九十五話 不二楓12
ユキさんと視線が交錯して、きっとその瞳の中にはアザミさんが映っているのだろうな、と思いながら私は先ほどの失態を誤魔化すように小さく笑顔を向けました。
シュウ君の言葉を聞いて手が震えてしまったことを後悔しているせいなのか、やはりどうにも自分の顔に貼り付けたその笑顔が不自然なもののように感じて、私はまたシュウ君の頭を撫でました。
不安げに向けられる瞳を受けて、こんなまだ幼い子供に心配をかけるようでは、まだまだユキさんのような素敵なお姉さんには程遠いな、と自分が嫌になります。
ユキさんは少し勘違いをしているかもしれませんが、その言葉を聞いて私が思い出したのは、亡くなった父のことでした。
父の手紙に書いていた、父が私に最後に放った言葉とまるで同じ言葉がその口から放たれたものだから、それで少し動揺してしまったんです。
きっとシュウ君のお父さんも私の父と同じような気持ちでいるのだろうと思い、そこになんと言えばいいのか、親子の絆のようなものを感じます。
またそれでも危険を顧みず織田さんと共に外へと出て行くのは、それだけこの子を愛しているからなんだろうな、とも思います。
そしてそれは同時に、私も父にとても愛されていたんだな、と感じる要因となって私の胸を強く締め付けました。
……アザミさんは、どうだったのでしょうか。
そんな、不躾とも言える考えがふっと頭に浮かんできて、私はかぶりを振りました。
その気持ちがどうであれ、私は幸運にもアザミさんに助けられて、この変わってしまった世界で生き延びることができています。
父が手紙に残していた、生き延びてくれというその言葉の通りに。
ですが私が最近思うのは、それで果たして本当に良いものなのかどうかということ。
父が願った通りにこの世界で生きることこそできていますが、こうして織田さんや他の警察官の方々に守られ、いわばそういった誰かの犠牲のもとただただ生き延びている自分は、一体何なのだろうという考えが浮かんでくるんです。
勿論、ホームセンターから警察署に移る前、アザミさんに何度も"その機会を作ってもらった"のにそれを出来なかった私がやれることなど、今のこの世界で大したものでないことは分かっています。
それでも何かしたいと思うのは、私がまだ子供が故の甘えた願望なのでしょうか。
世界が変わる前は、将来の展望も無くただ漠然と学校に通い、進学して、何か職業について、働いて、そのうち結婚なんかもして、なんてそんなありきたりに生きるのだろうと考えていました。
その全てがご破算となったからなのか、やはり誰かに守られているだけという負い目からなのか、それともアザミさんがいなくなってしまったことで何か自分の中に変化が起きたのか、それはわかりませんが、何故だか今は無性にそんなある種の使命感のようなものに駆り立てられていました。
「秀。いい子にしてたか?」
と、背後から野太い声が聞こえて、シュウ君とユキさんと三人で振り返ります。
「とうちゃん!」
「あ!池間さん、おかえりなさい。ご無事だったみたいで良かった!」
「はは、織田さん達もついているんだから平気ですよ。やることがないくらいです。」
息子であるシュウ君の頭を撫でながら、池間さんは朗らかな笑みを浮かべました。
池間さんはそのまま抱きついてきたシュウ君を持ち上げると、空いていた椅子に座ってその膝の上にシュウ君を乗せました。
「雪ノ下さんもカエデちゃんも、いつも秀の面倒見てもらって助かります。」
「いえ、そんなこと。これくらいしか、出来ませんし……」
池間さんの膝の上に抱かれたシュウ君を見ながら笑顔を向けると、シュウ君も私に笑顔を返してきました。
「秀は何かご迷惑かけませんでしたか?」
「大丈夫ですよー。いいこにしてたよねー?」
つんつんとシュウ君のほっぺをつつきながらユキさんがそう言うと、当のシュウ君は随分と子供っぽい扱いをされたことに不服なのか、ユキさんの指を跳ね返すようにその頰を膨らませました。
ユキさんがそのままその指を押し込むと、シュウ君の口の中から空気が抜け、ぶー、と間抜けな音が鳴って、二人して笑いあっています。
ユキさんは、子供をあやすのも上手だなあ……
「本当感謝してますよ。秀も懐いていて、お二人がいてくれて良かった。」
そう言いながらシュウ君の頭を撫でる池間さんの柔らかい視線を受けて、嬉しさよりも先に私の胸の中に到来したのは、罪悪感とでも言える気持ちでした。
私がこうしてシュウ君の面倒を見ているのはもちろん善意からに他なりませんが、それでも先のことから合わせてふと頭をよぎってしまうことがあるんです。
私は単に、何かをしたいというその欲求のために、自分よりもずっと年下で守らなければならないシュウ君という存在を、"都合よく使ってしまっている"だけなんじゃないかって。
そんな考えが浮かんでくる時点で、もしかしたら私の中には本当にそんな気持ちが存在しているのかもしれない。
そう思うと、どうにも自分という存在がまた醜いものに見えて、苦しくなります。
「弟が出来たみたいで私も楽しいんで大丈夫ですよー。ね、カエデちゃん?」
「あっ……はい。だから池間さんもそんなに気にしないでくださいね。」
そんなことがあるわけはないのですが、まるでその私の暗い心の内を見透かしたかのように、ユキさんはそう言って私の方を向きました。
私はユキさんの言葉にそう付け加えて、精一杯の笑顔を浮かべました。




