八十四話
障子越しにうっすらと朝日で部屋が照らされて、俺は目を覚ました。
時計に目をやると、すでに朝の6時を回っていた。
昨夜はタケルが改めて礼を言いに俺の部屋へと来て、少しだけ話をした。
人を殺したこと、それをじいさんに打ち明けたほうがいいのかという話だ。
俺は、それを言わないことで何か心にしこりが残るのならば吐き出せばいいと言った。
タケルが人を殺してしまったあのような状況では、それを咎められるなどということはないはずだろう。
それにおそらくだが、ここにいる連中も、人を殺している。
最初に感じた敵意の強さからすると、俺が本当に敵であったならその殺意はしっかりと行使されていたと思われる。
どんな理由でその経験を得たのかは知らないが、とにかくそんな人達をまとめるじいさんに、タケルが人を殺したことを打ち明けたところで何か悪いことが起きるようなこともあるまい。
そう考えたのもあって、俺はタケルにそう言ったのだ。
その後はここの連中に要らぬ警戒心を起こされないよう気を利かせて部屋に閉じこもっていたのだが、いつの間にか随分とぐっすり寝入っていたらしい。
障子を開けて廊下に出て眼前に広がる庭とその塀の向こうに見える山々を見ながら、大きく伸びをする。
それだけ見ればいかにも穏やかな光景で、とてもこの世界がゾンビの溢れた世界に変わってしまっているのだとは思えなかった。
カエデやユキ、織田さん達は元気にやっているのだろうか。
風流さを感じる庭の雰囲気に心が揺さぶられてか、何故だかそんなことが頭の中に浮かんでいた。
「あ!アザミっち、おはよー。」
「あぁ、モモ。おはよう。」
モモが近づいて来ているのには気付いていたが、一瞬その声が誰に対して言われたものか分からなかった。
そう言えば、俺はモモからそんな呼び方をされることに昨日決まったんだったか……
「随分起きるのが早いな。」
「アザミっちもねー。」
モモにして見れば、パンデミック以降、昨日までとは違うある意味一番安心できる場所に来たのだから、もう少しゆっくりしてもいいものだと思ったがな。
「まだ、慣れないっていうかねー。いつもちゃんと眠れてなかったしさ。今日なんか、起きた時見知った天井だったから夢かと思って逆にびっくりしちゃったよー。」
モモはそう言って、あははと笑う。
最初に会った時にはそんな顔をするようには思えなかったが、今は随分と柔らかくなったものだ。
俺への警戒が無くなったのもあるだろうが、何よりも今のこの状況がそうさせているのだろう。
「あー、なんだ。まぁ、良かったな。」
「何それー、意味わかんないし!」
言葉ではなく、表情を見ての俺の返事に、モモはそう言う。
だが、すぐに唇を結んで笑みを作ると、
「うん、でも、良かった。ほんとありがと。」
と、静かに俺に礼を言った。
「あぁ、それは昨日聞いたからもういいさ……ところでタケルはまだ寝てるのか?」
「タケルっちはね、じいちゃんと道場行ってるよ。」
どうやら昨夜から久し振りに稽古をつけて貰う約束をしていたらしく、タケルもじいさんも、もっと早い時間に起きていたらしい。
タケルもゆっくりすればいいものを、難儀な性格だな。
「まだ朝ごはんまで時間あるみたいだから見にいこうかなって思ってるんだけど、アザミっちも行こ?」
「あー、俺は……」
「行こ!」
別にいい、と言いかけたところで、肩を押されながらそれはモモに遮られた。
苦笑しながらも俺は、モモに無理矢理連れていかれる形で道場へと向かったのだった。
+++++
俺とモモが道場の戸を開けて中に入ると、タケルとじいさんはお互い正面を向き合い座っていた。
傍らには面と竹刀が置かれていて、どうやら稽古はすでに終わって居たのか、何か話をしていたようだった。
どうりで外に音が聞こえてこなかったわけだ。
「見学に来てみたんだが、もう終わっていたか。」
軽く挨拶を交わしてから、そう言葉を投げかける。
タケルは相当の量の汗をかいているが、じいさんは涼しい顔だ。
二人とも防具をつけていることを考えれば、試合のようなことをしていたのだろう。
それだけでもタケルとじいさんとの技量の差がうかがえた。
「ああ、すまんの。朝の稽古は一旦終わりよ。」
じいさんはこちらを向きにこやかにそう言う。
反面、タケルも笑顔を俺に見せてはいるが、その表情は何やら曇っているようにも見える。
昨夜言っていたことでも話していたかと首を傾げながら二人の様子を見ていると、じいさんから声がかかった。
「そうだ、柳木君。せっかくだし柳木君も少しやってみるかね。」
「……何をだ?」
「勿論、これだよ。」
じいさんはそう言って傍らに置いた竹刀を持ちあげる。
唐突に何を言いだすんだこのじいさんは。
「タケ坊の話に、その歩き方や佇まい、何かしらやってるんだろう?」
「無駄に怪我をさせ……いや、怪我をするリスクは負いたくないからな、やめとこう。」
「……聞こえとったぞ。」
俺のうっかりした言い間違いに、じいさんは渋い顔をして息を吐き出した。
「よし、そこまで言うならやろう、すぐやろう!わしは怪我してもいいから!」
「なんでそうなる……」
「タケ坊も見たいだろ?な?」
じいさんは一転ウキウキとした様子で立ち上がると、タケルへとそう投げかける。
タケルは俺の方をちらりと見ては、少し申し訳なさそうな顔をしてから、頷いた。
俺がやる気がなさそうなのを悟ったが、しかし好奇心には勝てなかったのだろう。
「うちも見たいかも!アザミっち、やろ!ていうかじいちゃんが負けるとこ見たい!」
モモからも、おかしな理由での誘いが入った。
三人からの期待の視線を断りきれず、結局俺はため息を吐きながら防具をつけることになるのだった。




