそうに笑っている。まるで小さな少女のように、イタズラ心満載の顔だ。
聖愛学園高校はすぐこの先。歩いて十分。河川敷に面している。生徒数は一二〇〇名。大きな高校だ。駅から歩いて二十分ほど。バスも出ているが混雑を嫌う生徒は、河川敷を歩いて学校へ通う。
一人、また一人、と土手の上で絡まり合う恋音と有希乃へ視線を送る。冷めた目。呆れた目。微笑ましく見つめる目……、その瞳はそれぞれだが、恋音はとても恥ずかしい気持ちになる。
「いいからもうやめ……、ろよ。ぐぎぎぃ……、い、痛いし」
「待ったなしだも~ん! 恋音がぼさっとしてるからいけないんっだぁ~っ」
「そ、それとこれとは関係ないだろ」
「あはは~っ、恋音は私のものなんだから~!」
桃井有希乃は恋音とこんな風にじゃれあう時間が好きだった。
自分にはない繊細な心を持つ恋音のことがとても気になる。名前も知らない花を見つめて、「きみは寂しそうだな」なんて、かっこつける恋音を憎たらしいと思いつつ、かっこいいと思う。
むかつくけれど、恋音の感性を素敵だと思う。可愛いと思う。だけど素直に認められないから、蹴りとばしたり、襲ったりする。
有希乃は恋音のことが好きだった。
「――この花の名前はね、マリーゴールド。多年草で寒さにも強いから、この河川敷にもよく咲いている」
「……?」
「……」
背後から声がした。透きとおるような甘い声。
じゃれあう二人は振り返る。恋音は眠たそうに。有希乃は少し、険しい顔で。
振り返った先で金髪の少女が輝いていた。
腰までかかる金色の髪。蒼く美しい空のような碧眼。鼻筋がよく通り、すっきりとした輪郭。白く美しい肌にはシミひとつなく、細身で手足が長いスタイルはモデルのよう。儚なげなライトピンクの唇は瑞々しく少し色っぽい。そう……見ただけで美少女とわかる麗しい容姿。
「あたしね、お花結構好きなんだ。きみも好きなの? 高崎恋音くん」
金色の少女は恋音を呼ぶ。
入間川の上昇気流が突風を呼んで、少女の長い髪をかきあげる。乱れた髪は朝の陽射しを受けて、煌びやかに発色する。
まるで太陽のようだ。
光が溢れている。
恋音は思う。光に目を奪われて、遠い異世界に心を連れて行かれる。
隣の有希乃は影を落とす。光は影を呼ぶ。無邪気が嘘のように暗い顔をする。
「ね! お花のこと教えるから、よかったらあたしにギター教えてほしいなぁ。恋音くん」
「……なんで僕の名前……」
「知ってるよ。恋音くん。きみのことはなんでも知ってる。きっときみが知らないことまで、なんでも」
「は、はぁ? あんたね、なに言ってんのよ! 今あたしたちで楽しく遊んでたのに……、急になんなのよ! 大体、自己紹介もなしにいきなり……」
少女と面識はなかった。恋音も、有希乃も、同じ制服を着て、有希乃よりも少しスカート丈が短い、この金髪碧眼の少女と話したことはなかった。
「ね! 知ってる? 恋音くん。マリーゴールドの花言葉」
「あ、あんた私の話を聞きなさいよ! なにを一方的に話してるのよ!」
「知らないです……、けど」
「えへへ、マリーゴールドの花言葉はね……」
――絶望。
少女はにっと笑う。まるで芝居のように完璧な声と、表情で、問いかけるように言う。
有希乃は圧倒される。つい恋音を頼りにしてしまう。そっと隣を見る。
「ね! 王子、光咲レインくん。あたしね、きみに全てを貰ったの。天才中学生シンガーソングライター、光咲レイン。あたしの王子」
「人違いですよ。僕は高崎恋音。光咲レインじゃないです」
「ううん……、違わないよ。きみは間違いなく光咲レイン。あたしのアイドルだよ」
「……勘違いです。行こ、有希乃」
「う……、うん。でも……」
「いいから。行こ」
レインは立ちあがる。体についた泥をサッと払って、有希乃の手をぎゅっと握る。光咲レイン。二年前、中学生ながら全編作詩作曲を手がけ、熱のこもった歌でカリスマ的人気を誇ったアーティスト。
光咲レイン。その言葉を聞いた瞬間に、恋音の長い前髪が一層に影に覆われる。有希乃にはその瞳が見えないほどに、真っ暗闇に。
「ねえ恋音くん。この花、きみにあげる」
「いや、いらないです。僕はお花のことわからないですし。あなたが持っていた方がよっぽど似合うと思います」
「ううん。舞台ではね、皇子にお花をあげるのは妖精だよ」
「……? さあなんのことだか……」
恋音は有希乃の手を握りしめる。
「れ、恋音……」
有希乃は心配そうに恋音へ視線を送る。有希乃は栗色のショートボブの髪を、少しかきあげて耳を出す。恋音の表情から、気持ちがよくわかった。付き合いの長さ故の共感。
「じゃあ失礼します。ギターは専門家に教えてもらってください。たくさんいると思いますから。妖精、中野ミネバさんなら」
恋音は振り返らずに通学路を歩き始める。「ちょ、ちょっと待ってよ~!」と少女――中野ミネバは愛嬌のある声で言うが、恋音は歩を止めない。
「にしし……、な~んだ。やっぱり知ってんじゃん。あたしのこと」
遠くなっていく恋音のスクールバッグで揺れるのは金髪美少女の缶バッジ。アニメ調のイラストがとても可愛い。
七歳で劇場デビュー。舞台「妖精と円舞曲」の主役を長年勤めた天才女優「妖精」こと、中野ミネバは、少し恥ずかしそうに笑って、空に花を飛ばした。
「じゅる……、やだも~ぉっ。涎出てきちゃったじゃ~んっ」