八十九話
「念のため、一つだけ確認しておきたいことがあるんだがな。」
すでに夕陽が落ちて暗くなった道場内を、傍に置いてあるLEDランタンの灯りがぼんやりと照らしていた。
わざわざ聞くようなことでもないと思うが、と前置きして俺は続ける。
「タケルとモモについては、居てもいいということでいいんだな?」
モモはじいさんの家族なのだからさすがに大丈夫なのだろうと思うが、しかしタケルの祖父母の話は聞いて居ない。
この町にそれらゆかりのある者がいないのであれば、タケルがどういう扱いなのかは確認しておかねばなるまい。
「それは、勿論だ。」
「ただ居てもいいだけではなく、他の町民と同等の扱いで、不当に扱われたりはしないと保証できるんだな?じいさんの気持ちの問題じゃないぞ、町民の意思を聞いている。」
「大丈夫だ、心配いらん。そこはちゃんと話し合っておる。」
「そうか。それなら、もう何も言うことはない。」
まあ二人は高校にあがると同時に町を出たと言っていた。
二人は本当なら今は高校二年で、つまりは約一年前までこの町の住人だったのだから、大丈夫だとは思ったがな。
それだけ時間が経って居ないのならば町の皆も二人の顔は知っているということで、余所者というくくりではないのだろう。
そう下を向いて思案する俺は、じいさんからずっと向けられている視線が気になり問いかける。
「……なんだ?」
「いや、気に障ったらすまんがの。やはり柳木君は優しいなと思ったのよ。二人は、君に出会えて本当に幸運だった。」
じいさんがじんわりと目に涙を浮かべて、ぎこちなさを感じる笑みを俺に向けた。
大方、出て行けと言われながらも二人のことを慮っている優しい男だなどと思っているのだろう。
そして出て行けと言った手前、笑みを浮かべるのも遠慮している、といったところか。
俺にしてみれば、単にもう二人の面倒を見るつもりなどないというだけの話だ。
だからこそ、じいさん達がそれをちゃんとしてくれるかどうかの確認をしただけ。
その俺の心の内を知らず傍目から見れば、優しいと思うのかもしれない。
だからもうそれについて言及するのはやめた。
「……こんな世の中で生き延びたことが幸運とは限らんだろう。せいぜい二人がそう思えるように頑張って欲しいものだな。」
それは、照れ隠しやなんでもなく、本心からの言葉だった。
無法の世界となった今、死ぬよりひどい目に遭うこともあるだろう。
いや以前の世界でもそれはゼロでは無かったろうが、その確率は格段に上がっているはずだ。
なればこそ、そんな目に遭わないようじいさん達には二人を守って貰いたいと思った。
余所者を受け入れないそのやり方に何も思わない訳ではないが、それが自分達を守る為に決めたことならば、もう俺から何も言うことはない。
「ああ、任せて置いてくれ。」
じいさんがそうはっきりと返事をするのを見て、俺はコップに僅かに残った日本酒を飲み干し頷いた。
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明朝早くに、俺はじいさんとタケルとモモ、四人で道場内に居た。
昨夜はそのまま出て行くと言ったのだが、もう一晩泊まっていってくれと言われたのだった。
ゾンビが活性化する夜に放り出すのも、というのもあったのだろうし、また他の町民の目にも出て行くところをはっきりと見せなければならないというのもあったのだろう。
まあ、タケルとモモに別れの時間を作ったというのが一番の理由だったのかもしれない。
他の者から話を聞いていたのだろう、俺とじいさんが話を終え道場を出てすぐに、二人に詰め寄られた。
じいさんはそれはもう二人に怒りを露わにされ散々文句を言われていた。
それを気の毒に思い精一杯フォローしてやると、二人は納得しない顔をしながらも、さすがに当の本人である俺にそう言われては大人しくするしかないようだった。
タケルとモモとはそのまま俺にあてがわれた部屋で夜遅くまで語り合った。
いや、語り合ったというほどは、言葉は交わしていなかったかもしれない。
割合でいえば、沈黙の方が多かっただろう。
それに少々の居心地の悪さを感じたが、おそらくは二人も同様だっただだろう。
しかしそれでも二人は部屋を出ようとせず、そこに何と言えばいいか、出会ったばかりの俺との別れを惜しんでいる二人の気持ちが見て取れて、嬉しさのようなものを俺は感じていた。
今こうして道場にいるのは、ここを出て行く前にじいさんとひとつ再戦してやろうと思ってのことだった。
勿論じいさんから頼まれたのではなく、俺から言いだしたことだ。
そこに含まれているのは、出て行けと言われあの時のことを思い出させられ心を震わせられたことに対する八つ当たりのようなものもあったし、単純に二人を預けその責任を放棄することに対する詫びのような気持ちもあった。
じいさんからすれば、俺と再戦したい気持ちはあったようだから八つ当たりの部分は全く分からないだろうがな。
「面倒だ、防具はいらん。当てるつもりはないからじいさんもそのままでいいぞ。」
「無茶言いよる……だが、わかった。」
「まあ、じいさんは当てるつもりで来て構わんぞ。」
力量差を分かっているのか、じいさんは俺の言葉に従いそのまま竹刀を握った。
防具もつけずに開始線に立つ俺とじいさんを見てタケルとモモがぎょっとなって何やら騒いでいるが、それを無視して俺とじいさんは剣先を合わせる。
お互いのそれを弾くこともせず、ぴたりと触れ合わせたまま俺は言う。
「先の先が通じないことはわかっているな?今回はじいさんから来たら……」
その言葉が終わる前に、じいさんが動いた。
やや遠慮を感じる胴。
竹刀を盾に軽くいなし、一度正面へとお互いの竹刀を誘導して前に押し間合いを離す。
「じいさん、心配しなくとも当たらんよ。遠慮しなくていい。」
手の内全てを明かすつもりはないが、しかし今日で別れもう会うこともないだろうこの三人に、多少の力を見せることに躊躇はなかった。
自分の頭ではそこまで気にしてはいないつもりだったが、もしかしたら出て行けと言われたことに対して意趣返しのようなことをしたかったのかもしれない。
「……怪我をさせて治るまで仕方なく居て貰う、というのもいいかもな。後悔せんでくれよ。」
そう言ってじいさんは再びぴたりと中段に構えると、静かに息を吸う。
それにならい俺もまた同じく中段に。
昨日の立会いの時と同じ様相を呈しているが、今度はじいさんが俺に打ち込む番だ。
その雰囲気からか見ているタケルとモモもいつの間にか言葉ひとつ発することをせず、その行く末を見守っていた。
危機感知が反応する。
じいさんが、動いた。
それは上体のブレの少ない見事な縮地で、その場から動いていないと錯覚するほどだ。
振り上げられた竹刀の動きも滑るようで、全身を使った振り下ろしは早く鋭かった。
なるほど、今度は遠慮なく本気で打ち込んで来たようだな。
俺は、"そこまで見てから"動いた。
パン、と竹刀が勢いよく床を叩く音が響く。
「剣道では一本にはならないが……終わりでいいな?」
俺はじいさんの首元に竹刀をあてがい、言った。
じいさんは竹刀を振り下ろしたその体勢のまま、動かなかった。
動かないまま、小さく呟く。
「……後の先、いや……」
相手が動くと思ったその瞬間に動く、それが先の先。
相手が攻撃して来た時に後から動いてそれを上回る速さで攻撃を当てる、それが後の先。
前にも言ったが、パンチやキックならいざ知らず、振り下ろされたものに対してこれを行うのは至難の技だ。
そして今のは、相手が振り下ろした刀よりも速く動いた、後の先を超えたもの。
出来る限り魔力による身体強化に頼らず特殊な運足でそれを行なったのだが、ともあれじいさんはどうやらそれを正しく理解出来ているようだな。
「完敗だ。いや……そもそもやはり勝負にすらなっておらんかったんだな。」
そう言うと、じいさんはにやりと俺に向かって不敵な笑みを浮かべる。
「ただものではないと思っておったが……しかし町の連中、とんだ決め事をしてくれたもんだ。」
そして、大きくため息をつくのだった。




