九十二話 不二楓11
全て、私の気のせいなのかもしれません。
本当にアザミさんは亡くなってしまっていて、ただ私がそれを信じたくないだけで、それを否定する理由、こじつけとでも言えるようなものを探しているだけなのかもしれません。
警察署へと避難してから私が最初に違和感を抱いたのは、他の警察官の皆さんと共に物資を補給しに行く際のアザミさんのとても緊張したような表情でした。
他の警察官の皆さんも、これから死地に行くのだというような鬼気迫るような面持ちをしていました。
私はホームセンターにいた頃、ひとつ思っていたことがありました。
アザミさんは外に行くときはいつも、それこそこんな風になる前の世界でその辺を少し散歩してくるとでもいうような、そんなとてもリラックスした、気軽な表情で出掛けていたのです。
あんなに頼もしかったお父さんが帰ってこなかったんだからと毎度心配はしていましたが、私はそれを見て、もしかすると日頃鍛えられていて、感染者を殺す覚悟を持っているような方だったら、それはそう怖いものではないのかもしれないと思っていたのです。
しかしどうやら彼らの表情を見る限りその認識はやはり間違っていたようで、きっとアザミさんは私に心配を掛けさせまいとホームセンターではあのように明るく振舞っていたのかな、とその時は思いました。
次に違和感を抱いたのは、自衛隊の救助を待っていたとある日の夜のことでした。
その日は雨の降る夜で、私はふと夜遅くに目を覚まし、なかなか寝付けないでいたのです。
そしてユキさんを起こさないように部屋をそっと出てトイレに行き、その足が何故だかアザミさんの部屋に向かってしまいました。
こんな夜にご迷惑かなと思って一度考え直そうとしましたが、本当に軽くノックをして返事がなかったら部屋に戻ろうとそのドアを優しくノックしました。
返事はなく、やっぱり寝ているのかなと私は部屋に戻りました。
しかし思い返してみると、アザミさんは私とホームセンターに一緒にいた時、私が起きてトイレに行こうとした時などは、それがどんな夜中だろうとすぐに気がついて起き上がり、一緒について来てくれました。
毎度そんなでは大変だろうと気を遣ってどんなに静かに動いても、それでもアザミさんは必ず気がつくんです。
そんなアザミさんが、果たしてそれがたとえ夜中だったとしても、部屋のドアをノックされて気がつかない、なんてことがあるのでしょうか?
事実その次の日訪れた時、同じくらいの小さな音量で部屋のドアをノックしたはずなのに返事はすぐに返って来ました。
それだけなら、本当にその日たまたま深い眠りについていただけだった、と言ってもいいかもしれません。
しかし私がアザミさんに怖いと告白しそれを克服した後も何度かアザミさんの部屋を訪れたのですが、その時もまた、アザミさんから返事はありませんでした。
そして、そもそもその怖さとはなんだったのでしょう。
今でも本当に不可解なのです。
アザミさんが、死にたくなければ、と言うような言葉を使ったのは確かに意外でしたが、それでもそんなことくらいでアザミさんを怖く感じるなんて、と私は思います。
今思い出しても、その言葉遣い自体にも、またあの男を取り押さえていたその姿にも、怖さを感じません。
あの怖さはホラー映画を見ているときのようなハラハラとした感情でもなく、それこそ感染者と対峙した時やあの男に組み敷かれていた時のような自分の命の危険を感じての恐怖でもなく、なんと言えばいいのか、ただただ"畏怖"という単語そのものを叩きつけられたようなものだったのです。
そんな得体の知れない感情を、なぜ私はアザミさんに対して抱いてしまったのでしょう。
そしてまた、何よりあの時、一体アザミさんはどうやって私を助けてくれたのでしょうか。
目を瞑ったと思ったら強い風が吹いて、気付けばあの男が拘束されていて。
あんな一瞬の間に、そんなことが果たして可能なのでしょうか?
すごく荒唐無稽な話かもしれないですが、私は、思うんです。
アザミさんには何か特別な力があって、何故だかそれを隠しているんじゃないかって。
警察署で物資調達にいく時に緊張した表情だったのは、一人の時とは違ってみんなを守らなければならないから。
夜中に訪れた時返事がなかったのだって、実は何処かへ行っていたから。
そんな力があるから、あんなふうに私を助けられた。
そしてアザミさんはそれを見られたくないからこそ、あの男から私を助ける時に目を瞑らせたのではないでしょうか。
むしろそうじゃないとおかしいです。
やっぱり、たった一人であんなに感染者のいる外に気軽に出掛けて無事でいるなんて、おかしいんです。
だから本当は、アザミさんは生きているんじゃないかって思うんです。
きっと、織田さんに頼んで死んだことにしただけなんです。
でもそうだとすると、私は、置いていかれたということ。
そして同時にそれは、ユキさんも置いていかれたということでもあるんです。
だから、アザミさんが生きているのではないかと口をついて出てしまったあの夜、ユキさんにはそれを言えなかったんです。
何よりもし本当にそうだとしたら、アザミさんが隠しているかもしれないことを話してしまうことにもなります。
そして私の考えがまるでデタラメな話だったら、ユキさんには要らぬ希望を持たせることにもなってしまうんです。
私が今こうして誰にも言えないことで苦しんでいるのは、きっとバチが当たったんじゃないのかと思います。
自衛隊の方が救助に来れないのではないか、そういう空気が流れた時、避難民の方々はみんな肩を落としていましたが、私は密かにほっとしてしまったんです。
アザミさんは織田さんのお手伝いをしたいと言っていたので、それなら今まで通り、これでまたアザミさんと一緒にいられるって。
そんな、とても醜い感情を抱いてしまった、罰なんです。




