八十一話
「さて、着いたが……ちょっと待ってろ。」
俺は一度一人で車を降り、すぐそばにいたゾンビの頭を斧で叩き割る。
階段を見上げ、考える。
すでにここに来る前に、この上からも敵意を含む生者の視線は感知している。
それは警戒反応を僅かに越える、殺意をも含んだ視線だった。
危険感知に反応はなかったからすぐにでも殺そうとしているようなことはないとは思うのだが、このままタケルやモモを連れて行ってもいいものかどうか。
しかしすでに俺たちの存在は町にいる生存者連中に間違いなく認識されており、何処かに二人を置いて来ると言うのも危険があるだろう。
町を出て置いてきても、それは同様だ。
ならば止むを得ず力を見せることになっても仕方ないと、同行させるのが一番安全か。
その結果この二人にどう思われようが知ったことではない。
「よし、行くぞ。そばを離れるなよ。」
また近付いてきたゾンビの頭に斧を突き立ててから後部座席のドアを開けてそう言うと、二人は素直に言葉に従い車を降りた。
ゆっくりと石階段を上って行く。
途中、階段を挟んだ木と木の間にロープが張られていて、これでゾンビ共の侵入を僅かでも防ごうと言う工夫が見られた。
見れば、階段外の斜面にも同様のものがいくつも見受けられた。
それらをくぐり抜けてやっと階段の終わりが見えてきた時、"全ての感知"が反応した。
「止まれ。」
聞こえてきたのは、年配の男の声だった。
階段の先、木の陰から猟銃を向けた男が、こちらを狙っていた。
まあ、そこに居たのは、階段を上っている時から視線感知でわかってはいたんだがな。
「この町の人間じゃないな?」
「あー、そうだが……鈴掛先生はいるか?タケルとモモを連れて来たんだがな。」
タケルとモモが俺の前に出ようとするのを制しながら、両手を挙げて問いかける。
その二人の顔を、男は一度眉間にしわを寄せジロジロと見ると、目を丸くした。
「……タケ坊に、モモちゃんか!」
「……知り合いか?」
男の反応に、ちらりと後ろの二人を見て問いかける。
二人はこくりと小さく頷いた。
すでに先程まで感じていた男からの敵意も危機も消え失せている。
これは、目的は達成されたと見ていいかもな。
男は無線機を取り出して何やらやり取りをすると、俺達をそのまま上へと迎え入れた。
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「おぉぉぉ!モモぉぉぉ!」
「ちょっ、じいちゃん!うざい、うざいって!」
「うざいとはなんだ!タケ坊も、ほれ、こっち来んか!」
目の前では、タケルとモモ、それに元気なじいさんとの掛け合いが繰り広げられている。
あの後俺達は階段を上り、銃口こそ向けられなかったが猟銃を持った男達に囲まれ、道場の門前でしばしの間待たされた。
男達は俺に対しては警戒の視線を向けてはいたが、その誰もがタケルやモモを知っているようで、そこに敵意はそれほどは含まれていなかった。
そして数分の後に門が開かれ厳つい顔つきのじいさんが出てきたかと思えば、この有様だ。
「鈴掛先生、お久しぶりです。」
タケルが一歩前へと踏み出しては、噛みしめるようにじいさんにそう言う。
「タケ坊も無事だったか……って、あっ!」
そのタケルの挨拶で力が緩んだのか、強く抱きしめられ身動きが取れないでいたモモがじいさんの抱擁から抜け出した。
モモはそのまま後ろ向きで少しばかりじいさんから距離を取り、そのせいで俺へとぶつかる。
「っと。」
「あっ、ご、ごめん。なさい。」
「いや。それよりもう少し素直に喜んだらどうだ?」
ウエーブのかかった燻んだ金色の毛先をくりくりと弄ぶモモに俺は言う。
その瞳は潤んでいて、顔は赤い。
じいさんに頭を撫でられているタケルも、今にも泣きそうな顔をしている。
俺にとってはここまでたかだか一日二日の道のりだったが、二人にとってはもっと長く、そもそも果たしてたどり着けるかも怪しいものだっただろう。
またここが無事だと信じていたとしても、実際に生きているのを見ればその喜びもひとしおだろう。
ともあれ、これで目的は果たしたか。
くっついて泣き始める三人を見て、俺は踵を返す。
「ちょっ、待って。どこ行くの、ですか。」
真っ先に反応したのは、モモだった。
「ん?ここも無事なようだし、もう俺は居なくても大丈夫だろう。」
タケルもモモも連れて来れた、そして幸運にもモモの祖父は健在だった。
ならばもう俺の役目は終わりだろう。
学校からの視線が多少気になるところだが、何にせよこれ以上の面倒を見るつもりはない。
「柳木さん!柳木さんも避難するつもりだったんじゃないんですか?」
「いや、俺はお前達二人を運ぼうと思っただけだ。」
助けるならある程度は責任を持つ、それだけのためにな。
俺がタケルの言葉にそう返すと、またもやモモが俺へと近付いて、着ていたシャツの裾をぐいと掴んできた。
「待って。ください。うち、まだ礼も言えてない。」
ちゃんとここまで何事もなく二人を運んだからか、それでまるきり俺を信用したのか、今までとはがらりと違うそんなモモの態度に、俺はつい小さく笑ってしまう。
「な、なんで笑ってるの……」
「あー……なんでもない。」
「むむ……」
モモが、先程まで三人で泣いて喜んでいた涙をその瞳に残して、むすっとした顔つきで俺を睨む。
しかしそこには無事にここへとたどり着いたという隠しきれない喜びの感情が宿っているのを見て、それがなんとも面白く、俺は口元を緩ませながらも手を振った。
「あー、柳木君、だったか?」
「……なんだ、じいさん。」
そんなやりとりをしていると、すぐにモモのじいさんから声が掛かった。
「何処か行くあてがあるのか?」
「いや、特には無いがな。」
「それならここに居ればいいだろう。そうでなくとも礼くらいさせてくれんかね。こんな世の中になって、急ぎの用事があるわけでも無いだろ?」
確かに用事の類はないがな。
むしろ、その用事を決めかねているところだ。
「……まあ、な。」
「ならいいだろ。二人を連れてきてくれたんだ。せめてゆっくりしていってくれ。」
タケルの視線と、未だ俺の服を掴むモモ、そして年寄りの言うことは聞くもんだぞ、という最後の後押しに観念し、俺は少しの間だけここに滞在することを決めた。




