八十六話
タケルやモモに会ったのはほんの数日前だが、彼らはその付き合いの短さに反して今は随分と俺に懐いているように思う。
それについて悪い気はしないし情がわかないわけではないが、だからといってここにいつまでもいる気はなかった。
むしろこれ以上付き合いを深める前にここを離れようとすら思っているくらいだ。
それはまた織田さんのところで起きたようなことと同じようなことが起きるのではないかという不安からくるものではなく、ただ単に、そんな人付き合いが面倒になっているだけなのだ。
いや、そう思ってしまうのがその経験から来ていることは、否定はできないか。
本当はもう今日のうちにここを離れようかと思っていたが、じいさんの言葉で俺は仕方なくせめてその帰りを待つ間、朝食後に何か手伝いでもしようかと他に家にいた者に声を掛けた。
しかしどうやら俺は客人扱いのようで、それも断られてしまった。
手持ち無沙汰になった俺はまた与えられた部屋へと戻り、のんびりとすることになってしまった。
この町は、上手くやっていると思う。
昨日じいさんから聞いた話では、食料は畑の他に山に山菜を採りに行ったり、たまに狩りに行ったりもしているそうだ。
昨日の夕食や、今朝の朝食を見る限りでも、食料事情は今のところ心配はないように思える。
都市部ではこうはいかないだろう。
タケルとモモを連れてきてここが無事ならばそれで役目は終わりだと自分の中で決めてはいたものの、今の世の中で大きな問題であろうことのひとつがクリアされていることに、俺は何処か安心感を覚える。
だが一つだけ気になるのは、俺がここにきた時に感じた回りの敵意と、見張りの男に問われたこの町の人間ではないな、という言葉だ。
じいさんは、町民は大きな建物に分散して避難していると言っていた。
この町に今居る者のことを、町民、とただそう呼んだだけなのかもしれないが、普通に考えてその言い方は元々町に住んでいた者を指すものだろう。
そしてそうだとしたら少しばかり疑問に思うことがある。
俺はタケルとモモを車でここまで運んできた。
道中に多少の障害はあったかもしれないが、それでも俺でなければここまで来れなかった、などということは決してないだろう。
それならばここには他にも外から誰かしらが来ていてもおかしくないように思う。
だとすると、その人達はどうしたのだろうか。
少なくとも、俺は今ここの人達に歓迎されていると感じている。
タケルやモモも同様だ。
まあ元々二人はここの生まれなのだから当然なのかもしれないが。
しかしここに来た時に感じたあの見張りの男の敵意を考えるに、もしかするとこの町には、本当に町民しかいないのではないかという考えが頭をよぎる。
じいさんが帰って来たら、少し聞いて見るとするか。
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結局、じいさんが帰って来たのは夕方になろうかという時間帯だった。
タケルやモモはずっと心配をしていたが、それは杞憂に終わり、一緒に出て行っていた他の男達も無事に戻って来ていた。
疲れが見て取れる表情の彼らからは少しだけ血の匂いがして、やはりおそらくはゾンビ共を相手にしていたのではないかと思われた。
夕食後、俺はじいさんに呼ばれて道場へと来ていた。
酒でも飲まないか、と誘われて来て見たのだが、着いてみればそこにはじいさんの姿しかなく、てっきり他の者達も一緒に酒盛りでもするのかと思っていた俺は拍子抜けしてしまった。
広い道場内の真ん中にぽつりと陣取り、じいさんと向かい合わせで座る。
傍に置いてある盆にはガラスのコップが二つ乗せられていて、つまみとして朝にも食べた漬物が皿に少しばかり盛られていた。
その横に置いた酒瓶の中身は日本酒のようで、詳しくない俺にはどうにも分からないがご立派な漢字の書かれたラベルが貼られていて、如何にも値の張りそうな代物にも思える。
「いいだろ?とっておきだから開けてなかったんだがな。」
「……いや、すまんな。そっちには明るくないんだ。今からでも安いものにしてもらってもいいが。」
俺の酒瓶を見る視線に気付いてそうじいさんが言うものだから、やはり高いものだったのだろう。
酒の違いもわからぬ俺がそれを飲むなどさすがに勿体無いと思いそう返した。
何より、酒は本来気持ちよく酔うためにあるものだろう。
いい酒ならば、その気持ちよさが美味さなんかでより良くなる、というもののはずだ。
だが俺には"状態異常無効"のスキルがあるから、アルコールで酔うなどとということもない。
それでは余計にいい酒を飲むなど勿体無さに拍車がかかるというものだ。
「別に、飲めないというわけではないんだろ?」
「まあ、そうだが。」
「ならいいさ。いい歳なんだから、いい酒くらい味わっとけ。」
じいさんはそう言ってパキリと酒瓶のフタを開けると、俺にコップを渡してくる。
そのまま酌をされ、俺はそれを一度置いてから、酌をし返す。
じいさんは唇を湿らすようにちびりとそのまま先に飲んで、一息ついた。
俺も、同じように少しだけ口に入れる。
ふわりと米の香りが鼻に上がってきて、だがむせかえるようなものは全く無く、するりと喉を酒が流れていった。
異世界に行く前も日本酒などそうそう飲むことはなかったが、たまに飲まされたそこらの安酒とは雲泥の差が感じられた。
「……旨い、な。」
「ははっ、だろう?」
自然と口からこぼれた俺の言葉に、じいさんは嬉しそうな顔をして笑った。




