八十七話
「じいさん。それで、わざわざ呼び出した理由はなんだ?」
もう一度ちびりと酒を口に入れてそれを味わってから、俺は率直に尋ねた。
ただ俺を歓迎するためだというだけの話ならば、昨日のうちに同様のことをしていただろう。
何か特別に話があるに違いない。
じいさんは手掴みで漬物を口に入れて咀嚼すると、それを流し込むように酒をあおる。
「何から、話せばいいものかな。」
その顔は夕方ここに戻ってきたときのような疲れた顔で、また何か抱え込んだような複雑な表情をしていた。
「……タケルの話か?」
今朝道場に来た時、同じようにここに向かい合って座っていた二人を思い出し、俺は言う。
「そうだな、まずはその話からするか。」
じいさんはそう言うとゆっくりと佇まいを直し、言葉を続ける。
「タケ坊にな、人を殺したことを今朝言われたのよ。」
「まあ、そうだろうとは思ってた。それで、じいさんはなんて言ったんだ?」
「それが可愛い孫娘を助けるためだと知っては、何も言えんかったよ。それを咎めることは無論のこと、感謝の言葉すら言えんかった……モモを助けるために人殺しをしてくれてありがとう、など言えるか?」
俺はあの晩、タケルに、よくやった、と言った。
それはこの世界を生きる上でその経験が糧となり、決して悪いことではないと思ったからだ。
「敢えて言うならば謝罪の言葉だろうが、それすらも言えんかったのよ。何を言えばいいものか分からんかった。」
だが、じいさんはどうやらそれをしなかったらしい。
モモは自分の孫娘であると言うことで、そこに何か、モモと同じような責任を感じてしまい、じいさんは何も言えなかったのだろう。
よくよく考えてみれば、俺がそれを褒めた言葉は果たしてどうだったのか。
世界は変わったとはいえ、人を殺すことそれ自体は、一般的には良いものであるはずがないようにも思う。
しかし、あの時のタケルの表情は何処か救われた、晴れやかな表情をしていたように見えた。
ならば、タケルはじいさんにも同じように言ってもらいたかったのではないだろうか。
「じいさんの気持ちは分からないでもないがな。タケルから聞いているか知らんが、俺はタケルを肯定してやった。それは俺がその時心からそう思って言ったことだ。じいさんは実際のところはどう思うんだ?」
タケルが道場でじいさんと向かい合っていた時、何処か曇った表情をしていたのは、じいさんに何も言われなかったからなのではないかと思う。
ただ肯定されたかったのに、否定も肯定もされなかったからだ。
「こんな世の中だ、仕方ない時だってある。だがタケ坊はまだ子供だ。それが当たり前とも思って欲しくはない。」
「なるほど、もっともな話かもしれないが。そもそもこんな世の中だからこそ、その子供、って考え方ももう変わっているのかもしれないと俺は思う。」
……タケルの年齢でいっぱしの冒険者として旅立つ異世界のように、な。
「俺からこういうのも変な話かもしれないが、じいさんにはタケルのことを肯定してやって欲しい。きっとタケルは今でも思い悩んでいる。人を殺したことの是非はともかく、いや俺は正しいことをしたと思ってはいるが、とにかくそれでタケルはまた少し救われるはずだ。モモもな。」
俺の言葉にじいさんは黙って俯いて床に置いたコップに手をやった。
触れた瞬間そこに入った透明な液体に僅かに波紋が起こり、それを少しだけ見つめたかと思うとコップを手に取り口へと運ぶ。
中に入った酒を一口飲むと、コトリとそれをまた床へと置いた。
「……柳木君は、優しいんだな。」
そして、ぼそりとじいさんが言う。
いつぞやと同じそんな似合わぬ言葉を言われ、俺は少々の苛立ちに似た感情と、また何処か気恥ずかしさを覚えて、それを隠すようにじいさんにならって置かれていた酒を一口煽る。
殆ど酒の残っていないコップの様子を見てじいさんが新たに酌をしようとするのを手で制して、それを床に置いて口を開いた。
「それは勘違いだ。言っておくがな、俺があの二人をここまで連れてきたのはたまたま助けてしまったからだ。助けたからにはある程度は責任を持ったというだけの話だ。」
「それが優し……いや、まあいい。だが、わかったよ。タケ坊には改めて言っておく。」
「ああ、そうしてくれ。」
また同じことを言い掛けられて、一つ溜息を吐きながら手慰みに漬物を口に入れる。
じいさんに肯定されたとて、おそらくタケルやモモがその問題を片付けるには長い時間がかかるのではないかと思う。
この先新たに人を殺すことになればその度に。
それが無いのならば、余計にその一度きりの出来事はずっと付いて回るかもしれない。
俺はこれ以上タケルに何か言うことは出来ないし、後は少しずつ他の人から肯定されて、自分の中で決着をつけるしかあるまい。
まあ、タケルは心身ともに強そうにも思えるから、案外と何事もなく、うまく折り合いをつけるかもしれないがな。
「それで、まだ何かあるんだろう?」
そう言ってじいさんの方を見れば、何か言いたく無いようなことでもあるのだろう、その言葉を聞いたじいさんは先ほどとは打って変わって苦虫を噛み潰したような顔をした。
いまいちそれが何かが想像出来ないが、その答えはすぐに彼の口から聞けることとなった。
「……そんな、柳木君に、こんなことを言うのは忍びないのだが。」
じいさんはそう言うと、口元を一度手で覆って顎を撫で、言葉を続けた。
「柳木君には、ここを、出て行ってもらいたい。」




